生きるためのお話 | ナノ

あなたはだあれ?

 
装備と人員を整え、再び美術館に戻ったとき、すでに侵入者の姿はなかった。
侵入者の内、2人には麻痺毒を施していたけれど、その2人も残ってはいなかった。あたしたちが離脱している間に、残りの仲間に回収されたのだろう。

想像よりも、美術館の内部は綺麗なままだった。装飾品など小型のものを中心として収蔵品の約6割が盗まれてしまっていたが、壊れているものといえば展示ケースくらいで、残された美術品の中に傷ついたものは一切なかった。
奇特な強盗もいたものだ、とダグズワイルド氏は語った。確かにあたしもそう思う。人を殺しておきながら美術品は傷つけないだなんて、バカみたいな話だ。

……ダグズワイルド氏と言えば。
もう早朝とも呼べる時間に、警察や会社の人員を連れて現場の確認作業を行っていた時、氏が血相を変えて駆けつけてきた。
息子の無事を確認した父親は、まるで子供のように声をあげて泣き、ジェイクを抱き締めた。

「ジェイク!無事で良かった!」
「父さん……申し訳ございません。貴方から任された現場を守ることが出来ませんでした」
「何を言うんだ!そんなことよりも、お前の方が大事に決まっている。お前は、私にとって最も大事な、お前自身という宝を守ってくれたんだよ」

彼ほどの立場の人間が、恥も外聞もなく人前で泣く姿は、その言葉が真実であると確信させるには充分だった。
ただただ純粋な家族愛に感心すると同時に……少しだけ、羨ましいと思った。

すっかり日が昇った頃、ジェイクから帰宅命令が出された。

「いいの?」
「いいも何も、元々今日は休みの予定だったろ。それに、これ以上の対応を、元々社外の人間であるお前に求めるのも間違っているからな」

ゆっくり用事を済ませてこい、と肩を叩くジェイクの表情には、明らかに疲労の色が見てとれた。けれど、それを指摘してあたしがこの場に居座り続けることも、彼の仕事への誇りを汚すことになるのかもしれない。

結局、妙な罪悪感を抱えつつも、あたしは泊まっているホテルへと帰還した。
この1週間の拠点としてジェイクに手配された部屋は、結構なハイグレードだった。ベッドなんて天上の寝心地だ。しかも必要経費として宿泊費はすべて向こう持ちなのだからありがたい。
ベッドに横になると、すぐに眠気が襲ってきた。想像以上に疲れていたらしい。

そのまま夢も見ずに眠って、次に気がついたのは、携帯電話の呼び出し音が鳴ってからだった。

寝ぼけ眼をこすりつつ、画面を確認もせずに電話に出る。

「もしもしー……」
『寝てた?』
「……………」

ヤバい。

聞き覚えのありすぎる声に、血の気が引く音がした。慌てて時計を確認すると、時刻はとっくにお昼を越えていた。
ヤバい、寝すぎた。ちゃんとアラームもセットしていたはずなのに!

「ごっ、ごめん!すぐ準備するから!」
『急がなくていいよ。ロビーで待ってる』
「わーんその優しさが怖いよー!」

超特急でシャワーを浴び、髪型を整える。気を使う相手でもないし、準備は結構適当だ。

駆け足でたどり着いたロビーで、探し人はすぐに見つかった。
皮張りのソファに腰かけ、長い足を組んでいる。仕事中はそんなことはないのに、こんな場所では妙に目立つ。今回は悪い意味ではない。

「ごめん。お待たせ――イルミ」
「急がなくていいって言っただろ」

駆け寄ったあたしを見て、イルミは片眉を上げた。

「髪ぐらいきちんと乾かしてこいよ」
「8割乾いてるから大丈夫だって」

イルミが自分の横をたたくので、遠慮なくそこに座ることにした。2人用には狭いソファで、お互いの太ももが当たる。
呆れたように頭を振ったイルミの肩口で、さらりと黒髪が揺れた。相変わらず綺麗なストレートだ。きっと枝毛に悩まされたことなんてないんだろう。

久しぶりにあったけれど、どこも変わった様子はない。強いて言えばちょっとだけ髪が伸びた気がする。あとは、筋肉量がちょっと増えた?

