生きるためのお話 | ナノ

甘くて苦い

 
イルミに連れて行かれた先は、闘技場内にある、こじゃれたカフェだった。
こんな場所にある割に、上質なコーヒーとおいしい軽食を提供してくれるが、値段設定は少々高め。質より量をとる体育会系男子が大多数を占めるここではあまり人気がなさそうに思えるが、意外や意外、そこそこ繁盛している様子である。

空いているテーブル席に腰掛けると、すぐに可愛い制服を着たウエイトレスさんがメニューを持ってきてくれた。

「俺はブレンド。こっちはオススメのケーキとロイヤルミルクティー」
「かしこまりました」

人の分までさっさと注文を終わらせてしまう。さっきから一言も喋れてないぞ、あたし。

長い足を組み替えながら、イルミの瞳があたしを見つめる。さっきまでの怒りのオーラはなりを潜めているが、あまり機嫌がよろしいとは言えないようだ。

薄い唇が、さて、とつぶやく。

「反省してる?」
「はい。そりゃあもう、山より高く海より深く」

テーブルに額をこすりつける勢いで頭を下げる。
キルアのことに関しては、本当に反省している。あわや命の危機だったのだ。うっかりで済む話ではない。何を言われたとしても反論できない。

きっとボロボロに罵られるだろう。その覚悟とは裏腹に、あたしに落とされたのは、意外にもあっけらかんとした言葉だった。

「そ。ならいいよ」
「……怒らないの?」
「今回の件に関しては、キルにも問題があるしね。お前がそばにいるからって油断してたんだろ。いつだって口にするものには用心しないといけないのに、それを怠ったキルにも落ち度はあるよ」

キルアも同じことを言っていた。
責任なんて感じなくてもいいのに。子供は庇護される存在だ。すべてはあたしの管理不足が原因なのに。

真っ向から責められるよりも落ち込んでしまう。うつむいたあたしの頭にイルミの声がかかる。

「それよりもミヤコ、お前にはもっと反省すべきことがあるだろ」
「へ?」
「念を使うなっていう俺との約束、まさか忘れていた訳じゃないだろうな」

その言葉に、はっとして顔を上げる。
さっきまで引っ込んでいたどす黒いオーラがまた復活していた。心地よい雰囲気の店内が、重苦しい空気に包まれていく。カップを磨いていたウエイトレスが動揺して食器を取り落とした。

「わ、忘れてました」
「ふうん?」

イルミが片方の眉を上げた。あたしに向けられるオーラの圧力が増す。空気にあてられたマスターが手元を狂わせてコーヒー豆をぶちまけた。

た、確かに約束を忘れてたのは悪かった。悪かったけれど、だからって、なんでそんなに怒ってんの!?

兄の長い指が戸惑うあたしに伸びる。
殴られる!?慌てて首をすくめたけれど、覚悟していた痛みはいつまでたっても襲ってこなかった。

代わりに、頬に触れる低い体温。

「さっさと殺せばよかったのに」

誰を、なんて、はっきり言われなくても分かった。
見た目よりも硬いイルミの指先が、あたしの頬についた傷をするりと撫でていく。3日前の試合で付けられた傷跡は、うっすらと、いまだ体中に残っていた。

「そうすれば、念を使う必要も、怪我することもなかっただろ」
「……だって、ジェイク、強かったし」
「違うだろ。出来もしない手加減をしようとするから悪いんだよ」

呆れたようにため息をつかれる。表情自体の変化こそ乏しいが、意外とイルミは感情表現そのものは豊かだ。
イルミの指先があたしの頬をすべる。その動作は存外に優しい。

「お前が今まで教わってきたのは、人を殺す術だ。こんな場所でやってるような、格闘技に毛が生えたようなものとは違う」
「……それが何よ」
「相手のレベルに合わせる必要はないって言ってるんだよ」

再びため息をつかれる。

「はじめから殺す気で行けば、あの程度の相手に怪我をさせられるはずも、念を使う必要もなかったんだ。お前を鍛え上げた俺が言うんだから間違いない」

頬の傷に軽く爪を立てられる。地味に痛い。

「お前が得意なのは、勝負じゃない、殺し合いだ。その差を無理に埋めようとするから、あんなヘマをすることになる。禁じていた念能力まで使わないといけなくなる」
「……………」
「相手を殺したら失格だなんてルールはないんだ。それならためらうことはない。その方がずっと楽でシンプルだ。さっさと殺れば良かったんだよ」
「……あーもー、分かってるっての!もういいじゃん、ちゃんと勝ったんだからさッ」

頭を振るけれど、イルミの手はあたしから離れなかった。
兄の黒い眼がまっすぐにあたしを見据える。

「……まったく、お前はいつまでたっても甘いままだね」
「どーゆー意味よ……ってちょっと、痛い痛い、ちょっとイルミさん、傷口えぐれてるってば!?」

頬の傷をぎりぎりと引っかかれた。ふさがっていた傷が開いて、赤い血があごへと滴り落ちていく。

突然何をしてくれるんだ。こんなに目立つ場所に跡でも残ったらどうすんのよ!?

