生きるためのお話 | ナノ

襲撃

 
夜の美術館は気味が悪い。

「なんか出そう。肖像画の美女が笑いかけてきそう」
『ガキかよ。……ああ、いや、ガキだったな、お前』
「うっさいわ!」

そのガキに、こんな夜中まで働かせているのは誰だっつーの。

とはいえ、こうして気を紛らわせてみても、やっぱり夜間巡回は気が進まない。
必要最低限に落とされた照明の中、懐中電灯を片手に館内を廻る。自分の足音が妙に大きく反響し、展示物を照らす懐中電灯の灯りが不気味な影を作る。石膏とか、特に怖い。

うう、こんなことなら、外を巡回している他の警備員と交代してもらえば良かった……!

私設美術館とはいえ結構な規模だ。展示の内容も内容なので、夜間は4人体制で巡回警備を行っている。ジェイクは全体の統括なので管理室で待機、あたしが館内を巡回し、残りの2人が館外を見回っている。

内心ビクビクしつつ、インカムの向こう、管理室のジェイクへと報告する。

「特別展示室異常なし、『貴婦人』の所に移動しまーす……ところでさ、ジェイク。ずっと聞きたかったことがあるんだけど」
『無駄口たたいてんじゃねぇよ』
「え、ごめん」
『ったく。……で、何の用だ?』
「あ、フツーに答えてくれるんだ」

ツンデレかよ。男のツンデレとか嬉しくないんだけど。

「ジェイクはさあ、なんであんな場所――天空闘技場なんかにいたの?」
『……なんだ、俺は闘技場には向いてないって?負けた俺に対する嫌味か?』
「違うっての!」

なんだか今日のジェイクは面倒くさいな。

「天空闘技場に出場するのなんて、よっぽどの戦闘狂か、もしくは腕っぷしで一攫千金を狙いたいっていうバカでしょ。でも、ジェイクはそのどちらでもないじゃない。好戦的なのはそうだけど暴れたくてたまらないってキャラでもないし、ちゃんとした仕事だって持ってる。ってか、大企業の御曹司な訳だし。目的がお金でもスリルでもないのなら、じゃあ何故あんな場所にいたんだろうって思ったの」
『……まあ、隠すようなことでもないしな』

面倒くさそうに鼻を鳴らし、けれど意外と丁寧にジェイクは答えてくれた。やっぱりツンデレなんだろうか。

『ぶっちゃけて言えば、腕試しだ』
「腕試し」
『ああ。親父の為に使っているこの力で、どれだけやれるのかを知りたくてな。……ま、結局は、10も年下のガキに負けちまったんだが』
「うわあ、心が痛い」
『ハッ、ぬかせ』

でも、ジェイクとあたしは、元々の土俵が違うのだから仕方がない。あっちは守る側、こっちは壊す側だ。力を表すだけならば、どちらが場馴れしているかなんてことは分かりきっている。

ふと、気になる言葉があった。

「……ん?親父のため?」
『まあな。あの人には恩がある。それは俺だけに限ったことじゃなく、俺たち兄弟全員に共通することだ。俺たちはその恩に報いるために、それぞれ自分が役に立てる分野で親父の力になろうとしてるんだよ』
「恩?」
『ああ』

インカムから聞こえてくる声に少しだけ熱がこもった。

『あの人は、1度愛した女を決して裏切らない。気の多い人なのは確かだが、誰にでも見境なく手を出している訳じゃねえ。子供にも平等な愛情を持って接してくれている。金持ちの情人が跡目を争うのはよくある話だが、俺たちの間にそんなことは起きえない。親父のことを、ひいては親父が愛した人間のことを信頼しているからだ。あの人が自分達を平等に思ってくれているのが分かるから、あの人に与えられたすべてを受け入れ、納得できるんだ』

普段の彼からは想像できない穏やかな口ぶりだ。彼の父親に対する尊敬の念が伝わってきた。
ジェイクのその気持ちは、あたしにも分かる。大好きな人のために何かをしたいと思うのは、きっとすべての人に共通する思いだろう。

