生きるためのお話 | ナノ

深紅の宝石、黒い瞳

 
『という訳で、協力しろ』
「なんであたしが」

納得できない。批判を込めて言い返せば、携帯電話の向こう側から舌打ち混じりのため息が聞こえてきた。

『しょうがねぇだろ。あの人は言い出したら聞かないんだ』
「そんなこと言われても……大体、最初にそっちが変に誤魔化したのが悪いんじゃん」
『だから、その分報酬は弾むって言ってンだろ。相場の4倍だぞ、4倍』
「うーん」

煮え切らないあたしに、電話の相手――ジェイクは不可解そうに声を低くする。

『どうしてそうも頑なに断る?頼んでいるこっちが言うのもなんだが、お前にとっちゃ悪い話じゃないだろう?太客からの信頼をより強固にするのも仕事の内だろ』
「それはそうなんだけどもー」

そうなのだ。だからこんなに悩んでるんじゃないか。

散々悩んだあげく、条件付きで了承の返事をしたのが2週間前のこと。

あたしは今、ダグズワイルドの私設美術館で臨時の警備員をしている。

この美術館では、一昨日から特別企画展が開催されている。エイジアン大陸のとある旧王朝の至宝が世界中から集められ一堂に会しているのだ。1週間という短い期間での限定公開ではあるものの、私設美術館としては異例の企画で、ニュースにも取り上げられていた。

さて、それじゃあなぜ、その企画展に警備員という形であたしが参加しているのか。
そもそものきっかけとしては、1ヶ月前、ジェイクがあたしを「過去の仕事仲間だ」と父に紹介したからだ。

ジェイクは父親の系列子会社である警備会社の代表を務めている。代表といっても、彼は現場にでずっぱりで、経営の方は他のスタッフに任せているらしい。ジェイクらしいやり方だ。
そして今回、この私設美術館で特別企画展を開催するにあたり、彼の会社が警備を担当することになったのだという。

ところが、開催まであと20日となったところで、トラブルが発生した。
ジェイクの会社には、彼を含めて4人の念能力者が在籍している。しかしその3名の能力者が、別件で立て続けに負傷してしまったのだ。

今回の企画展の目玉となるのは、お宝中のお宝、至宝中の至宝、『貴婦人の悪意』と呼ばれる装飾品。なんちゃら王朝の第3代皇后が3千人の処女の血に浸したと伝えられるピジョン・ブラッドのネックレスだ。大きな非加熱ルビー自体の希少性に加え、その残虐な逸話のインパクトも相まって、数億の価値があると言われている。
そのお宝を護るためには、一般人の警備では不安が残る。もしもの場合に備えて念能力者の配置を計画していた、その矢先のトラブルだった。

この事態に、ジェイクは新たに能力者を雇うことで対処するつもりだった。その報告と了承を、美術館の館長でもある父に相談したところ、その新入り候補に、まさかのあたしの名が上がったのだという。

「開催まで時間がない。今から募集をかけて選考するよりも手間が省ける」
「だが、あいつは薬士ですよ!?」
「しかし、お前は以前、彼女と仕事をしたんだろう?彼女も警備の仕事に携わったことがあるということじゃないのか?」
「そ、それは……」
「それに年若いとは言え、ミヤコくんもゾルディックの者だ。実力は折り紙つき。有事の際の荒事はお手の物だろう」

――という風に、あの時のごまかしが下手を打った訳である。強く否定できないまま、ジェイクは父親に圧しきられてしまったらしい。

ジェイクから依頼の電話が来た時は随分悩んだものだ。

自分の職種以外の仕事を請け負うことが誉められた行為ではないということは分かっている。けれど、断るにしたって、あのダグズワイルドからの頼みなのだ。これで機嫌を損ねるような器の小さい御仁ではないとは知っているが、心証を良くしておくに越したことはないだろう。

……だが、時期が悪く、その企画展が開催される週に、あたしにも外せない用事があった。それが受諾を渋った理由だ。

結局は彼の頼みに押しきられて、1週間昼夜問わずフルの依頼だったところを、期間中の中日、1日だけお休みをもらうことを条件に、この仕事を引き受けることとなった。

展示が開始されて3日。今日まで特に大きな問題もない。

今日もいつもと同じように部屋の隅に立ち、例の宝石に見とれる人々を観察する。企画展は繁盛していて、朝からひっきりなしに観覧客が訪れている。

人的対策以外にもここのセキュリティは強固だ。『貴婦人の悪意』は5メートル四方の部屋の中央にただひとつ設置された特別ケースの中に展示してある。展示室への入場は1度に5名まで、観覧は5分間の入れ替え制だ。更に、生半可な衝撃じゃ壊れない強化ガラスを使用した展示ケースを台座ごと動かそうものなら、即座に部屋のシャッターが降り、下手人は中に閉じ込められる手はずとなっている。

5分が経ち、係員が入れ替えの指示を出す。

人が居なくなったタイミングを見計らって、そっと警備服の首元を整えた。
着なれない制服は肩がこる。その上、顔の半分をマスクでおおい、体格をごまかすためにチョッキも何枚か重ね着しているから、息苦しいことこの上ない。
この変装も、あたしみたいな可憐な少女が警備員をしていることを来館者に悟らせないためだ。この国は成人年齢が他よりも若干低い分、未成年の就労に厳しい。あたしにこの国の法律が適用される訳ではないけれど、ダグズワイルドに妙な噂が立っても困る。
伸びた髪を帽子に押し込んで、さらに身長をごまかすために厚底のブーツを履く。見た目じゃあたしの性別も歳も分からないはずだ。そもそも『絶』を使っているから、あたしがこの場に居ることに気付く人すらほとんどいない。

管理室のジェイクからインカムに通信が入る。

『ミヤコ。次のグループにいる優男に注意しろ』
「了解」

短く返事をして、次に入場した人たちに目を向ける。40代ほどの夫婦、中年の男性、初老の女性、そして指示にあった若い男性。

ひと目見ただけでジェイクが警戒した理由がわかった。
男は、念能力者だ。

まだ10代後半くらいだろうか。深い知性を湛えた大きな黒目が印象的なベビーフェイスだ。ニット帽を目深に被っているせいで、余計に幼く見える。

思わず姿勢を正してしまったあたしを気にすることもなく、男はじっと正面の宝石を注視している。彼の『貴婦人の悪意』を鑑賞するその目は真剣そのものだ。
その姿に、あたしは少しだけ警戒を解いた。いくら念能力者が珍しいとはいっても、存在するところには存在しているものだ。能力者全員が悪者って訳じゃないし、それに、美術品鑑賞が好きな能力者がいても不思議じゃない。あまり警戒しすぎて彼の気を散らしてしまうのも忍びない。

あっという間に5分が経過し、観覧者交代の指示が出された。皆、滅多に見られない至宝を名残惜しげに振り返りながらも部屋を後にする。

男が退室する寸前、一瞬だけ彼と視線が交わった。どうやらあたしの存在に気付いたらしい。
彼の暗く黒い瞳は、誰かに似ているような気がした。



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