青天の霹靂
目まぐるしく、慌ただしく、けれど確実に日々は過ぎていった。
決して穏やかだとは言えないけれど、幸せか、と聞かれたら、あたしは迷わず頷くだろう。
愛情にも恵まれている。あたしの手には有り余るほどのお金もある。趣味も仕事も充実している。大好きな人たちに囲まれて生活出来ている。まったく不満がないという訳じゃないけれど、そこまで言ってしまうのは単なるワガママだ。今でも十分に幸せな人生だ。
あたしは幸せだ。
けれど、終わりというのは、いつも突然訪れるもので。
本日の修行も終わり、休む直前だった。
自室に戻ろうとしたところで呼び出され、向かった部屋には、あたし的ゾルディック家ビッグ3が揃っていた。
つまり、シルバ、ゼノ、キキョウの3人だ。
真新しい藺草のにおいが香る和室で、あたしは3人の前に敷かれた座布団に正座した。
視線があたしに集まり、無意識のうちに背筋がのびる。
……なんか、嫌な予感がする。この3人がまとめてあたしに用事だなんて、絶対に良い話ではない。ただの仕事の話じゃないことは確かだ。
「……あたし、何かやっちゃったっけ?」
「いや」
「ミヤコちゃん、お茶はいかが?お菓子もあるのよ」
「あ、ありがとう、キキョウママ」
シルバが否定し、キキョウが手ずからお茶を淹れてくれた。美味しい。もちろん毒入りだけど。
熱い緑茶をなめつつ、3人の大人を観察する。ニコニコと上機嫌のキキョウと、彼女ほどではないにしても気楽な様子の男たち。何か深刻な話が行われるという気配はない。
それでも、3人の視線を一身に浴びてしまえば、緊張することに変わりはない。気分はまな板の上の鯉、塩コショウされたステーキだ。あとは調理されるのを黙って待つだけ。……あ、鉄板焼き食べたくなってきた。
「あの、それで、話って……?」
「少し待て。そろそろあいつも来る頃だ」
「あいつ?」
あたしの隣にはもう1枚座布団が用意されている。
襖が開く音がした。
いつものように、足音もたてず、イルミが部屋に入ってきた。あたしたちを見て不思議そうに首を傾げる。
「親父だけじゃなかったんだ?」
「ああ」
「ふうん」
自分から聞いたわりに、興味なさそうだ。
1度だけ部屋を見渡し、イルミはあたしの隣に腰を下ろした。正座はせずに片膝を立てて座る。ここら辺があたしのようなチキンとは違う。
あたしたち2人を正面に、シルバは静かに口を開いた。
「10年」
「え?」
「ミヤコをこの家に迎えて、10年がたった」
「ああ……」
そっか。もうそんなになるんだ。
あの日、キキョウに手を引かれてこの家にやってきて、もう10年がたった。いろんなものを見ていろんなことを体験してきたけれど、今思えば、あっという間の10年間だった。月日を思い返す暇がなかったとも言えるけれど、それはそれで充実した日々だったってことだ。
なんだか感慨深い。不覚にも熱くなった目頭を隠すように、あたしは彼らに向けて深々と頭を下げる。
「この10年、本当にお世話になりました」
彼らの元で生活して、彼らに指導されていなければ、とっくにのたれ死んでいたかもしれない命だ。感謝してもしきれない。
「この家を出ても、受けた恩は忘れません。いつか必ずお返しします」
「いや。その必要はない」
「うっ」
ばっさり断られた。
そ、そりゃあゾルティックの面々は、金銭的にも権力的にも、あたしみたいな小娘の助けを必要とするような場面なんてないような方々だけれど。でも、この10年お世話になったあたしの気持ちを汲んでくれてもいいと思うんだ。
「で、でも、あたしだっていつか大物になるかもしれないし。それに、困ったときにはいつでも力になるし、人手が足りないときとかにも呼んでくれればっ!」
「ああ、違う。そういう意味ではない」
「へ?」
何がどういう意味?
