生きるためのお話 | ナノ

after the X day

 
と、いう訳で。
ヨルビアン大陸のとある小国、とある街、とある高級クラブの屋上である。

今夜は風が強い。乱れる髪を撫で付けていると、見かねたイルミが髪を結ってくれた。気が利く。
黙ってされるがままになりながら、あたしは手元の資料に目を落とす。

「人は見た目によらないもんだねー」

今回のターゲットである男の顔写真を見る。痩せぎすの老人だ。好々翁然とした容貌とは裏腹に、汚職・脱税・詐欺・殺人幇助・麻薬密売・人身売買・密輸に至るまで、ありとあらゆる悪事に手を染めてきた悪党らしい。

「でも、良かったの?ウチのお得意様でもあるんでしょ、この人」

人は見た目によらないを体現する男、顔だけならどこぞの王子様、けれどもその実態は凄腕の暗殺者である兄が、淡々とした口調で返事する。

「例え上客でも、それが依頼なら殺す。それだけだよ」
「さいですか」
「それにこの男、上客気取りなのか知らないけれど、最近はよく報酬の支払いを渋ってたからね。ちょうど良かった」
「……さいですか」

何がちょうど良いのかは詳しく聞かないでおこう。

下のクラブの前に車が横付けされる。ターゲットの車だ。車種もナンバーも、迎えの時間さえミルキの調べ通りだ。今回はちゃんと仕事をしてくれたらしい。

ボーイがクラブの重厚な扉を開く。着飾った若い女と腕を組みながら、ターゲットが姿を表した。
男の動きを観察する。酔って気持ちが高揚しているのだろう、声が大きい。気分良さげに目を細めながら、ホステスにキスをせがんでいる。楽しそうだ。

「良かった」

幸せな気分のまま殺してあげられる。それがあたしに出来るせめてものはなむけだ。

髪に触れるイルミの手が離れ、ポンと軽く背中を叩かれた。

「じゃ、後はいつもの通りに」
「うん」

短く交わした言葉を合図に、あたしは屋上から体を踊らせた。

体を包み込む空気の抵抗。胃がせり上がる不快感。耳をつんざくような風切り音。けれどそれも一瞬のことだ。重力に従うまま、すぐに地面が近づいてくる。

音もなくターゲットの背後に着地する。突然頭上から現れた少女の姿に、ボディーガードの動きが一瞬止まった。その隙を見逃すあたしじゃない。
ターゲットが振り返るよりも先にナイフを構える。男の急所に狙いをつける。後は、首を掻き切るだけだ。いつものように。いつも通りに。

ナイフの切っ先が男の首に突き刺さる、あと数センチのところで、何かにその動きを阻まれた。

「なっ」

刃先が何かに掴まれていた。指だ。節くれ立った長い指。たった2本の指で挟まれているのに、それだけでナイフが動かせなくなる。
素早く視線を走らせて相手を確認する。筋肉のついた腕。しっかりとした肩。太い首。三日月のように歪んだ口元。

鮮烈な赤。

離せなくなる目。

「っ、ナイン!」

あたしの呼びかけに合わせて具現化したナインが、即座に糸を噴出した。

ナインの念糸が蜘蛛の巣状に展開する。懐から銃を取り出そうとしていた黒服の手が、車に逃げ込もうとしていたターゲットの足が、ナイフを掴んだ男の指が、悲鳴を上げながら駆け出そうとしていた女の動きが止まる。あたしの円の範囲内にいた全員が、ナインの糸に四肢を絡め取られる。別のナイフを取り出したあたしを止められる人間なんていなかった。

ターゲットの首にナイフを突き刺す。肉の弾力を押しきって掻き切れば、すぐにそこから血飛沫が噴き上がった。視界が緋色に染まる。

ターゲットの体が傾いだのも確認せず、あたしは慌ててその場から駆け出した。

背後から何人ものうめき声が聞こえた。イルミが黒服たちの始末をしてくれたんだろう。

大通りから離れて路地を駆け抜ける。心臓がうるさい。息が切れそうになるのは、全速力で走っているせいじゃない。

彼の気配が、追いかけて来ていた。

それはまるで弄ぶかのように、一定の距離をとって追いかけてくる。背中に彼の視線が突き刺さる。どれだけ振り払おうとしても相手はピッタリと着いてくる。……どうやら、今回は見逃してくれるつもりはないらしい。