長い指が伸びて、あたしの髪をひと房だけさらっていく。

「それで?この後の予定は?」
「あーうん、それなんだけどね」

正直に言おう。無計画だ。

……いや、なにも最初からそうだった訳じゃないのよ?昨日まではちゃんと予定を立てていたんだ。例の美術館に行くという予定を。
けれどその計画も、昨晩の事件のせいで、水泡に帰してしまった。
これは決してあたしのせいじゃない。予定が白紙になったのも、あたしが寝坊したのも、全部あの侵入者が悪い。

いいよどむあたしを察して、イルミが息をついた。

「いいよ。期待はしていなかったし」
「ううっ……」
「それより飯にしよう。美味い店のひとつくらい知ってるだろ?」
「あ、それなら、オススメのお店があるよ!」

ここで名誉挽回しなければ。それなりに遠いところを呼び寄せたのだから、ちょっとはおもてなししなくっちゃだろう。

そう。今日は、あの家を出てから初めての、イルミとの『面会日』だ。

日程だけは前々から決まっていた。イルミも稼業で忙しい身だし、あたしも仕事を始めたばかりだったから、あらかじめ計画を立てておかないと休みが合わなさそうだったから。
あたしがジェイクから警備の依頼を受けることを渋ったのも、依頼の期間が、ちょうどこの日と重なっていたからだ。

久しぶりなのだし、家の様子も聞きたい。そのためにも、ゆっくり落ち着ける場所に行くのはいい案かもしれない。

「ほら」
「ん」

ソファから立ち上がろうとすると、イルミが手を貸してくれた。紳士だ。本当、稼業のことがなければ、ただの良いところのお坊ちゃんなのに。
ホテルを出る。目的地まではここから徒歩15分くらいだ。

「安くて美味しくって、その上メニューが豊富なんだー。オススメはハンバーグランチとパスタランチ!」
「……………」
「イル?何、その顔?」

虚をつかれたような呆れたような顔をして、イルミがあたしたち2人の間を見下ろしていた。
何かあったのだろうかと確認しても、そこには何もない。あるのは、繋がれたあたしたちの手だけだ。

「なんでもないよ」

ため息混じりの返事が返ってきた。少し気になるが、彼が何でもないと言うのならそうなのだろう。

到着したカフェは、昨日とは真逆で、閑古鳥が鳴いていた。
そりゃそうだ。すぐ近くの美術館で、人が死ぬような強盗騒ぎがあったんだから。むしろ、それでも開店しているこのお店の商魂たくましさに感服するわ。

あたしはパスタランチ、イルミはハンバーグランチを注文した。客が少ないこともあり、注文した品はすぐに運ばれてきた。

「……美味いな」
「でっしょ〜?」

別にあたしが作った訳でもないけれど、ちょっと誇らしい気分になる。
ご飯を口に運ぶ。今日のパスタは蟹のトマトクリームソースだ。

「スイーツも気になってんだよねー。これ、この数量限定フルーツタルト。すごく美味しそうじゃない?」

むしろ今日ここにイルミを連れてきたのはこれ目当てでもある。昨日は食べられなかったから、今日こそは注文したい。
デザートの話はスルーされて、イルミが質問をしてくる。

「似合わない仕事をしているらしいってことは聞いたけれど、一体何をしてるんだ?」
「ああ、うん、お得意先の紹介でね。警備の仕事。作業内容自体はどうってことないんだけど、昨夜はトラブルがあって」

そのせいで寝坊してしまった。そろそろ各処理は済んだ頃だろうか。あとで一応電話してみないといけないな。

「トラブル?」
「そう。美術館に強盗が入ってさ。もーてんやわんやよ」

あれは数年に1度の修羅場だった。
あいつらは逃げるあたしたちまで殺そうとして来た。通報されることを恐れたのか、単に目障りな虫を潰す感覚だったのか。どちらにせよ、2度と遭遇したくない手合いだった。

「イルの方こそ、最近どうなの?何か変わったことはあった?」
「変わったこと……この前、初めてカルが1人で仕事したよ」
「えっ、大丈夫だった?カルト、怪我してない?」
「問題ない」
「そっかあ、良かった…」

5歳児に1人で仕事をさせていること自体は、まあ、うん、今さらだ。
そっかあ、カルトももうそんな歳になったんだ。生まれたときはあんなに小さかったのに。抱っこしてミルクを飲ませていた頃が懐かしい。

「ミヤコ。アホ面」
「いや、涙腺がね……」

ついつい昔を思い出してしまった。
ああ、弟たちに会いたいなあ。家を出てしばらく経つ。たった数ヵ月だと笑われるかもしれないけれど、あたしにとっては長い数ヵ月だ。
……ああ……会いたいなあ……。

