生きるためのお話 | ナノ

あなたのことが分からない

 
解散後、1人でどこかへ行こうとしたイルミを引き止める。少しだけ驚いたような顔をした兄の腕を引き掴み、自室へと向かった。

「何」
「いいから来いっての!」

大体、聞きたいのはこっちの方だ。

部屋に入る。睨みあげるあたしに気付き、イルミは心底不思議そうにあたしを見返した。

「何、ミヤコ」
「それはこっちのセリフよ。何、さっきの」
「さっきのって?」
「あたしが、あんたの、お、おおお……お嫁さん……に、なるって話!」
「ああ」

そんなことか、とでも続きそうだ。
腕を振ってあたしの手から逃れたイルミは、勝手に人のソファに腰掛けた。足を組んであたしを見上げる。

「別に問題はないだろ」
「大有りだっての!だってあたしたち、兄妹でしょ!?」
「血は繋がってない」
「そ、そうだけど……例えそうでも」

例え、血がつながっていなかったとしても、あたしたちは兄妹じゃないか。この10年、共に過ごしてきた日々は嘘だったというのか。

彼にとって、これまでの日々は、これまでの関係は、そんなに簡単に否定できてしまえるものだったのか。

心臓が痛い。目がチカチカする。柄にもなく泣き出してしまいそうだ。
胸を抑えるあたしに、イルミは肩をすくめる。

「家族の形が兄妹から夫婦に変わるだけだ。何も問題はないだろ」

……何言ってんだ、こいつ。
呆れた。涙が一瞬でどこかへ吹き飛んでしまった。
やっぱり、何も分かってなかったんだ。だからあんなに気安く賛成してしまえたのか。

「あのね、あんた……感情はどうなるのよ」
「気持ち?」
「そうよ。あんたの感情、あたしの感情」
「感情ならあるだろう。俺はお前を愛してるし、お前も俺を愛してる」
「そうじゃない。いや、間違ってはないけど、根本的に違う!兄弟間と夫婦間じゃ違うでしょ、親愛と恋情は違うのっ」
「?問題ないだろ」
「大有りよ!」

イルミが首をかしげる。……そんなに自信満々に分からないって顔をされたら、こっちのほうが間違っている気がしてくる。あれ、あたしが言ってることって、一般常識だよな?

「兄弟とは恋愛しない、結婚もしない!」
「だからそれは血のつながりがある場合だろ。俺たちは違う」
「それでも精神的なつながりは……っ!そ、それに、その、夫婦ってのは……いっ、いろいろあるでしょ!?」
「例えば?」
「だっ、だから、夫婦になるってことは……その……愛情の結果というか、行為が伴うっていうか……」
「はっきり言えよ」
「だからっ、そのー……夫婦になるってことは、子供をさー……」

言い淀むあたしに、イルミは怪訝そうに目を細めた。ややあって、ポンと拳を打つ。

「ああ、セック」
「ぎゃあーっ!」
「ミヤコ、うるさい」

そんな直接的に言うな!
顔が赤くなっているのを自覚する。恥ずかしさに殴りかかったあたしの拳を受け止め、イルミはため息をついた。

「つまりお前が心配しているのは、俺がお前を抱けるかどうかってこと?ミヤコに欲情すればいいのか?」
「抱け、欲っ……ま、まあ、ちょっと違う気がするけど。それも一要因よ。そんなの無理でしょ!?だから」
「出来るよ」
「……は?」

何言ってんだ、こいつ(2回目)。

自分の耳を疑う。驚愕に目を見開くあたしを真正面に捉え、イルミが口を開く。手を握られる力が強くなった。

「俺はお前を抱けるよ」
「なっ……」
「俺はお前を愛してる。だから結婚も出来るしセックスも出来る。お前が心配することは何もない」
「……イルミは、勘違いしてる」

頭が痛い。話が通じない。目の前にいるのは見知った義兄なのに、まるで宇宙人と話しているみたいだ。

「あんたがあたしを愛してくれてるのは知ってる。でもそれは、肉親への親愛であって、異性への情欲じゃない。あんたがあたしを愛しているのは、あたしがイルミの『家族』で『妹』だからよ。愛情には分類があるの。あんたは『妹であるあたし』を愛しているのであって、『女のあたし』を愛することは出来ない」