予定していた合流場所には、イルミの方が先についていた。

その背中に慌てて身を隠す。こんなことをしても無駄だとは分かっているけれど、それでも抵抗せずにはいられない。
シワが出来るほど強く服の裾を握り込まれて、兄は深い溜め息をついた。

「本当、ミヤコと組むと面倒ばかり」
「今回は絶対にあたしのせいじゃない!」

前回だってあたしのせいだとは認めない。

もはや涙目のあたしと、再び溜め息をつくイルミ。そんなあたしたち2人の元に向けて、路地の角からヤツの気配が近づいてくる。

男は悠然とした足取りで姿を表した。

「やあ。数日ぶりだね」
「……なんで……」

なんで。なぜ、どうして、どうしてどうしてどうしてどうして!

「なんであんたがここにいるのっ、ヒソカ!?」

指をさされ、それでも楽しげに笑っているその男は、数日前に飛空艇で別れたはずの殺人狂だった。

「……ストーカー?」
「ヒソカ、だよ。ボクはヒソカ。……今回は本当に偶然なんだよね」

信じられないとばかりに眉をひそめるイルミに対して、ヒソカは肩をすくめてみせる。

「嘘じゃないってば。飛空艇でキミたちと別れた後、ゾルディックに狙われた男がいるって情報を手にいれてね。その男がボディーガードを募集していたから、応募したんだ。もしかしたら天下の暗殺一家にまみえるかもしれないと思ってね。ボクは、強い相手と闘うのが趣味だから」
「悪趣味!」
「そうかい?でもそのお陰でキミたちと再会出来たんだ。……まさか、キミたちがそのゾルディックだとは思わなかったけれど」

そう言うヒソカの視線は、狂喜に満ちていて。

背筋に悪寒が走る。やっぱり、この人、怖い。
あたしの肩口でナインが震えだす。あたしの分身でもあるナインは、あたしの感情を敏感に写しとる。この子も恐怖を感じているのだろう。

「これって運命だと思わないかい?」
「思わない。気持ち悪い」
「イルミはつれないなぁ」

吐き出すように返された言葉にさえ笑みを深めながら、ヒソカはこちらに1歩足を踏み出す。

「さっきの、あれはキミの仕業かい、ミヤコ?その蜘蛛が現れた途端、まるで糸か何かに四肢を絡め取られたみたいに体が動かなくなった。変化系の念糸にしては、拘束してきた『何か』の感触がはっきりしていた。具現化系かな」
「きっききき企業秘密です!」
「その反応じゃ、正解だって言っているようなものだけどね」
「ああっしまった!?」
「ミヤコ……」

本日何度目かのイルミの溜め息。ば、馬鹿にされている。
クスクスとヒソカが愉快そうに笑う。

「キミは突然のトラブルに弱いタイプみたいだねェ。さっきだって、ボクに攻撃を止められて、一瞬動きが止まってた。ボクにそのつもりがあったら死んでたよ。もっと周囲にも気を配らないといけないよ」
「ご忠告どーも!」

同感だと言わんばかりにイルミが見下ろしてくる。すみませんねえ、なかなか克服出来なくって!

「でも、その歳でそれだけヤれるなら充分だ。成長すればきっとおいしく熟すことだろう。楽しみだね」
「言ってろ、変態」

冷たく吐き捨てて、イルミは踵を返した。あたしの背中を押して「帰るよ」と促してくる。
……いや、あたしとしても、さっさとこの場を離れたいのはやまやまなんだけれど、果たして彼がそれを許してくれるのだろうか。

案の定、立ち去ろうとするあたしたちをヒソカが呼び止めた。

「おや。遊んでくれないのかい?」
「断る」

にべもない。
けれどイルミは立ち止まって肩越しに振り返った。こういうところ、彼は律儀だ。

「お前にとっては趣味でも、俺たちにとって、殺しはビジネスなんだ。仕事が終わった以上、お前の相手をする必要なんてない」
「逃がさない、って言ったら?」
「やってみろよ。出来るものならね」

瞬間、空気が張りつめた。

さっきの反省を活かして平静を装いながらも、あたしは内心大慌てだった。2人とも、数日前のあの時みたいに殺気全開じゃないにせよ、一触即発の睨み合いであることに変わりはない。