「その、自分が役に立つ分野っていうのが、ジェイクの場合、これだったってこと?」
『荒事に向いているのが、俺と4番目だけだったからな。そっちは親父の身辺警護をしてる』
「へえ」

きっと兄弟仲もいいんだろう。
正直、彼ら一族に対して、下世話な勘繰りをしたことはある。あたしだって人間だ。ワイドショーを騒がすような醜聞についつい聞き入ってしまうことも少なくない。
けれど彼らは、そんなあたしの想像からかけ離れた、実に穏やかで良好な仲を保っているらしい。

「……なんか、ゴメンね」
『は?』

とても素敵な家族の形だ。

『貴婦人の悪意』が飾られている部屋に着いた。
壁に備えられた電盤を操作して、閉じられていたシャッターを開ける。業務用懐中電灯の強い光を反射し、赤い宝石が輝いた。

部屋の中央、展示ケースの真横に立つ。部屋の隅々までチェックを済ませ、再びインカムを通して語りかける。

「第4特別展示室、異常なし」
『了解。こちらでも確認した。そのまま管理室に――あ?』

普段から愛想のない声が、より一層低くなった。

「何?」
『なんだこれ……ああクソっ!おいミヤコ、お前今第4特展室だな!?室内に入ってるな!?』
「え?う、うん。何、どうしたの?」
『繰り返せ!“SE4にて異常発生”!』
「えっ、SE4にて異常発生っ!」

そう叫んだ瞬間だった。
あたしの真横に突然扉が出現し、その向こう側から、血相を変えたジェイクが飛び出してきた。

「……は!?何、あんた今どこから!?」
「話は後だ!」

後ろ手に勢いよく閉められた扉は、そのまま霞がほどけるようにして消えてしまった。
その様には覚えがあった。ナインが消えるときがあんな感じだ。

「念?しかも今の感じ、具現化系の能力……ジェイクって変化系じゃなかったの?」
「言っただろ!腕試しだって!」

なるほど。闘技場で見せたあの能力は、開発途中のお試しでもあったわけだ。

ジェイクが中央の展示ケースに駆けよる。特殊な鍵と生体認証でケースのロックを解除して、中から『貴婦人の悪意』を取り出した。懐にネックレスをしまい込むその顔は、いつも以上に険しい悪人面だ。

「それより、トラブルだ。見ろ」

そう言ったジェイクの右手に機械が握られていた。20センチ四方程度のモニターだ。液晶には建物の平面図と、その中で点滅する赤と黄色の点が1つずつと、動き回る4つの黒色の点が写し出されている。
モニターはオーラを帯びている。これも彼の念能力だろうか。操作系か、具現化系か。先ほどの扉の出来や闘技場での戦闘に変化系の能力を選んでいた辺り、きっと後者だろう。

「このモニターに写るのは、『現在の俺の仕事場』と『その中にいる人間』だ。この平面図はこの美術館の内部を、赤い点は俺自身を、黄色の点は俺が入場を許可した人間を、黒い点は無許可の人間を表している」

モニターにあるのは、赤色と黄色が1つずつ、黒が4つ。

「……今夜、夜間巡回をしてるのって……」
「館内が俺とお前、館外に2人だ。数分前、ひとつは正面玄関を横切った辺りで、もうひとつは裏手の非常階段の半ばで、突然反応が消えた」
「黄色が黒に変わった、とかは?」
「あり得ない」

断言するジェイクの表情が、事の重大さを雄弁に物語っている。多分、外の2人は、無事ではないのだろう。

再びモニターを見る。黒い4つの点――侵入者たちは、三方に分かれたようだ。1つは非常階段付近にとどまり、2つは常設展示室がある本館へ、最後の1つは特別展示室がある別館……つまり、あたしたちがいる方へと移動している。