あたしはよっぽど面白い顔をしていたらしい。ゼノが哄笑し、キキョウは扇で口元を隠しながら肩を震揺らし、シルバまでもが愉快そうに目を細めた。何だか、今までにないほどに和やかな空気だ。
「ここから出ていく必要はないということだ。契約期間が終わったとはいえ、お前はこの10年間、よくゾルティックに尽くしてくれた。そんなお前を捨てるはずがない」
「ま……マジでっ?」
「マジじゃとも」
シルバの言葉に絶句するあたしに向け、ゼノが頷く。
それってつまり、あたしはまだこの家にいてもいいってこと?家族だって言ってもいいってこと?どうしよう、感動で泣いてしまいそうだ。
「そもそも、途中で追い出す気があったなら、はじめからワシらのことを祖父だとは呼ばせんさ」
「ゼノじいちゃん……」
「……まあ、使えないのならばそれまでとは思っとったがな」
「ゼノじいちゃん!?」
それは、役に立たなければ捨てられていたってことですか?それとも、殺られてた?優しいのか厳しいのか判断に困るところだ。
自分でも知らない内に命の危機に晒されていたらしい。真面目に修行してて本当に良かった。過去の自分にグッジョブだ。
なんだか心臓がバクバクしてきた。すっかり冷めてしまったお茶を飲み干す。思っていた以上にカラカラだった喉が急激に潤って咳き込んでしまった。
「そういうことだ。お前が受け入れるのであれば、改めて、オレたちはお前を家族として迎えたいと思う」
「それは」
断る理由がない。すごく嬉しい申し出だ。
あたしだって彼らが好きだ。気難しいところも常識では括れないところも多々あるけれど、この10年を共に過ごして、あたしは彼ら家族が大好きになった。
許されるのなら、まだこの家にいたい。孤児のあたしを受け入れてくれた彼らと一緒にいたい。あたしを本当の家族にしてほしい。何年たっても家業には慣れないけれど、彼らの元にいれるのならば、それだって立派にやり遂げてみせる。
即答しようとしたあたしの言葉は、しかし首を振ったシルバによって止められた。
「だが、キキョウがそれでは不満らしくてな」
「っえ」
「お袋が?」
これまでずっと黙っていたイルミが驚いたように声をあげた。
驚いたのはあたしだって同じだ。まさか、キキョウに反対されるとは思っていなかった。
この家に連れてこられた時から、彼女は溢れるほど愛情をあたしに注いでくれた。それこそキャパオーバーで溺れてしまいそうになるほどだ。血の繋がりなんてないのに、まるで我が子のように良くしてくれた。
そんなキキョウが、まさかあたしを受け入れるのを拒否するなんて。むしろ、他の誰が反対しても、彼女だけは味方でいてくれると思っていたのに。
動揺を隠しきれないあたしの視線を受け、キキョウは首を振った。
「そんな顔をしないで、ミヤコちゃん。私も、あなたを家族として迎え入れること自体は大歓迎なのよ。むしろ、ずっとそうしたいと思っていたわ」
穏やかな口調が、その言葉が本音だと語っていた。
知らず知らず詰めていた息を吐く。どうやら嫌われていた訳ではないらしい。握りしめていた拳には爪が食い込んでいた。
「じ、じゃあ、何に反対してるの?」
「だって、ミヤコちゃんは女の子でしょう?」
「は?」
予想外の言葉だった。
呆気にとられたあたしの前でキキョウは頬に手を当ててため息をついた。「困ったわー」なんて副音声が聞こえてきそうだ。
「いくらこの家にいてもらいたいと思っても、あなたは女の子でしょう?いつか好きな人が出来て、お嫁に行ってしまうかもしれない。そんなのってないわ。せっかく家族になったのに、すぐに嫁いでしまっては意味がないじゃない。ミヤコちゃんにはずっと側にいて欲しいのに」
「いや、それは……考えすぎじゃない?」
いくらなんでも気が早すぎる。男連中も頷いてるし。
「そんなことはないわ。ミヤコちゃんはとっても可愛くて魅力的な子だから、きっと沢山の殿方から引く手数多よ」
若干引き気味の周囲をよそに、キキョウのテンションは高い。な、なんだかすごい親バカっぷりだ。嫁入りだとか、そんなこと、当の本人は今まで考えたこともないってのに。
「だから、その対策を講じないことには、おいそれとは頷けないと思っていたのだけれど……でもね、私、思い付いたの。嫁入り先をこの家にしちゃえばいいんだわ、って」
「……ん?」
聞き間違えかな?
