生きるためのお話 | ナノ

いつかお返しは10倍で

 
笑顔が戻ったキルアを残して、100階の会場を目指す。

昇り専用のエレベーターは、今日に限って混雑しているようだ。

なかなか上ってこないエレベーターにやきもきしていると、背後に近づいてきた気配が小さな声を上げた。背中に好奇の視線が浴びせられる。

「おや」
「……何か?」
「ああ、いや。今日はよく子供に会う日だと思って」

振り返った先には、穏やかな雰囲気をまとった好青年が立っていた。眼鏡の奥の瞳がゆるく笑っている。
この殺伐とした戦いの場所には、なんとも不釣合いな男だ。……ま、そこはお互い様か。

けれど、見た目に反し、相当な実力の持ち主だということは感じられた。たたずまいに隙がない。捲り上げた袖からのぞく腕には、しっかりとした筋肉がついている。シャツはよれよれだったが、見たところダメージを受けた様子はない。おそらく、ただ単にずぼらな性格で、アイロンをかけていないだけなんだろう。

少し口を尖らせて見せる。

「子供だと思って甘く見ていると、痛い目にあいますよ」
「ああ、すまない。気を悪くさせてしまったかな」
「別に、いいけど」

本気で怒っているわけじゃない。1階の挑戦者ならまだしも、こんな場所にいる子供が、下町で鬼ごっこをしているような子たちとは違うことくらい、彼だって分かっているはずだ。

ゆるく微笑を浮かべたまま、青年はあたしの横に並んだ。彼もエレベーター待ちらしい。

頭上のランプは、さっきからずっと10階の数字を示している。誰だ、エレベーターを止めてるのは。

「初対面の女の子に向ける挨拶じゃないですよ」
「ごめんごめん。ついね。さっきまで、君よりも小さな子と戦っていたものだから」
「……へえ」

あたしよりも、小さな子、ねえ。

ようやくエレベーターが動き出す。このままスムーズに上ってきますように。そんなささやかな願いもむなしく、上り専用のエレベーターは、直前の40階で止まってしまった。なぜだ。

「どんな子でした?」
「男の子だったよ。まだとても小さいのに、大人よりも強い。才能もある。将来が楽しみだ」

もしかして、育ってきた環境が違うのかもしれないね。
青年がそう続ける。ゆるりとした雰囲気の中に、少しだけ好戦的な色が混じった。……なるほど、こんな場所にいるだけはあるようだ。

ようやくエレベーターが50階に到着する。数人の挑戦者を降ろした鉄の箱に、あたしと彼だけが乗り込んだ。

青年の60階に続いてあたしが100階のボタンを押すと、意外だと言わんばかりに瞳が見開かれる。

「へえ。100階の挑戦者か」
「まあ一応。……ねえ、お兄さん」
「うん?」
「あたし、負けることはいいことだと思うんだ。負けを知らない人間は強くならない、そう思ってる。でも」

強くなるために、敗北を知ることは大切だ。その衝撃が大きいほど、人はそれを乗り越えるため、より大きな力を手にしようとする。その足掻きが人を強くする。きっと、負けることを知らない人間は、自らに酔い、力に溺れ、いつか限界を迎えてしまうだろう。

あたしの突然の言葉に、青年が小さく首をかしげる。同時にエレベーターが動き出し、ゆるく胃を圧迫するような不快感が訪れた。

無敗で勝ち進むより、一度コテンパンにやられた方が、その人の成長につながると思う。
だから、今回、キルアは負けて良かったのだ。

でも、それはそれだ。

「姉としては、弟が泣いてる姿を見るのは、ちょーっといただけないんだよね」

泣き顔も可愛いけれど、できることなら、キルアには笑っていてほしいのだ。

「……なるほど。君は、あの子の」

あたしの言葉に一瞬だけきょとんとした青年が、けれどすぐにその意味を理解して、ふっと唇をゆがめた。
今までの穏やかな笑顔とは違う。戦う者の笑みだ。

「弟を負かした私が憎い?」
「まさか。あの子が貴方より弱かったのが悪いんだから、貴方を恨むのはお門違いでしょ」

いや、まあ、一発くらい殴ってやりたいってのが本音だけれど。キルアのあんなに悔しそうな顔は初めて見たし。
その言葉は飲み込んで、あたしは青年に笑顔を返した。

「むしろ、ここでの初黒星が、貴方みたいな強者相手で良かったと思ってるよ」
「それは光栄ですね」

コレも本音だ。最初の家族以外での敗北が、こんなに強い人でよかった。
キルアにはショックだっただろうけれど、敗北の味は苦ければ苦いほどいい。キルアはそれをバネに出来る。あの子はそれを乗り越えられる強さを持っている。

「おかげで、あの子はもっともっと強くなれる」
「はは。楽しみだな」

到着のベルが鳴り、エレベーターの扉が開いた。青年が60階の床を踏む。すぐに鉄の扉が閉まっていく。
完全に視界が遮断する寸前、青年が振り返り、笑みを消した目であたしを捉えた。

「200階で会おう。君も“使える”んだろう?」
「……その時は、ぜひ」

扉が閉まりきる。

再び動き出したエレベーターの壁に背を預け、あたしは鈍色の天井を見上げた。

「……まいったなあ」

纏はしてなかったのに、なんでばれたんだろう。
あたしが念能力者だって。

一度念を習得した者は、纏をしていなくとも、オーラの流れが常人と変わる。放出されるオーラの流れによどみがなくなり、洗練されるのだという。
けれど、それもほんのわずかな違いだ。
その違いが分かるってことは、あの男、思っていた以上のやり手らしい。

「でも、強いってことは、遠慮なくやれるってことよね」

これで一発殴る理由が出来た。向こうから挑戦状を叩きつけられたのだ、受け取ってやらないと申し訳ない。
いつか200階で会ったときは、本気で相手をさせていただこうじゃないか。



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