生きるためのお話 | ナノ

別れとはじまり、そのお話

 
母が死んだ。

あたしにとって、彼女は2人目の母だった。
この廃退した街では珍しく、母はいつも笑顔を浮かべていた。どんなときも笑っていて、みんなに好かれている。とても優しくて強い人。それが母だ。
あたしは、彼女が怒っている姿を、ただの一度だって見たことがない。いつもみんなに囲まれ、その中心でとても楽しそうに笑っている。母はそんな人だった。

けれど、彼女は死んだ。あっけなく、あたし1人を残して。

呆然と立ちすくんだあたしを残し、街の住人たちが母の亡骸を運んでいく。
もう二度と開くことがない瞳。もう二度とあたしの名を呼ばない口。弛緩したその腕があたしを抱くことは、もう二度とない。

母の最期を見送って、どれくらい経っただろう。
ひとりゴミ溜めの山に残されたあたしの背後に、知らない気配が生まれた。

「ミヤコちゃん」
「……おねえさん、だれ?」

視線を向けた先では、真っ黒な衣装をまとった女があたしを見下ろしていた。喪服だ。つばの広い黒色の帽子、上質な布で織られた黒のワンピース、細い腕を覆う黒いレースの手袋、少しだけ土で汚れた黒のパンプス。母の死を悼んでくれているのだろうか、長いまつげが濡れている。

「私はあなたのお母様の……お友達よ。お母様との約束を果たしに来たの」
「やくそく?」
「ええ」

全身が黒づくめなのに、唇だけが赤い。それに病的なほど白い肌。まるで精巧な人形のようだ。
かがんだ女の細い指があたしの頬に触れる。レースごしの指先は、見た目に反して暖かい。涙で濡れたあたしの頬には過ぎた熱だ。

にこりと笑った口があたしの名前を呼ぶ。その手がそっと、壊れ物を扱うかのようにあたしを撫でていく。

「ミヤコちゃん。これからは、私が、あなたのお母様になります」

あたしが再び生を受けて5年。この世での母が死んだ日。
あたしはまた、新しい家族を手に入れた。



前の人生で、あたしは日本に生まれた、平凡な女の子だった。

あの日のことは今でも覚えている。いつもと変わらない、淡々とした日常だった。

いつもどおりに朝起きてご飯を食べて学校に行って、授業を受けて帰宅。
お風呂に入ってご飯を食べて、宿題した後に録画した番組を見て就寝。何も変わらない。いつもどおりの日常だった。

それなのに、気がついたら、知らない女性の腕の中で。
赤ん坊になったあたしは、必死に産声を上げていた。

……うん、なんだよこれって思うよね。気がついたら赤ん坊になってるとか。目が覚めたら生まれ変わってたとか。

はじめは夢だと思っていた。けれど、何度目を覚ませと願っても、現状は変わらない。鏡に映る姿はどう見ても赤ん坊だし、体は自由に動かないし、お腹だって空く。赤ん坊の燃費の悪さをこの歳になって実感するとは思わなかった。

数ヶ月経ったころには、あたしはすっかり開き直っていた。
転生しちゃったものはしょうがない。これが現実だって言うのなら、今の生を受け入れようじゃないかと。

前世の記憶持ちだってことを除けば、あたしは他の子となんら変わりはない、ごく普通の子供だった。

たとえ育った環境がゴミ山だらけのスラム街だろうが、ムダに足腰が鍛えられたおかげで5歳にしてフルマラソンの距離を走れようが、同世代の友達がみんなそれと同じくらいの脚力をしていようが、普通の子供だ。そうだと信じたい。……そう思う。

けれど、母の友達だという女性に引き取られ、彼女の家に連れて行かれたとき。

あたしはようやく、この世界のことを知り、現状について正しく理解したのだった。

「キキョウ……ゾルディックー!?」
「いやだわミヤコちゃん、お母様と呼んでと言ったでしょう?もしくはママ」
「いや、はあ。すんませんお母様。って、ちょ、ええ!?」

喪服のわりにふわりとしたデザインのドレスのすそが翻る。頬に手を当てて微笑むキキョウは、まるで少女のように愛らしい。これで2児の母か。若いってレベルじゃねーぞ。見た目も仕草もまるで10代後半だ。

って、そうじゃなくて。問題はそこじゃなくて。

今あなた、ご自分をゾルディックとかおっしゃいましたか。暗殺者だとおっしゃいましたか!?

広い広い部屋の中、あたしの向かいに座る3人の大人たち。左からキキョウ、シルバ、ゼノと紹介された。ちなみに彼らの背後には、常識外のサイズの犬(狼?)がお座りしている。

3人とも、なんとも聞き覚えのある名前だ。聞き覚えというか、正確には見覚えだろうか。
この世界で生きた5年間のうちではなく、前世で何度か目にした名前だ。

暗殺一家“ゾルディック家”。
あたしはその家に迎えられるらしい。

「お前の母は、キキョウの縁者でな。生前キキョウと契約していたらしい」
「お主が一人前になるまでワシらがお前を育てることになった。なあに心配するな。死ぬことはないじゃろうさ」
「はあ……」

まず保障されるのは生死なのか。

いやまあ、命の危機ってのには、生まれ変わってからの5年で幾度となく経験したので慣れてはいる。だてにスラム街の底辺で生き抜いちゃいない。
そんなことを答えれば、大物だなとゼノが笑った。シルバも面白そうに目を細めている。キキョウもなんだか嬉しそうだ。

そんな3人の前で、あたしは1人、頭を抱えそうになるのを必死で我慢していた。

前世の常識が通じないのは、違う国に生まれたからだと思っていた。
普通の5歳児としてはありえない身体能力も、育った環境のせいだと思っていた。
何度か見たことがある、母親の超能力じみたパフォーマンスも、きっと手品か何かだろうと思っていた。

それが、このゾルディックという存在のおかげで、すべて理解できた。

これ、マンガの中じゃん。ハンターハンターの世界じゃん!?
通用しない常識も異常な身体能力も母親の超能力も、ここが異世界だとすれば、すべて説明がつくのだ。

ただの記憶持ち転生だと思っていたのが、実はトリップだったとか。
まさか、こんなことが現実に、あたしの身に起こるなんて!

「さあミヤコちゃん、さっそく準備しましょうか」
「準備って、何のことですか、キキョウさん」
「お母様。もしくはママよ、ミヤコちゃん?」
「……すみませんお母様」

だからその圧力を引っ込めていただけますか?呼吸が苦しいよ。ああ、きっとこれがオーラって奴だ。
びりびりと肌を刺すそれに若干涙目で答えれば、キキョウはぱっと花が咲くような笑みをこぼした。ああ、素敵な笑顔ですねお母様。

「決まってるじゃない、せっかく家族が増えたんだもの!息子たちにもお披露目しなくっちゃ!」

今日はお祝いね!とはしゃぐキキョウを見ながら、あたしはそっと天を仰いだ。

記憶持ち転生トリップ。
落ちた先は、安穏な生活が送れるとは到底思えない、ハンター世界。
ホームステイ先は、かの有名な暗殺一家ゾルディック家。

ああ神様、どうしてあたしをこんな酷な状況に生まれ変わらせたもうたのか。

一体、あたしが何をしたっていうのさ!?



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