払いのけようとしたあたしの手が届くよりも先に、イルミはあたしの頬から手を引いた。形のいい爪の隙間に、あたしの血が入りこんでしまっている。
結構な出血量だ。慌てて傷口を押さえた紙ナプキンが真っ赤に染まっていく。

「もーいきなり何すんだっての!」
「ま、いいさ。そんな考えで、どこまでやれるか試してみれば?俺はさっさと受け入れた方が今後のためだと思うけど」
「だから何の話……え、帰るの?」
「うん」

ちょうど飲み物が運ばれてきたところだったのに。香り高く湯気を立ち上らせるカップに目もくれず、イルミは椅子から立ち上がる。結局何がしたかったんだ、この男。

カウンターの向こうからこっちを見たマスターが、若干不機嫌そうに眉を寄せたのが分かった。ああ、そうですよね、ここのブレンドコーヒーはお店の看板商品ですもんね。それを試しもせずに出て行かれるとなっちゃあ、侮辱されたと思われてもしかたがない。
どうしよう、あたし結構このお店気に入ってるのに。連れにこんなことされちゃ、今後気まずくなっちゃうじゃんか!

歩き出そうとした兄の手を掴む。

「ちょ、ちょっと待って!」

焦るあたしを見下ろして、イルミは小さく首を傾げる。くっ、本当にこの男、顔だけは綺麗だ。女のあたしより、可愛い仕草が様になっている。

ええっと、なんて言おう。どう言えば、イルミを立ち止まらせることが出来るんだろうか。

「あ、あたし、寂しいなー……?」
「は?」
「も、もうちょっとイルミと一緒にいたいなー、なんて……どう?」
「……ミヤコ、熱でもある?」

ああっ、選択ミスった!?

「ほ、ほら!久々に会ったことだし!もうちょっとお話しよーよ。ね?ね?」
「俺、忙しいんだけど」
「ちょっとくらいいーじゃん!それにほらっ、キルアのことも報告しなくちゃいけないし」
「それもそうだね」

決断早ッ!!
弟の名を出した途端これだ。人のことは言えないけれど、本当、イルミのブラコンは筋金入りである。

ああ、もう、いらない恥をかいてしまった。
慣れないことを言ったせいで、顔が真っ赤になっているのが分かる。乾いた口を潤すために流し込んだ紅茶の味も分かりやしない。ちらりと視線を向ければ、イルミがもう一度席についてコーヒーカップを傾けているところだった。
良かった。これで今後もこの店に来られる。

「これからしばらくキルアの様子も聞けなくなるしね」
「ふ、ふーん。何、長期の仕事でも入ったの?」
「何言ってるの。お前もだよ」
「は?」

その言葉をそのままお返ししたい。

イルミの言葉の真意がつかめずに首を傾げると、長兄はいつもの無表情でこちらを見返してきた。いやいや、だからそっちが何を言ってるんだ。

「あれ、連絡きてないの?」
「まったく」
「来週から、俺とお前で、長期の依頼を担当することになったんだよ」
「へー。どれくらい?2週間とか?」
「いや。最短でも150日」
「長ッ!?」

長期にもほどがある。

「なっ、何でそんなに!?」
「対象が潜伏する国がかなり閉鎖的らしくてね。そこへの滞在ビザが下りるまで、約120日間、その国の役人の管理下で過ごさなくちゃならないらしい。我が国に滞在するに相応しい人物であるか、とかなんとか」
「うわぁ……」
「それから、国内を自由に移動できる資格を得るまで2週間。暗殺の対象を探すのに2週間かかると見て、合わせて150日程度」
「なんともそれは」

面倒くさい。どうしてそんな依頼を受けてしまったんだ。
大方、破格の成功報酬が約束されているんだろう。そうでなければあのゾルディックが動くはずがない。頭が痛くなってくるわ。

「そういう訳だから。8日後に迎えを寄こすよ」
「はーい……」

ということは、その半年の間、キルアを1人にしておかなくちゃならないのか。
心配だ。あの子生活能力低いし、ちゃんと栄養バランスを考えた食事を取ってくれるだろうか。放っておいたらお菓子ばっかり食べちゃうし。今は将来の体づくりに大切な時期だっていうのに。それに、こんなむさくるしい中にあんなにかわいい子を1人で放り出して、悪影響がないはずがないし。

そして、何より。

「うわーん、半年もキルアに会えなくなるなんてー!寂しいよー癒しが足りないよー!」
「いいだろ別に。俺がいるんだから」
「……ソウデスネー……」

そんな風に曇りのない目で言われるとちょっと恥ずかしい。
確かに、さっき寂しいとか言ったのはあたしだけれども。口からでまかせって訳じゃないのが、余計に恥ずかしさに拍車をかける。

紅茶とともにテーブルに並ぶケーキを口に運ぶ。ほろほろと舌の上でほどけるガトーショコラは、思っていたよりも苦い味がした。

「……それで、結局イルミは、どうしてあんなに怒ってたの?」
「……もういいよ。お前が救いようがない馬鹿なのは理解したから」
「え、ご、ごめんなさい?」

訳も分からず謝罪するあたしの前で、イルミは本日数回目のため息をついた。



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