そばにいるためのお話 | ナノ

月明かりとエゴイスト

着ていたドレスを回収したメイドさんが退室し、あたしはやっとひとりになることが出来た。

ベッドに腰掛けてため息をつく。

「まずいことになっちゃったなあ」

ナイフを拾っただけで決闘だとか、一体どこの国の文化だ。……いやまあ、異国どころか、異世界なんだけどね、ここ。

ネグリジェはどうしてもいや!と言い張り、それならば代わりにと用意されたパジャマは、肌触りのいいシルク素材だった。薄いピンク色の、フリルがたっぷりついたワンピースタイプで、下はふわふわのレギンス。なんだかあたしの身に余るくらい可愛いデザインだ。昔母さんが買ってきてくれたものに似ている。一度も袖を通すことがなかったそれは、今もたんすの肥やしと化しているけれど。

そんなことより、問題は明日だ。

あの後、コンラッドとギュンターと一緒に、ふらふらした足取りの有利を部屋まで見送った。
麗しの王佐さまいわく、最近は決闘で命を落とすパターンなんてのはそうそうないらしい。
本人は励ますつもりだったのだろうが、「そうそう」ってことは、例外があるってことで。

決闘。普通の高校生である有利が、決闘。
相手は、いくら天使の見た目をしていようと、軍人だ。無傷ではいられないかもしれない。

「……あー、もうっ!」

考えてたってはじまらない。どうあっても逃れられないなら、あたしにできるのは、精一杯兄をサポートすることだけだ。

でも、サポートといっても、あたしに何が出来るんだろう。
助太刀するとか?けれど1対1の勝負にあたしがしゃしゃり出てしまっては、かえってヴォルフラムを怒らせてしまうかもしれない。それに、助太刀って言っても、あたし、体育の成績2だし。もちろん5段階でだ。そんなの絶対、邪魔になる。

ぐるぐる悩む頭を抱えてベッドを転がりまわる。幸い用意されたベッドは1人用とは思えないサイズで、いくら転がってみても床に落ちることはなかった。

ふと、視界に窓の外の宵闇が写る。
開けたままのカーテンからそそぎこむ月明かりが美しい。窓の向こう、遠くに見える山肌、その頂上には、眞王廟のものだというあかりが灯っている。

ねえ、眞王さま。
こんな状況、あなたは想像してた?

「……よしっ」

ベッドから立ち上がって羽織るものを探したけれど、クローゼットには何も収納されていなかった。制服は洗濯中だ。
仕方なくパジャマ姿のままでベッドから足を下ろす。テーブルに置いた魔石を忘れずに握り締める。

扉を開け、廊下に出て、右、左。有利の部屋は、階段を上って角を何回か曲がったところだ。

とりあえず、有利と合流しよう。何か力になれることが見つかるかもしれない。分からないなら行動あるのみ、だ!

部屋を出て歩き出す。慣れない城内を1人で歩くのはなんだか探検みたいで、不謹慎だけど、ちょっとだけわくわくする。

夜の魔王城には、意外とたくさんの人が居た。
警備で巡回中の兵士さんや、忙しく動き回っているメイドさん。すれ違うあたしを見ると、みんながぎょっとしたように目を見開いて、慌ててお辞儀してくる。双黒って珍しいらしいもんなー。なんだか驚かせてしまって申し訳ない。

それにしても、寒い。
冷えた夜の空気が肌に突き刺さる。上着を着なかったのはやっぱり間違いだった。いっそシーツでもかぶってくるんだったなあ。

目的の扉の前には、腰に剣を携えた兵士さんが立っていた。
あたしが近寄ってくるのに気づくと、寒さで丸まっていた背中を正して敬礼してみせる。

「でででで殿下!?」
「すみません、通してもらえますか。有利に用があるんですけど」
「はっ。新王陛下でしたら先ほど、ウェラー卿コンラート閣下とともに、中庭へ行かれたようです!」
「そうなんですか?すれ違っちゃったなぁ。じゃあえっと、良かったら、そちらまで案内していただけませんか?」
「は!? ああいや、申し訳ございません殿下。ですが、そのー」

兵士さんの額に汗が浮かんでいる。顔も赤いし呼吸も荒い。どうしたんだろう、お腹でも痛いのかな。

「不肖わたくしめは、恐れ多くも、陛下のご寝室をお守りするという任に就かせて頂いておりまして、そのー」
「そっか、持ち場を離れるわけにはいかないですもんね。それじゃ、中庭の場所を教えてもらえれば」
「それならば、私がご案内いたしましょう、ユノ殿下」

