『切り裂きジェイク』
『さァーてやってきました、本日のメインカード!200階到達を賭けた2人の猛者によるバトルが!今!まさに!始まろうとしておりますーッ!』
「……こんなにキュートな女の子を捕まえて、猛者ってのはないんじゃなーい?」
そんなあたしの呟きをかき消すほどの熱気が会場中にあふれていた。
大音量すぎてハウリングしそうなアナウンスが響き、客席からもそれに負けないほどの大歓声が上がる。本日の会場は超満員のようだ。
まったく、みんなして物好きなことで。
ライトアップされたリングに上がる。まだ対戦相手の姿はない。
『まずリングに登場したのはミヤコ選手!驚くなかれ、彼女はまだ10代の少女であるにもかかわらず、ここ190階まで無敗、そして無傷で勝ち抜いて来ました!これまでミヤコ選手と戦った相手は、その全員が、この少女の細腕によるものだとは到底思えない強烈な一撃によってKOされています!その流れるような動きは可憐でいて優美!だがその攻撃は冷徹無慈悲!ついた呼び名は≪リトルクイーン≫!さあ、今回はどのようなバトルを見せてくれるのかァーッ!?』
え、なにそれ、呼び名とかはじめて聞いたんだけど。
「は、恥かしッ」
よりによって、クイーンって。兄弟に聞かれたら大爆笑されそうだ。
興奮しきった様子のアナウンスが終われば、それと同時に客席からの歓声も大きくなる。
おい、誰だ今踏んで下さいとか言ったの。一応こっちは思春期の女の子なんだから、そういう教育上よろしくない発言は控えて欲しいもんだ。……いや、この天空闘技場で、情操教育云々を語ること自体が間違いか。ここはいろいろと、子供にとって悪い物だらけだ。
反対側の入場口から、細い人影が現れた。
あたしが入場したときよりも、ずっと大きな歓声が会場内に響き渡る。耳が痛い。この会場の収容人数は分からないが、おそらく数百単位の人々が、みんなして声を上げているのだ。もはや騒音の域である。
今回の対戦相手だろう男がリングに上がる。男はあたしと数メートルの距離を取って立ち止まった。
歳は20代半ばすぎってところだろう。伸びた前髪がうっとうしそうだ。薄灰色の長髪から覗く鋭い目つきがあたしを見下ろしている。
近くに来て分かったことだが、登場前の印象とは違って、この男、別段人と比べて痩せているというわけではなかった。むしろ、むき出しの腕は良質な筋肉がついている。それなのに細身に見えるのは、彼の手足がとても長いからだろう。背も高い。目つきの悪さもあいまって、まるで蛇のようだ。
『さあて、次に登場したのはジェイク選手!こちらもミヤコ選手と同様、190階まで無敗・無傷で勝ち進んで来ました!長い手足から繰り出される光速の攻撃は、空気すらも切り裂くほど!その姿はまさに≪切り裂きジェイク≫の呼び名にふさわしい!その冷たいまなざしに射抜かれたというコアな女性ファンも少なくはありませんっ』
「……うるせぇな」
男ーージェイクの薄い唇から、舌打ちと共に悪態が吐き出される。
うん、それには同意だわ、おにーさん。この本人たちを差し置いて周囲が盛り上がっている感じ、どうも落ち着かない。
あたしたちの間に審判が立つ。試合の形式はいつもと同じ。3分3ラウンドのポイント&KO制だ。
「大層強ぇガキがいるってのは聞いてたが」
ジェイクが口を開く。見た目の鋭さと違い、意外と社交的なのだろうか。高い位置から見下ろす視線が、不躾ではない程度にあたしの全身を見回す。
「……マジでガキだな」
「おい」
前言撤回。こいつ失礼だ。どこかの誰かを思い出す毒舌だ。
『さァて皆さん、ギャンブルスイッチのご用意を!それではスイッチオーン!』
司会の声とともに間の抜けたドラム音が響く。観客席の上部にある電光掲示板に表示されるのは、あたしたちの勝敗をかけたオッズだ。
『おや、観客の勝敗予想は、ジェイク選手に傾いているようです!やはり年齢が考慮されたのでしょうかー!?』
「だとさ」
ジェイクが肩をすくめる。当たり前だろうといわんばかりだ。
あたしも彼と同じように肩をすくめて見せる。
「じゃああたしに賭けてくれた人を喜ばせるためにも、頑張らないとね」
「せいぜい励めよ。手加減は得意だ、すぐに終わらせてやる」
「そーですか」
あいにく、こっちは手加減なんてもの、めっぽう苦手なの。
軽く半身を引いたジェイクを確認し、あたしもゆるく構えを取る。
この男、手加減どうのと豪語するだけはあるようだ。びりびりしたと威圧感が肌を刺す。眼差しが更にきつくなった。
多分、こいつ、強いな。今まで戦ってきた相手とは土台が違う。
でも、そんなの関係ない。
可愛い弟が、今も1人、部屋で待ってるんだ。治療は効いているはずだけど、用心に越したことはない。早く勝って、そばについていてあげないと。
「悪いけど、あたし急いでんの。もし再起不能にさせちゃったりしたらごめんね?」
「ハッ、上等」
にやり、ジェイクの口元がゆがんだのと同時に、審判の試合開始の声が響いた。
あっという間にあたしと距離をつめたジェイクは、その長い腕を振り上げ、首元へと手刀を叩き込んでこようとする。それを体を低くして避け、そのままジェイクへと足払いをかける。が、彼は小さく跳ねてそれを回避。あたしは1度身を翻して距離をとり、体を低く構えて相手の懐に突進する。右、左、右、左、右。交互にパンチを繰り出すも、全てガードされてしまう。
ならば、と、最後の一撃をフェイクに、途中で腕を止め、ジェイクの横顔にめがけて蹴りを放つ。やはりガードされてしまったが、動きが止まったその一瞬を見計らい、あたしは再びジェイクと距離をとった。
蹴りを受け止めた腕を払う男の声が、微かな興奮で上ずった。
「やるな、チビ助」
「そりゃどーも」
『……か、開始直後から、なんとも熾烈な応酬だァーッ!不肖このわたくし、解説を挟む暇さえありません!』
興奮しきったアナウンスにあおられ、会場の熱気が加速する。
沸いた歓声に煩わしそうにするジェイクには、まるで先ほどの蹴りが効いた様子はない。普通の人間なら骨折する程度の威力だったはずだけど。見た目の割りに、随分と丈夫な体をしているようだ。
「いいな、お前。久々に本気になれそうだ」
「無駄口叩いてないでさっさとやろーよ。こっちは人を待たせてんだから」
「んじゃ、お言葉に甘えて」
口元の笑みを消したジェイクが瞬きをした瞬間、刺すような感覚があたしの全身を包んだ。
なんだ、これ。この威圧感。さっきまでとは全然違う。
「なっ」
「行くぜ」
先ほどと同じように間合いを詰めてくるジェイクから慌てて距離をとる。長い腕を横になぐような攻撃。
確かに避けた、そう思ったのに、次の瞬間感じたのは、腹部に走る小さな痛みだった。
腕を下ろすジェイクから十分な距離をとり、自分の体を見下ろす。服を切り裂き、お腹の皮膚が薄く横一文字に切れていた。
おかしい。確かに避けたはずなのに!
血のにじむ腹部を押さえるあたしを見下ろして、彼の鋭い瞳が細められた。
「降参するか?」
言葉とは違い、ジェイクは好戦的な様子で笑う。
なるほど、≪切り裂きジェイク≫。その名は伊達ではないらしい。