ヘタなナンパはお断り?
お昼時から外して休憩をとったはずなのに、美術館に近いカフェは混雑していた。どうやら今日はコーヒー1杯無料のサービスデーらしい。別のお店にしようかとも考えたけれど、今日はここのハンバーグランチの気分だった。
店内を見回して座れる席を探す。カウンターは空いていなかったが、窓際のテーブルに座れそうだ。
さっさと席に着いてウエイトレスを呼ぶ。小さな正方形のテーブルが2つ向かい合った席だ。本来2人用らしい席を占領するのは少し気が引けたけれど、さっさと食べて席を空ければ問題ないだろう。
予定通りにハンバーグランチを注文し、携帯端末を取り出して仕事用のメールを確認する。それも一段落したところで、ナプキンスタンド横の特別デザートメニューのディスプレイが目についた。仕入れの関係で1週間限定販売のフルーツタルトらしい。添えられた写真の中で、艶々のグラサージュでおおわれた色とりどりのフルーツが輝いている。すっごく美味しそうだ。
……デ、デザートを食べるちょっとの時間くらい、居座ってもいいかな?
「相席いいですか?」
悩んでいたところで、突然声をかけられた。やっぱり混んでいるらしい。デザートは諦めてさっさと退店するべきだろうか。
「あ、はい。ど……う、ぞ……」
慌てて振り向いた、その返事が尻すぼみになってしまった。
衝撃で固まるあたしに気づいているはずなのに、その人は涼しい顔で向かいの席に腰かけた。ランチのメニューを眺めて小さくうなる。
「メニューの種類が多いな。君は何を頼んだんだ?」
「ハ、ハンバーグランチを」
「あ、いいね。俺もそれにしようかな」
相席者が店員を呼び止める。愛想の欠けたウエイトレスに注文を終えると、彼はわずか首をかしげ、あたしに微笑みかけてきた。
「俺の顔に何かついてる?」
「ご、ごめんなさい。なんでもないです」
ついジロジロと見すぎてしまった。慌てて目をそらしたあたしに、彼は「気にしないで」と優しく声を返した。
気にしないでいられるわけがない。だって、この目深に被ったニット帽、大きな黒目が印象的なベビーフェイス。そしてなにより、彼の体を包むオーラの圧。
相席を求めてきた男は、今朝美術館で見た、あの念能力者だった。
背中に冷や汗が流れる。どうして彼がここにいるんだろう。
まさか、あたしの後をつけてきたとか?いやいや、そんなはずはない。どこぞの戦闘狂でもあるまいし、念能力者を見かけるたびにちょっかいを出していたら、時間と命がいくらあっても足りない。そんな厄介なことを進んでする奴がそうそういるはずがない。
――そう、念能力者。彼はあたしが『そう』だと気づいているはずだ。それなのに、わざわざこうして関わってくるなんて、やっぱり何か意図があるのだろうか。
そっと向かいの席に視線を戻す。男がテーブルに肘をつき、上向いた手で顔を支え、こちらを見ていた。
「ひえっ」
「そんなに警戒しなくたって、別に取って喰いはしないさ。君と相席したのだって偶然で、本当に席が空いていなかったからだ」
男が示した指先を追って店内を見渡す。確かに満席だ。ちょうど入店したカップルがイートインを諦めて飲み物をテイクアウトしている。
「な?」
「……そうみたいね。変に疑ってごめんなさい」
「わかってくれたならいいんだ」
素直に頭を下げれば、男は再び笑顔を返してきた。好青年らしい爽やかな笑顔だ。きらり、と効果音が付きそう。
今まで、そこそこ能力者に会ってきたけれど……その経験をもって断言する。やっぱりこの笑顔は嘘くさい。爽やかな念能力者なんてものがいるわけがないのだ。
そうこうしているうちに、あたしの分のご飯が先に運ばれてきた。熱い鉄板に落ちたソースが音を立てている。遠慮せず先にいただくことにしよう。
