君のため
天気は晴れ。けれど気温は高くなく、風もあるから空気が乾いている。
そんな絶好の遠足日和の本日だけれど、あいにくあたしたちは室内にいた。
「よーしそれじゃあ今日の特訓はじめまーす」
「はーい」
キルアが可愛らしく手を上げて応える。うん、いい返事だ。
ここは天空闘技場下に数あるレンタル訓練場のひとつだ。
闘技場内にも自由に使える訓練施設はあるのだが、なにぶん闘技場挑戦者なら無料で使用できることもあり、人入りが多い上に、共用だ。常に使用客の姿があるので、ゆっくり時間を取って訓練したいという人には向いていない。
そんな問題を解決するために生まれたのが、このレンタル訓練場だ。
屋内型や屋外型、地形変化に天候変化、仮想戦闘シミュレーション付など、形式は様々。闘技場内の施設のように無料で使用できるわけではないが、比較的安価で貸切でき、他人を気にせず集中して取り組めるとあって、そこそこ人気もあるようだ。
「今日は室内だから、そうだなー……まずは、これかな?」
スーツケースに収まった数ある修行道具の中から、いっぱいに膨らんだ巾着袋を選ぶ。見た目ほど重さはない。口を縛っていた紐を解き、その中身を1つだけ取り出す。
袋から出てきたそれを見て、キルアが首を傾げる。
「ゴムボール?」
「そう。でも、ただのボールじゃないんだよ」
なんてったって、ミルキのお手製だ。
直径5センチほどのそれを軽く床に投げつける。普通のボールだったら、このまま数回跳ねた後に、床に転がっていくだけだろう。
けれど、床に落ちたボールは、予想を裏切るスピードで跳ね上がった。
勢いよく天井にぶつかったボールは、また猛スピードで床へと落ちてくる。その勢いは収まることなく、ボールは再び跳ねて天井へと飛び上がり、同じようにぶつかっては落ちを繰り返す。
止まらないその上下運動を見て、キルアがあんぐりと口を開ける。
「すげー」
「ねー。さすがミルキ製だわ」
普通のボールよりも良く跳ね、なおかつ勢いも弱まらないなんて。どんな不思議素材を使っているんだろう。摩擦とかどうなってんの。ひょっとしたらこれって、科学技術賞でも受賞出来るレベルの開発なんじゃないだろうか。
跳ね続けるボールをキャッチする。その感触は、やっぱりただのゴムボールだ。
「これを四方の壁に投げつける。そうすると、ボールはさっきみたいに結構なスピードで部屋中を跳ね続けるから、キルアはそれを部屋の中央で避け続けてね。弾いちゃダメだよ。避けるだけ。ゴムボールとはいえ、当たると結構痛いから、頑張って避けてね」
「はーい」
「はじめは、そうだな……3球からにしようか。1分ごとに1球ずつ増やしていって、最高20球まで。全部投げ終えてもしばらく避け続けてもらうよ。それじゃ、始め!」
袋からもう2つ同じボールを取り出し、それをばらばらの方向へ、今度は力をこめて投げつけた。さっきよりも勢いの付いた3つのボールは、壁や天井にぶつかり、そう広くない部屋の中を猛スピードで跳ね回る。
部屋の中央に立つキルアが素早く目を走らせる。右斜め前から飛んできたボールを避けるが、体を捻った直後、別のボールに後頭部を襲われた。
「いてっ」
「気をつけてー」
おそらく想像していた以上の痛みだったのだろう。わずかに目を潤ませながら、キルアは口を引き結ぶ。
「くっそーっ」
「ほらほら頑張って、追加いくよー」
「分かってるっての!」
追加のボールを投げる。キルアの背後から向かうように壁に投げつけたボールは、しかし動きを予測したキルアに避けられてしまった。
「おー凄い凄い」
ボールを避け続けるキルアを正面に、壁に背を預ける。
やっぱり飲み込みが早いなー。さっきの死角からの衝撃で学習したのか、今は背後にも気を配っているようだ。ぎこちなかった動きも段々とスムーズになり、最小限の動きでボールを避けるようになっている。
10球目を投げる頃には、キルアは放たれた全てのボールの軌道を読んでしまっていた。
その順応の早さに舌を巻く。さすがとしか言いようがない。ゾルディック家の面々がこの子に期待するのも納得だ。