渋い声と、廊下に反響する足音。振り返った先で、ランプの明かりが薄く男の姿を照らし出す。
誰だったっけ、この人。確かツェリ様のお兄さんで、野心家で、金髪ナイスミドルの……。

「シュレッダーさん?じゃなかった、シュトッフェル、だ」
「覚えていただいていたのですね。光栄でございます、殿下」

にっこり笑う、その細めた目の奥に潜む獰猛な光。獣のよう、とはこのことをいうのだろうか。
前王の宰相だったという男は、あたしのすぐそばで立ち止まると、恭しくその頭を垂れた。

「どうぞ殿下、こちらへ。そのようなお召し物ではお風邪を召されてしまわれますぞ。何か暖かいものでも用意させましょう」
「いえいえ、有利のところに案内してもらえればそれで」
「殿下のお体が何より大切です。なに、お体が温まるまで、少しお時間をいただくだけですよ」

エスコートするように背中に手を回され、一瞬だけ肌があわ立った。ヤラシイ手つきだとかって訳じゃないんだけど、なんというか、こう、何か分からないものを背中にゴリゴリ押し当てられてる感じっていうか。妙な緊迫感っていうの?

あっけにとられた兵士さんに背を向け、有無を言わさずに有利の部屋から離される。

角を曲がって、広い廊下を抜けて。あっという間に見覚えのない場所だ。来たばかりのお城の地理は、まったく分からない。

「慣れない異国に、さぞやお疲れでしょう。殿下は、酒の類はたしなまれますかな?」
「いえ、未成年なんで」
「それならば一級品の茶葉をご用意いたしましょう。甘味がお好きでしたら、特製の蜜を使った焼き菓子などもございますが」
「えーっと、太っちゃうんで」

それより、あたしはどこに連れて行かれようとしているんだろう。

頭の隅で危険信号が鳴り始めたところで、背中から声がかかった。低く、怒気を孕んだ声だ。聞き覚えがある。

「シュトッフェル!」

足音荒く近寄ってきたグウェンダルが、ぐっとあたしの手を引いた。反動で彼の腕の中に収まる形になってしまう。きつく抱き寄せられて、思わず顔が赤くなってしまう。
青い目をすがめ、シュトッフェルが鼻を鳴らす。

「伯父である私を呼び捨てか。いい身分だな、グウェンダルよ」
「……貴殿がこれに何の用だ、フォンシュピッツヴェーグ卿」
「しれたこと。私はただ、寒空の中城内を散策されていた殿下のお体を思い声をおかけしただけだ。お前にとやかく言われる筋合いなどはない」
「ならば、これは私が引き取ろう。貴殿は自領への帰還の準備でお忙しいはず。わざわざその手を煩わせることはない」
「ふん、生意気な」

……さっきからグウェンダルが言ってる「これ」って、もしかしなくてもあたしのことだろうか。

バチバチと、頭上で火花が散った気がする。今のところ慇懃無礼なグウェンダルが優勢。シュトッフェルは凶悪な目つきで甥っ子を睨みつけている。
ええと、これは、あたしのせいで喧嘩してるのかな。だとしたら申し訳ない。あたしのために争わないでーなんて言って場をなごませるべきだろうか。

間に挟まれたあたしが、場の空気の悪さに耐え切れずに、口を開こうとしたとき。

ふん、と鼻で笑ったシュトッフェルが、さっきまでとは打って変わった表情であたしに頭を垂れた。腕を掴むグウェンダルの力が一瞬だけ強まる。

「申し訳ございません、殿下。火急の用件を思い出しまして。私はここで失礼させていただきます」
「は、はい」
「茶の件は、また。近いうちに」

瞳の奥の光が、鋭くあたしを捕らえる。きびすを返したシュトッフェルは、一度だけ強くグウェンダルを睨みつけた後、振り返らずに廊下の奥へと消えていった。

なんだったんだ、今の一連の流れは。あたしの計り知れないところで繰り広げられた攻防戦にあっけに取られる。天災に巻き込まれた気分だ。
低く、不機嫌な美声が頭上から降ってくる。

「おい」
「は、はい!」
「なぜ、あいつといた」

見上げれば、不機嫌そうに寄せられた眉。ああ、そんな顔したら、眉間のしわがくせになっちゃうのに。

「えっと……有利に会いに部屋に行ったの。でも有利は不在で。警備の兵士さんが中庭にいるはずだって教えてくれたから、あたしもそこに行こうとしたの。けれど、その場所が分からなくて。それで困ってたら、通りかかったあの人が、案内してくれるって言ったから」
「それでのこのことついて行ったというわけか」
「のこのこって……」