「……お前さ……」
「な、何?」

イルミの声色に、わずかに苛立ちが入った。いや、これは焦りだろうか。例えるならば、急いでいるのに子供が靴紐を結び終えるのを見守っていないといけないような、待ち合わせに遅れそうなのに中々タクシーが捕まらないような。そんな表情だ。

「お前の馬鹿さ加減には、つくづく頭が下がるよ」
「なっ、なによぅ、バカって言う方がバカなんだからね!?」
「うるさい、馬鹿」

ふと、イルミの視線が動いた。すがめられた目があたしの背後を見上げる。
振り返るより先に、声が聞こえた。

「会えて良かった、ミヤコ」

何かがあたしの体を拘束した。それが誰かの腕だと気づくよりも早く、あたしの顔の横を何かがすり抜けた。
針を投げつけた格好のまま、イルミが強く相手を睨む。

「離れろ」
「そんなに警戒するなよ。君たちに危害を加えるつもりは毛頭ない」

イルミの針を受け止め、その人は笑った。子供のような、とても楽しげな笑い声だ。

睨むイルミと笑い声に挟まれて、あたしを抱き締めるその人を振り向く。
昨日もこの店で出会った、あの強盗殺人犯が、そこにいた。

「……何の用?」

内心、あたしは滅茶苦茶慌てていた。ゾルディックで訓練を受けていなければバクバクと騒がしい心臓を抑えられなかっただろう。イルミと一緒にいて油断していたってのもあるけれど、こんなに簡単に背後を許すとは思っていなかった。

「だからそんなに警戒するなって」

確かに、敵意はまったく感じられない。だからこそあたしは彼にここまでの接近を許したのだ。こうして腕を回されるまで、他の客が来店したのだろうとばかり思っていた。
だが、急所を抱え込まれたとなっては、警戒するなという方がおかしい。念を展開しようにも、さすがにこの距離では彼の一撃の方が早いだろう。

「俺はただ、君と話したいだけだよ、ミヤコ」
「あたしと?」
「ああ」

気安くあたしを呼ぶその声は、意外なことにとても穏やかだ。
何故だろう。その口調にひどく既視感を覚える。

青年の腕の力が弱まった。慌ててその手を振りほどき、テーブルを飛び越えてイルミの背中に隠れる。あたしたちの奇行に店員が慌てている気配がする。

警戒を露にするあたしたちを――あたしを真っ直ぐに見つめる青年の黒い瞳は、まるでイタズラを企てる少年のようだった。

「ミヤコ。俺たち、どこかで会ったことがあるだろ」

それは昨日も聞かれたことだけれど、同じ返事を期待しているわけではないらしい。
イルミが目配せしてくる。こちらもあたしの返答を待っているようだ。あたしの返事によっては、この場で惨劇が始まるかもしれない。

黒い大きな瞳があたしを見つめる。その目を見たことがあるような、ないような。一体どこで会ったのだろう。あたしの記憶の中の人間と照らし合わせてみる。

記憶をさかのぼる。警備の関係者?違う。薬屋のお客?違う。暗殺の依頼人?違う。闘技場の出場者?違う。ゾルディックの使用人?違う。すべて違う。

それよりも古い記憶、なんて。

――……ミヤコ……

流星街、しか。

――……いつの日か、また……

ガツン、と、後頭部を殴られたようだった。ショックで目が冴えて、心臓がどくどくと脈打ち出した。

目を見開いたあたしに何かを察したのか、青年は笑みを深めた。

「思い出した?」
「……正解なのか、まだ分からないけれど」

だって、この予想が当たっているのなら、本当に久しぶりだ。そりゃあ顔を見ただけじゃ分からないって。

「それじゃ、答え合わせをしよう」

あたしが元々かけていた席に座り、青年がテーブルに頬杖をつく。もう片方の手の指を1本だけ上げ、くるくると宙に回す。

「さあ。ミヤコ。俺は誰?」

彼の声はあの頃よりも低くなっていたけれど、あたしの名前を呼ぶその声色は、あの頃から少しも変わっていなかった。

「……おにいちゃん……クロロ、お兄ちゃん?」

ピタリ、その指が止まり、あたしを指した。

「正解。久しぶりだな、ミヤコ」
「クロロお兄ちゃん!」

感極まってテーブルを乗り越えたあたしを、10年来の友人は強く抱きとめてくれた。



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