イルミは愛情を混同している。愛情には分類があるんだ。親族に向ける愛情は、異性に対するものとは違う。親愛と恋愛は違う。置き換えることのできないものだ。
家族への強い執着心と独占欲。それは確かに、狂おしいほどの恋情に似た、けれど別の何かだ。

「愛情の種類を勘違いしないで。妹を女として愛するなんてこと、あんたには無理。無理に決まってる」

だって、あたしたちはこの10年、兄妹として過ごしてきたんだ。あたしもイルミも、この年月を覆すことなんて出来ない。あたしは確かにイルミの妹で、イルミはあたしの兄だ。血が繋がっていなくても、妹を女として愛するなんてこと、出来るわけない。誰よりも『家族』というものを重んじるイルミには無理だ。

見下ろすあたしの言葉を受けながら、何故かイルミは眉を寄せる。

「よーく考えてよ、イルミ。あたしはあんたのことを思って言ってんのよ。一度了承しちゃったら、もう後戻りは出来ない。キキョウママのことだから、仮面夫婦じゃやり過ごせないよ。孫の顔が見たいとか言って、無理やりにでも、その……子供を、作らせるくらいのことはするわ。そうなったら後悔どころじゃ済まないって。あんただって、そんなのは嫌でしょ?だから、もっとよく考えて……」
「しつこいな」
「何……わっ」

どこか苛立ったような声だった。

腕を引かれた。思いのほか強い力にバランスを崩してしまう。ソファに腰掛けたイルミにもたれかかるような体制になった。
離れようと少し腰を浮かしたところを抱え込まれ、横抱きに座らされる。

「びっくりした。何すんのよ」
「実力行使。分からず屋に思い知らせてやろうと思って」
「は?っんむ」

疑問の続きは聞けなかった。

口を何かでふさがれたから。

視界がイルミの目元でいっぱいになる。驚きで開いた口内に、生暖かい何かが滑り込んでくる。反射的に押し返そうとしたそれは、逆にあたしの舌を絡めとり、口の中で暴れまわった。慌てて引っ込めれば、逃がさないとばかりに吸いとられる。肉厚な感触が歯列をなぞり、上あごをくすぐっていく。

何、これ。いったい、何が起こって。

撫でられて、絡められて、吸われて、甘噛みされて、くすぐられて。背中の下から、お腹の奥から、淡いしびれが襲ってくる。

2人の間で、ぴちゃりと、水音がする。

「ふっ、は」
「ミヤコ」

離れたと思えば重なって。重なったかと思えば離れて。まともに息継ぎが出来ない。もう、訳が分からない。
イルミの顔が目の前にある。離れようとした後頭部を押さえられる。腰に回った手がゆっくりと背中を撫で上げる。首筋を、耳をくすぐられる。頭から爪先に電流が走る。彼の服を掴んだ手が震える。

兄の目が、ピントが合わないほどの至近距離であたしを見つめている。

最後に強く舌を吸われ、背中がぞくりと粟立った。
濡れた音をたてて、兄の顔が離れていく。

「……っ……は……ぁ」
「どう」

どう、って、何が。

混乱するあたしを見下ろして、イルミは低くささやく。

「これで分かった?」
「……わ……分かった、って……何が。イルミ、今、何を」

くらくらする。舌が痺れて上手く喋れない。

「俺がお前に欲情できるかどうかの証明。……これだけじゃ足りない?」

あたしを見下ろす強い視線。黒い瞳の奥に、ほんの少し、針の先ほどの熱を帯びて。
知らない。こんな顔初めて見る。これは誰だ。

イルミがあたしの手をとる。その手を、下に。

「ほら」
「っ!?」

言葉通り飛び上がったあたしは、出来るだけイルミから距離をとって壁に張り付いた。
ばくばくする心臓を押さえつける。違和感がある口元をぬぐえば、手の甲に液体がついた。
唾液だ。

カッと顔がほてる。

今、あたし、あたしたち、何をした!?