数年を共に過ごして、いやというほど理解した。
キルアは、天才だ。
才能も、それを生かすセンスもある。頭も良くて要領もいい。飲み込みも早く、教わったことを確実に自分の力にすることが出来る。
キルアは天才だ。
そしてその“人殺しの才能”ゆえに、彼は将来悩み、茨の道を進んでいくことになる。
その道は、きっと、辛く険しい。
けれどキルアはその道中で、唯一無二の親友と出会うことが出来る。彼の光となる相手と出会うことが出来る。何物にも変えがたい絆を手に入れることが出来る。
そのためにあたしは、その道を歩むキルアの手助けをしてやりたい。彼の進む道から、少しでも障害を取り除いてやりたい。
そのために、少し厳しくなることくらいは、許してほしいな。
「よーし、余裕そうだから、一気に追加しちゃうぞー」
「げっ」
「そーれっ」
いきなり増えたボールに悲鳴を上げるキルアに向けて、あたしは笑って見せた。
シャワーを終えて部屋に戻ると、携帯電話が鳴っていた。
「はい、もしもし?」
『キルアはどうしてる?』
「……開口一番にそれかよ」
相手が誰かなんて、表示された名前を見なくても分かる。
相変わらずの冷静な声だ。きっと電話口の向こうでは、いつもの無表情なんだろう。
「イルミさー。久々に話すんだから、もうちょっと気の利いたこと言えないの?あたしの心配はしてくれないわけ?」
『天空闘技場レベルの相手にミヤコが苦戦してるはずないだろ』
「あーそうですねー」
信頼されていると思っていいのだろうか。ここは好意的に受け取っておこう。
備え付けの小型冷蔵庫から牛乳を取り出し、パックから直飲みする。ゾルディック家にいたときは絶対に出来なかったような行儀の悪い行動だ。
「キルアなら、訓練疲れで、部屋に帰った途端寝ちゃったよ。そろそろ夕飯にしようと思ってた時間だし、用事があるなら起こすけど?」
『いや、いい』
「そう」
ソファで眠るキルアの横に腰掛ける。額にかかった髪をはらってやると、弟はくすぐったそうに軽く身をよじらせた。
ああ、可愛い。この顔を常に見られるだけでも、今回の指南役を請け負って良かったというものだ。
『進捗状況は?』
「芳しくはないかなぁ。この前50階でコテンパンに負けたのが効いてるみたい。ここ数日は70階あたりを行ったりきたりしてるよ」
『ケアはしてやってるんだろ?』
「まあね」
貸し切り施設に行ってまで訓練をしたのは、気分転換のためでもある。そうすれば周りと自分を比べることもない。ちょっとしたストレス発散にもなるしね。
「自信が戻れば、また勝ちあがれるようになると思うよ。この子は強いから」
『そうだな』
当たり前だろ、とでも続きそうな口調でイルミが同意する。
彼は他の誰よりも、後継者である弟に期待している。その強さを疑うことなんてことはありえないのだろう。
『じゃあ、今後も頼んだよ。また近いうちに連絡するから』
「はいはーい」
『ああ、そうだ』
電話を切る直前、例の話だけど、と前置きされた。
『準備が出来たから送っといた。明日にでも届くと思うよ』
「マジで!?やだーもーイルミさんったら素敵!愛してる!」
『知ってる』
「……いや、あの、そんなマジトーンで返されると、恥ずかしいんですけど……」
『何が?』
「だから……あーもーいいや。とにかくありがとう」
『うん』
恥ずかしさに耐えかねて電話を切る。知らず知らずため息が漏れた。
「言わなきゃ良かったー……」
まさかあんなに当然のごとく受け入れられるとは。恥ずかしがってる自分のほうがおかしいみたいじゃないか。
自分に向けられる愛情を真っ向から受け止められるイルミはすごいと思う。シャイな元日本人としては見習いたいくらいだ。
「でも、いいこと聞いたなー」
頬も緩んでしまう。ずっと待っていた荷物がやっと届くのだ。これで明日の試合も頑張れるなー。
よし。気分もいいし、今日はご馳走にしよう。自炊しようかとも思ってたけど、おいしいケータリングでも頼んじゃおう。
「あー楽しみー」
その荷物にどんな罠が仕掛けられているとも知らず、あたしは鼻歌まで歌いだしたのだった。