一瞬止まった思考は、養母によってすぐに引きずり戻された。
「ねえ、ミヤコちゃん。あなた、イルミのお嫁さんにならないかしら?」
「……………は……………」
はっ!?
何言ってるんだこの人。嫁?嫁って言った?嫁っていうのは、あれか?お嫁さんのこと?結婚?結婚するって?誰が?あたしが?誰と?イルミと?
あたしが、イルミの、お嫁さん?
「……………はあっ!?」
何言ってんだこの人!?
思わずイルミと顔を見合わせる。兄はその大きな目を驚きに見開いていた。珍しく動揺を露にしている。猫だましされたみたいな顔だ。
「ちょっ、ちょっと、キキョウママ!?何ふざけてんの!?」
「あら、ふざけてなんかないわ。とってもいい案だと思うのだけれど。ねえ、アナタ?」
「まあな」
「パパまでっ!?」
頷いたシルバにぎょっとする。まさか彼までこんな案に賛成だとは。
「初めは何を馬鹿なことをと思ったが、血の繋がりがある訳でもないからな」
「どこの馬の骨とも分からん者を輿入れさせるよりは、素性も実力もはっきりしとるしのう。その逆もまた然りだ」
ゼノまで頷いている。味方がいない。敵だらけだ。
……いや、1人だけいた。こんな馬鹿げた提案なんて真っ向から否定してくれそうな当事者が、隣にいるじゃないか。
「ねえ、イルミもなんとか言ってやってよ!こんなのおかしいって!」
「俺はいいけど」
「ほら!イルミだってこう言って……は」
はあっ!?
いつの間にか、イルミはいつもの無表情に戻っていた。あぐらを組み直し、冷めた目でじっとシルバを見ている。
「いいよ。俺は賛成」
「ちょっ……ちょっと、イルミ!?自分が何を言ってるか分かって……」
「良かった!」
パン、とキキョウが両手を叩く。シルバとゼノが感慨深げに頷く。
「イルミもこう言っていることだし。どーお、ミヤコちゃん?」
「ど、どうって……!」
「親としての贔屓目を抜きにしても、イルミは超優良株だと思うのだけれど。顔良し、体良し、力もあって経済力もあるわ。不満なことなどないと思うのだけれど」
不満はなくても問題があるんだって!
「けっ、結婚しなくても、家族にはなれるんじゃ」
「言ったでしょう。あなたを手放すことに怯えて暮らすなんて、私、嫌だわ。……それならいっそ……」
いっそ、なんなんですか、キキョウママ!?
あたしには想像できない、何か恐ろしい考えが浮かんでるんだろう。一瞬だけどす黒く沸き上がったオーラに、自分の頬がひきつったのを感じる。
彼女はあたしへとにじり寄り、白魚のような指先であたしの両手を取った。スコープで隠されていても、その奥でキキョウの目が輝いているのが分かる。
「返事を聞かせてくれる?」
4人の目が、あたしを見つめている。
「……………か……………」
針のむしろだ。
「……か……考えさせて、下さい……」
前方から、真横から、痛々しいほどの期待の視線で射られ、あたしはそう答えるしかなかった。