ナイフを取り出し、ナインを出現させる。

「応戦する?」
「いや。脱出を最優先する」

ネックレスの収まる胸元を握りしめ、ジェイクは眉をしかめた。

「侵入者はそれ相応の手練れだ。全滅の可能性がある以上、俺は蛮勇であるより、託された至宝を守ることを選ぶ」
「了解」

部下の無事が絶望的であることに、怒りや後悔がないはずがない。それを圧し殺せるのは、彼が常から人の上に立つことを、そうある人のことを意識しているからだろう。被害を最小限に、最善の成果を出すことを前提とした考えだ。

「ここから最も近い非常口は、北端の螺旋階段よね?」
「ああ」

第4特別展示室は、別館2階東側に位置している。北端の非常口である階段に向かうには、1度廊下に出て回廊を経由し、そこから北に進まなくてはならない。
回廊は吹き抜けだ。別館の正面入り口に居れば確実に視界に入る。最悪、侵入者と鉢合わせる可能性もある。

「さっきの能力で脱出できないの?」
「不可能だ。あの能力は部下から救援要請があった場合のみ発動できる」

つまり、移動先に意志疎通を図れる部下がいる必要があるわけだ。

「お前、確か拘束系の念能力だったな。もしもの場合、足止めは可能か?」
「何とも言えない。相手が飛び道具を使っていたときは難しいかも」

ナインの糸で拘束できるのは生物に限る。例えば、弾丸なんかを防ぐことはできない。そもそも長距離戦を想定した能力ではないのだ。

ジェイクが片眉を跳ね上げた。あ、こいつ今、「使えねーな」って思ったな。

「使えねーな」
「口でも言ったー!?」
「声を抑えろ、状況が分かってねーのかっ。……よし、侵入者が第1特展に入った。行くぞ!」
「りょ、了解ッ」

駆け出したジェイクに続く。

廊下を抜けて回廊に出る。侵入者の姿はない。このまま北に進めば、無事に脱出できる!
しかし、現実はそううまくいかないものだ。

南北を走る廊下に足を向けた時、背後で扉が開く音がした。思わずといった様子で振り返ろうとしたジェイクの背を押し、先を促す。

「走れ!」

こちらに気付いた侵入者が、階段を昇る音がした。駆け出したあたしたちの背中を、嫌なオーラが舐める。明確な殺意が、見えない刃となって肌を刺してくるようだ。

ダメだ。追い付かれる。
本能が警鐘を鳴らし、あたしはとっさに懐から小瓶を取り出していた。

「ジェイクごめん!」

小瓶を床に叩きつける。警戒した侵入者が飛び退いた気配がした。
けれど、もう遅い。
毒の成分が瞬間的に空気中に広がる。呼吸はもちろん、粘膜からも吸収されるそれは、驚くべき早さで対象の動きを麻痺させる。

背後でどさりと物音がした。侵入者が倒れたのだろう。
同じように、床に顔から突っ込みそうになったジェイクを抱えあげ、廊下の北端まで駆け抜ける。そのまま非常ドアを蹴破った。
階段を降りる手間さえ惜しく、ジェイクを俵抱きにしたまま、地面に飛び降りる。着地時の衝撃が伝わったらしく、肩口のジェイクが低い呻き声を出した。

「あ、ごめん」
「て、めェ……」

抗議してくる声が小さい。舌まで麻痺しているのもあるだろうが、それ以前に、呼吸すらうまく出来ていない可能性がある。

死角となる壁にジェイクを寄りかからせる。同じく懐から液体の入った小瓶と注射器を取り出し、ジェイクに投与する。

「南の大陸原産の植物の樹液でね。抽出した成分を加工すると、強力な麻痺毒になるの。半日程度で効果は抜けるはずだけれど、解毒はしておくわ。粉末状で使用するなら密閉空間が1番効果が高いんだけど、さっきみたいな場所でも、一応足止め程度には使えるわね」
「……恐ろしいモン持ち歩いてやがるな」

早くも解毒剤が効いたらしい。乱れていた呼吸が整うと、ジェイクは額に浮かんでいた汗をぬぐった。

「だが助かった。……すぐにここを離れるぞ」

立ち上がるジェイクを支えようとした手は振り払われた。
モニターを確認しながら移動するジェイクに続く。幸いなことに、誰とも遭遇せずに従業員駐車場までたどり着くことができた。