小学生じゃあるまいし、そんな、知らない人についてっちゃいけません、みたいに言わなくても。こっちは立派な高校生なんだけど。
それに、いくら腹の底が見えない人だからって、親切を無下にするわけにもいかない。
おずおずとそう伝えれば、形のいい唇から小さくもれる舌打ち。普段の迫力が数倍増しだ。

「あいつらは、何も伝えていないのか……!」
「あいつらって」

どいつらよ。

グウェンダルの眉間のしわが深くなる。薄い唇から大きなため息がもれる。
その背中に月光の薄明かりが降り注いでいて、ぱっと見た限りでは、なんだか一枚の絵みたいな美しさだ。月明かりの下で悩める麗人なんて、そうそう見られる光景じゃない。

突然、掴まれたままだった腕を引かれる。その力強さに抵抗できずに歩き出せば、冷えた廊下に2人分の足音が響いた。

「ちょ、グウェンダルさん?」
「部屋に戻れ。今夜はもう出歩くな、おとなしく寝ていろ」
「や、でもあたしっ、有利に用があって」
「明日にしろ」
「明日じゃ意味ないの!明日はもう決闘なのにっ」
「お前が何かしたところでどうにもなるまい」

あ。
今、グサッと来た。

開きかけた口を閉じる。何も言い返せなかった。

分かってた。グウェンダルのいうことは正しい。本当は、分かっているのだ。
サポートしたいなんて言ったって、普通の高校生であたしができることなんて高が知れてる。一緒に戦うことなんて出来ないし、勝つための方法を教えることも出来ない。成績は良くたって、戦闘の仕方なんて勉強したことない。あたしは何の役にも立てない。

気持ちだけがから回る。何かしてあげたいのに、具体的な方法なんてちっとも思いつかない。それでもただ、そばにいたいという気持ちだけがわいて。
そんなの、あたしのエゴだってことくらい、分かってるのだ。

……兄は。
兄は、突然こんな訳の分からない異世界に連れて来られて、魔王になれなんて言われて。国民の大歓迎を受けたかと思えば、重鎮には就任を反対されて。かと思えば、もしかしたら命がけになるかもしれない決闘を申し込まれて。

どうして、全部、有利なんだろう。
あたしじゃ、渋谷有乃じゃあ、ダメだったんだろうか。

あたしじゃ代わりにはならないんだろうか。

泣きそうになるのをこらえて、じっと下を向いて歩いた。廊下にただ2人分の足音だけが響く。

顔を上げられないでいると、グウェンダルの歩幅が存外狭いことに気づいた。あたしと彼の足の長さは全く違うはずなのに、不思議と歩くスピードは揃っている。
もしかして、合わせてくれているのだろうか。ぼんやりした頭でそう考える。

2人とも無言のままあてがわれた部屋に着き、重い扉の向こうに体を押し込まれた。まだ暖炉の火が残っていたらしく、室内はとても暖かい。
けれど悪寒が引かない。気分は滅入ったままだ。

「グウェンダル」

扉を閉めようとしたグウェンダルを呼び止める。蒼色の瞳が、返事の代わりに、不機嫌そうにあたしを見下ろした。
その視線に、ただ後悔だけが湧き上がる。
ああ、なんで呼び止めちゃったんだろう、あたし。

分かってる。何か言い返したかったんだ。正論に反抗するなんて子供じみた真似だが、妙な強がりがあたしを突き動かしていた。何かを伝えたくって、けれど言葉が見つからなくて。喉に何か詰まったような気分になる。もどかしい。

結局、何も言えないまま、あたしは見下ろしてくる彼から視線をそらしてしまった。
視界の隅からため息が聞こえる。呆れられてしまったのだろうか。ますます視線が下がってしまう。

それを止めるように、ふわり、優しい手つきがあたしの頭を撫でた。

「え」
「夜は冷える。暖かくして眠れ。それと」

一瞬だけ、低い声が上ずった気がした。

「……妙齢の婦人が、夜着で出歩くな。目に毒だ」

グウェンダルの手のひらが離れ、彼の姿が扉の向こうに消えた。冷えた空気が完全に遮断され、じんわりと体に熱が戻ってくる。目の奥でじんと溜まっていた涙がひいていく。

彼に頭を撫でられたのは、2回目だ。

「……意外」

これは、慰めてくれたのだと、思っていいのだろうか。

怖い人だと思っていたけれど。
グウェンダルは、実は優しい人なのかもしれない。

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