「イルミっ!」
「何」

睨みつけるあたしに、イルミは何でもなさそうな声で返事をする。いつの間にか、彼はいつもの無表情に戻っていた。

「あ、あんた、自分が何したか、分かって……っ!」
「分かってるよ。お前が聞いたんだろ。俺はそれを証明しただけ」
「証明って、あんたっ」
「本当に分かっていないのはお前の方だ。俺の気持ちを知りたかったんだろ」

イルミが立ち上がる。身構えるあたしに、イルミはゆっくりとした足取りで近づいてくる。

「ずっと言っているだろう。愛してるって」
「なっ……」
「妹だとか女だとか、そんなことは関係ない。愛情の分類だとか関係ない。どうでもいいんだ。俺は、ミヤコを、妹としても女としても愛することができる」
「や、やだ……」

違う。イルミは勘違いしてるんだ。執着と恋情を勘違いしてる。独占欲と情欲がごちゃまぜになっている。だって、そうじゃないとおかしい。イルミがあたしに惚れるわけがない。こんなのはおかしい。間違ってる。普通じゃない。
だってあたしたちは兄妹で。例え血がつながっていなくても、この家でずっと一緒に過ごしてきた兄妹で。

一歩ずつ、ゆっくりと、イルミはあたしに近づいてくる。

「待っ、ちっ、近寄らないでっ……」
「俺はお前を手放さない。お前はずっと俺のそばにいればいい。家族として、妻として」

逃げようにも背後は壁だ。目の前に迫ったイルミに、逃げ道をふさぐように両腕で挟み込まれる。

「愛してるよ、ミヤコ。妹としてのお前も女としてのお前も、その両方を愛してる」
「も……もう、やめて……」
「お前はどうだった?」

緊張と驚愕と羞恥で固まるあたしの肩に触れ、兄が――兄だった男が、低く耳元でささやいてくる。

「俺とキスをして、何を感じた?」
「あっ、あたしは……!」

だっておかしい。こんなのおかしい。あたしたちは、兄妹だ。兄妹なのに。おかしい。

頭の中がぐるぐるする。目の前が暗くなって、耐え切れずにひざをついた。
うつむくあたしに、イルミの声が降ってくる。低い声は、まるで呪詛のようだ。

「俺の気持ちは決まってる。後は、お前次第だよ、ミヤコ」

視界の隅で、彼が踵を返したのが見えた。扉を開ける音、閉める音。
やがて気配が遠ざかり、部屋が静寂に包まれた。

あたしは自分の肩をかき抱く。

「……なんで……」

なんで。どうして。

あたしたちは兄妹なのに。血はつながっていなくても、確かに、兄妹として過ごしてきたのに。この10年は、2人にとって、家族にとって、かけがえのない月日だと信じていたのに。

兄を男として見るなんて、そんなこと、考えたこともなかった。

けれど、何よりもショックなのは。

「だって、気持ち悪くなかった」

兄だと思っていた男とキスをして、嫌悪を抱かなかった自分だ。一瞬でも気持ちいいと思ってしまった自分だ。
抵抗しようと思えば出来たはずだった。混乱でうまく頭が働いていなかったけれど、本当に嫌なら、反射的に突き放せたはずなんだ。

嫌じゃなかったなら、それなら、イルミとのキスは嬉しかったってこと?
……違う。そんなはずない。もしもそうならこんなに苦しくない。彼との接触が嬉しかったなら、こんなに心臓が痛むわけがない。

頭が痛い。胸が痛い。かみ締めた唇から血がにじんで、口元が濡れた。さっきの感触を思い出して、目の前がくらくらした。

訳が分からない。こんなのおかしい。



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