……どうしよう。能力を使うべきだろうか。
今のあたしが展開出来る円の最大範囲は、半径12メートル。念能力である『子蜘蛛のいたずら(ナインズウェブ)』の有効範囲もそれに準じている。あたしからヒソカまでの距離は目測で10メートル。能力の範囲内だ。
けれど、この能力は、展開する範囲が広くなるに従って、対象を拘束する力も弱くなってしまう。彼ほどの手練れの動きを完全に封じるには、5メートル……いや、せめて3メートル以内にまで範囲を狭める必要があるだろう。
ヒソカだって馬鹿じゃない。さっきのであたしの能力を警戒しているはずだ。簡単に近寄っては来ないだろう。

さあ、どうする。ヒソカはどう出る。

けれど、そんなあたしの警戒は杞憂に終わった。

「ま、いいや」
「……へ?」

一瞬で場の空気が解けた。
ふっと息をつき、ヒソカは肩をすくめた。さっきまでの狂喜が嘘みたいだ。

「今回はキミたちの正体が知れただけでも良しとするよ」
「……ほんとに?油断させといて、後ろからザクッ!とかしない?」
「しないしない。どうせヤるならベストな状態で楽しみたいからね。……それに、キミたちの所在も分かったんだ。それで充分だよ」
「げっ」

そうだった。あたしたちがゾルディックだってバレたってことは、当然どこを住み処としているかも知られてしまったってことだ。

イルミが舌打ちする。

「……やっぱり消しておくか」
「す、すすすすすストップ、イル、ストぉーップ!」

針を構えたイルミを慌てて止める。せっかくあのヒソカが引いてくれたんだ。より面倒なことが起きる前に、さっさとここから立ち去るべきだ。

「こんなの放っといて、早く帰ろうよ!」
「こんなのって、ヒドイなぁ」
「ぎゃあーっ!?」

暴言を投げかけられたのにも関わらず、ヒソカは恍惚に身を震わせた。こ、怖い。前世ではこんな彼の行動にも笑っていられたけれど、実際に目の当たりにすると、こう、背筋にゾクッとくるものがある。
嫌いじゃないんだけど、むしろキャラクターとしては好きだった方なんだけど。こうなった今となっては、出来るだけ関わりたくない人物だ。

イルミがヒソカを一瞥する。まるでゴミを見るような目だ。

「ミヤコ、行くよ」
「え、あ、うん」

歩き出したイルミを慌てて追いかける。背中を向けても、ヒソカが何かしてくる気配はない。
試しに少し振り返ってみる。当然、こちらを見つめるヒソカと目が合う。満面の笑みで手を振ってきた。
こ、怖い。慌てて前を向き直すと微かな笑い声が聞こえた。

「またね、ミヤコ」

かけられた声に返事はしなかった。

路地裏から充分な距離を取り、彼の気配が微塵も感じられなくなった頃、あたしはようやく詰めていた息を吐き出した。
良かった。あそこでヒソカと再会したときはどうなるかと思ったけれど、どうやら無事に帰ることが出来そうだ。

「ミヤコ」
「なっ、何!?」

突然呼ばれて息を飲む。イルミの声がわずかに怒気をはらんでいる。な、なんで怒ってんの?

「予定変更。お前は天空闘技場には戻らずに、家で修行のやり直し」
「え」
「あの変態の言う通りだ。ヤツにその気があったら、お前はあの場で死んでたよ。それじゃ困るんだよね。だから、家に帰って鍛え直し」
「え……ええー!?」

そんな!せっかく、やっとキルアに会えると思ってたのに!

「せ、せめて一目だけ、一目だけでもキルアに……っ!」
「却下」
「この鬼ー!悪魔ー!うわーんキルアに会わせてよー!」

懇願は聞き届けられなかった。こうなった以上イルミは頑として首を縦には振らない。
や、厄日だ。本当にイルミと仕事をするとろくなことが起こらない。

チクショウ、ヒソカめ。これも全部あいつと出会ってしまったせいだ。全部全部ヒソカのせいだ。そう思わないとやってられない。

いつかまた再会することがあったら覚えてろよ!?

あたしたちがゾルディックだと知ったヒソカがイルミを指名して依頼をしてくるのが、それから数ヵ月後のこと。やがて彼が兄のお得意様になってしまうのは、そんなに遠くない未来の話だ。



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