並んだバイクを確認し、ジェイクが鍵とヘルメットを投げて寄越す。

「二手に分かれたい。運転はできるか?」
「大丈夫」

ゾルディックにいた時に、大抵の運転技術は叩き込まれている。

ヘルメットを被りバイクに跨がる。ジェイクがハンドサインを送ってくる。あたしが建物の右から、ジェイクは左から脱出するらしい。

2人で同時に走り出す。夜の闇に、2台分のエンジン音が鳴り響いた。

出来るだけ目立つように、バイクを空ぶかししながら走らせる。侵入者は相当厄介な相手だ。ジェイクを信用していない訳ではないけれど、足止めの手段があるあたしが会敵した方が、2人とも無事に逃げられる可能性が高い。

本館の角を曲がるとき、何かが空気を震わせたのを感じた。強いオーラの圧だ。

パン、と乾いた音がして、体が傾いた。咄嗟にバイクから飛び降りる。運転手を失いバランスを崩した鉄の塊が、哀れに地面を転がっていった。
すっかりフレームが歪んでしまったバイクの前輪に何かが刺さっている。……木の枝だ。どうやらこれでタイヤを攻撃されたらしい。
いやいやいや。あり得ない。タイヤのゴムって、すっごく固いのよ!?

体勢を整えようとしたあたしに、2撃目が飛んでくる。
後転して避ける。さっきまであたしがいた場所に何かが刺さっている。さっきと同じ、変哲のない木の枝だ。ただし、オーラを纏ったそれは、通常の刃なんて目でもないほど頑強で鋭い武器になっている。

「何だっつーの!」

枝が飛んできた方に目をやる。正面玄関の上、2階のテラスに、男が立っている。黒い髪に大きな瞳、少年のようなベビーフェイス。隙のない出で立ち。
……最悪だ。やっぱり念能力者なんて、ロクなもんじゃない。

朝はすれ違い、昼はカフェで相席をした、あの青年が、そこにいた。

あたしに気付いた青年は、かすかに笑ったように見えた。

青年がテラスから飛び降り、真っ直ぐにこちらに突っ込んでくる。その手に握られているのは、大振りのナイフだ。
体をひねって攻撃を避け、青年に背を向けて走る。この男は強い。交戦するのは得策じゃない。逃げられるなら逃げるべきだ。

1度遠ざかったバイクの音が近づいてきている。異変を察したジェイクが戻ってきてくれたのだろう。

背後から襲ってくる凶刃を避ける。刃先が掠り、僅かに首の皮膚を裂いた。静電気のような衝撃が走り、そこから全身に熱が広がっていく。この感覚、毒だ。勝利を確信した青年の口元がわずかに弧を描く。
けれど、あたしにそんなものは通用しない。

ナイフを繰り出したその腕を掴む。青年の目が見開かれた。

「ナイン!」

あたしの呼びかけに応え、ナインが念糸を噴出する。
動きの止まった青年の顔面に、直接薬瓶を投げつけた。蓋が外れ、中の液体が皮膚に付着した瞬間、彼の大きな目が見開かれる。

子蜘蛛のいたずらナインズウェブを展開したまま、青年と距離を取る。糸の拘束力が弱まり、動きを封じられていた青年の体が痙攣し始めた。
……薬が効いたらしい。さっき館内で使ったものと同様の麻痺毒だが、こちらは皮膚からも吸収されるよう、液状化と高濃度化を施している。

バイクのヘッドライトがあたしたちを照らした。スピードを上げながら、騎上のジェイクがあたしに向けて手を伸ばしている。

「ミヤコっ!」

ジェイクの手を掴み、バイクへと飛び乗る。

背後を振り返る。念の範囲から完全に出たことで、青年はその場に崩れ落ちた。地面に手を付き、頭を上げ、予想外に必死な顔をしてこちらを見ている。

その目は、何故か泣きそうで、けれどやっぱり笑っているように見える。
微かに、だけど確かに動いたその唇は、あたしの名を呼んだ気がした。



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