丸く分厚い肉のかたまりにナイフを入れる。溢れ出した肉汁が熱せられ食欲をそそる匂いが広がる。一口サイズに切り分けたそれを頬張れば、口いっぱいに旨味が広がった。噛むほどにパンチの強い肉の味がダイレクトに伝わってくる。
ヤバい。すっごくおいしい。このクオリティでパン・サラダ・スープ付の800ジェニーって、採算は大丈夫なのだろうか。コーヒー無料デーといい、このお店の気前の良さが心配だ。
つい無心で食べ進めてしまう。美味しいものを食べるときって無言になっちゃうよね。
「君さ」
もくもくと食べ進めていたところで声をかけられた。男の黒い目が再びあたしを見つめている。
「俺とどこかで会ったことある?」
「……え、何。ナンパ?」
口の中のものを咀嚼し、飲み込んでから答える。ナンパだとしても、タイミングがおかしくないか。そういうのは対面した最初に言って、会話のきっかけとかにするもんじゃないのか。
男は心外だと言わんばかりに肩をすくめる。
「好みじゃないよ」
……それはそれでムカつく。
「美術館で会ったでしょ。というか、すれ違っただけだけれど」
返事は少しそっけなくなってしまった。しかし男はまったく気にしている様子はなく、訳知り顔で頷いている。
「なるほど、あそこか。確かに、あれだけ混んだ場所なら、能力者とすれ違っても気づかないかもな」
「……あなた……いや、なんでもない」
何か試されているのかと思ったけれど、彼の表情に嘘やごまかしは見られない。……どうやら彼は、あたしがあの展示室にいた警備員だと気づいていないらしい。ということは、彼が相席を求めてきたのも、ホントの本当に偶然のようだ。
「それじゃあ君も『貴婦人の悪意』が目当てで?」
「あー、うん、まあ」
「やっぱり!」
濁したあたしの返事にも、彼はまるで子供のように目を輝かせた。
「あれは最高の美術品だ。石自体の美しさもさることながら、ネックレスとしてのデザインもいい。華美ながら洗練されている。サイドストーンがピジョンブラッドを見事に引き立てているよ。そして何よりも、その逸話が素晴らしい」
捲し立てる男はとても嬉しそうだ。もしかして、宝石オタクか美術商か何かなんだろうか。
「知ってる?あの宝石を『貴婦人の悪意』たらしめた皇后は、かつては温厚篤実な才色兼備で、多くの民に慕われていたらしい」
「ああ、うん。宝石を手にいれたときから、突然狂っちゃったんだっけ?」
事前資料に詳しい逸話が書かれていた気がする。
「そう。あの宝石は、元は彼女が治めていた地方貴族の妻のものだったんだ。ある時、貴族が集まる宴の最中でその宝石を目にした皇后は、その輝きの虜になってしまった。どうにかその宝石を手に入れようと策略を巡らせ、結局はその妻を処刑してしまったんだ。さらに、謂われない罪で妻を殺されたことを抗議した貴族をも処刑してしまう。……そうして狂ってしまった彼女は、後に3千人の処女の命を奪ってしまうわけだ」
凄惨な話だ。少なくとも食事中にするような話じゃない。
男の分のランチが運ばれてきた。あたしは残りパンひと切れとスープが半分だ。
「元々皇后の中に狂気が眠っていたのか、宝石が宿す魔力がそうさせたのか。あの宝石をこの手にしてみれば、その真実が分かるのかもしれないな」
「そうね。あたしはそんなのはお断りだけれど。……ごちそーさま、お先に」
伝票をとって立ち上がる。店内の混雑はまだ解消しそうにない。デザートはまたの機会にしよう。……明日、おやつ時にでもここに来るよう誘ってみようかな。
男が小さく手を振ったので、それに頷いておいた。多分もう2度と会わないだろうけれど(というか、出来るだけ念能力者なんかとは関わりたくないけれど)、去り際に悪印象を残しておくのは本意じゃない。
レジに向かいながら、食事を口にしたらしい男が小さく「……美味いな」と呟いたのが聞こえた。あたしのお店じゃないんだけれど、ちょっとだけ誇らしい気持ちになった。