生きるためのお話 | ナノ

幕間.ある兄の独白

 
俺の妹は、すごく変な奴だ。

妹、といっても、血はつながっていない。ミヤコは数年前、突然母さんに連れてこられた。彼女は孤児だった。

なんでも、彼女の死んだ母親というのが、俺たちの母さんの恩人だったらしい。自分にもしものことがあったときはミヤコを引き取って育てるように、母さんと契約をしていたのだという。

あの日、まだ小さな手を引かれ、ミヤコは俺の前へと姿を現した。
格好こそ小綺麗だったが、その手足にはいくつもの小さな傷跡があった。まともな環境で育ったのではないことは一目で分かる傷の量だ。髪も爪も痛んでいる。せっかくの立派なドレスがまったく似合っていない。

みすぼらしい子供は、俺を見て、なぜかキラキラと目を輝かせた。

「ねえ、イルミ。かみ」
「かみ?」
「髪の毛、伸ばした方が、絶対に、似合うと思うの!」
「……………」

いきなり何を言っているんだ、この子供は。

ミヤコに対する第一印象は、変な奴。
数年たった今でも、その印象は大して変わっていない。



「親父?うん、終わったよ……そう。分かった。それじゃあまた後で」

端末の通信を切る。親父に報告も済んだ。これで今回の仕事も終了だ。随分と長い準備期間だった割に拍子抜けするほどあっけない終わり方だ。

ミヤコへ目を向ける。俺から少し離れた路地裏に座り込んでいる義妹は、ぼんやりと空を見上げていた。

その視線を追って俺も空を見上げる。頭上いっぱいに宝石をちりばめたような夜空だ。満天の星空は、今までに見てきたどんな場所のものよりも美しい。
空だけではない。温暖な気候と風光明媚を体現した自然。レンガひとつひとつに繊細な彫りが施された建物。きらびやかな衣装をまとった住人。この国の風景は、どれを取っても美しい。なるほど、数ヶ月にも渡る厳しい入国審査ながらも、それを受けようとする観光客が後を絶えないのもうなづける。
仕事の依頼が無ければ決して訪れることはなかっただろうから、この仕事を引き受けて良かったかもしれない。俺でさえ柄にもなくそんなことを思うほどだ。

視線を戻す。ミヤコはまだ呆けている。
その手には、血で汚れたナイフが握られている。

ミヤコの前には、今回のターゲットが転がっていた。正確には、ターゲット『だったもの』だ。すでに男は事切れている。ついさきほど、ミヤコがその手で止めを刺した。息絶えたそれは、もはやただの物体でしかない。
この美しい景色の中で、ミヤコの周りだけが異質だった。

「ミヤコ」
「んー」

声をかけるも、帰ってくるのは生返事だ。目は半開きで口まで開いている。バカ面だ。
まったく、困った奴。

ミヤコの腕を掴んで体を引きあげる。抵抗しない。あごを掴んでこちらを向かせるが、目の焦点が合っていない。完全に意識が違うところへ向かっているようだ。

あの日。
あの日、ミヤコが初めて人を殺したときも、彼女はこうやって呆けていた。泣くことも怒ることも動揺することもなく、ただ床にへたり込んで、ぼんやりと宙を見つめていた。

壊れてしまったのだろう。そう思った。ストレスに耐え切れず心を閉ざしてしまう人間は少なくないという。ミヤコもそうなってしまったのだろうと思った。

結局、彼女も弱い人間だったのだ。少しは根性のある奴だと思っていたのに。

これ以上ここにいても意味はない。なんだか急速に冷めてしまった俺は、さっさその血なまぐさい部屋を後にしようとした。
けれど、ふと聞こえたその言葉に、俺は足を止めた。

「……た、よ」
「?」
「出来た。殺せたよ。ねえ、シルバパパ、イルミ」

壊れてしまった。そう思っていたのに、顔を上げた少女の瞳はしっかりと俺を見つめていた。

「お願い。もっとあたしを強くして」

生きるために。死なないために。

そう言ったミヤコの瞳には、強い光が灯っていた。

あれ以来、ミヤコは暗殺の依頼を引き受けるようになった。
それは彼女が望んだことだ。生きていけるよう、死なないよう、殺されないように、殺しを覚えることを選んだ。強くなるために殺すことを選んだ。

けれど、その意思とは裏腹に、ミヤコは仕事の後、こうやって呆けてしまうことがある。

きっとコレは、彼女なりの防衛反応なのだと思う。
元々ミヤコは、育ってきた環境のわりに、殺しに対して強い嫌悪と罪悪感を抱いているようだった。その忌むべき行為とそれを行う自分に対する葛藤が、こういう形で出てきてしまうのだろう。一種の現実逃避だ。すぐに回復するので放っておいてはいるが、褒められたクセではない。

こんな拒否反応を起こしてまで、こいつは人を殺す。生きるために人を殺す。それが母親の願いだからという、それだけの理由で。血を流し泣き叫ぶ心を無視して荊の道を選んだ。

死人にとらわれた哀れな子供。
ひどくアンバランスな足取りで進む、愚かな少女。
けれどそれは彼女が望んだ道だ。生きるため、死なないために。

無様で、いびつで、滑稽で。
これを変人と呼ばずにどう表現するんだ。

「ミヤコ。さっさと帰るよ。キルに会いに行くんだろ?」
「……キルア……?」
「そう。はやく準備しな」
「うん」

やっと目の焦点が合う。どうやら戻ってきたようだ。

「死体はそのままでいいよ。どうせ回収されるだろうから」
「分かった」

この国が美しいのは、それを阻む要素の一切を排除しているからだ。
自然のままと見せかけて、その実、その全てに手が加えられている。山、森、海、川、街、人。この国に存在するものはすべて人為的に『そう』であるよう作られたものばかりだ。あらゆる場所に隠された特殊な機械で常に景観を監視し、その美しさを阻むもの全てを回収し廃棄する。それが例え雑草の1本や石ころ1粒であってもだ。この国の美しさは、そうやって保たれている。死人なんてもっての他だ。きっとこの男もすぐに回収し棄てられるのだろう。後には血痕ひとつ残らないはずだ。

俺の手から抜け出したミヤコが撤退の準備を始めた。ナイフに付いた血を男の着ている服で拭い取ると、そそくさと俺の隣に駆け寄ってくる。

「早く帰ろ」
「ああ」

ミヤコが急かすように俺の手を引いて歩き出す。繋がれた手は小さい。出会った頃よりも背は伸びたが、それでもまだ俺よりも随分小さい。

その小さな体に、弱い心で強い思いを抱いて、ミヤコは今日も生きている。
死なないために、約束を果たすために。

死人にとらわれた少女は、今日も死なないために生きている。

「ミヤコ」
「何?」
「やっぱりお前って、変な奴」
「いきなり何よ」

愚かで愛しい、俺の妹。
俺がお前の愚かさを受け止めてやる。愚かなお前を愛してやる。
だからお前は、変わらずに、ずっと俺の側にいればいい。



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