生きるためのお話 | ナノ

幕間.あるにちじょうのおはなし

それは、懐かしいあの日の記憶。
みんなで笑っていた、ある日常のひとコマ。

「……なにやってんの?」
「おー、ミヤコ」
「ちょうど山場だよー」

いつもの遊び場であるスクラップ広場に足を踏み入れた途端目に入った光景に、あたしは思わず呟いていた。

時刻はお昼ちょっと過ぎ。夏前なのに気温は低い。太陽が灰色の雲に覆われているからだ。

来い来い、と手招きされ、おかしそうに笑っているフィンとシャルの隣に腰を下ろす。

「どうしたの、あのふたり?」
「賭けだってよ」
「かけ?」
「あー、まだ意味が分かんねーか?賭けってのはだな、つまり競争みたいなもんで……」
「いや、それはわかるけど」

見た目は幼女でも、中身は結構な年齢なのだ。多分あたしは、今のフィンよりも多くの言葉を知っている。

「お互いの昼飯を賭けて勝負してるんだってさ。先にあの山の鉄材を丸め終わったほうが勝ち」

シャルが笑って広場の中央を指差す。そこにいるのは、なにやら必死の形相のノブナガとウヴォーだ。
2人は額に汗をかきながら、次々と鉄くずの山に手を伸ばしていた。見る見るうちに硬い鉄材が丸められていく。2人ともとんでもない馬鹿力だ。
どうやらラストスパートらしく、彼らの動きはどんどん早くなっていっている。

「どっちが勝つと思う?俺、ウヴォーに1000ジェニー」
「俺もウヴォー」
「かけになってないじゃん」

でも、あたしもウヴォーに500ジェニー。

「まったく、2人とも何をやってるのかしら」
「あ、パクおねえちゃん」
「久しぶりね、ミヤコ」

振り返ると、腕に大きな紙袋を抱いたパクがため息をついていた。
みんなのお姉さんであるパクは今日も超絶ビューティフルだ。駆け寄るあたしを見てにっこりと微笑んでくれる。

その後ろに目をやれば、彼女の後をとことことついてくるマチの姿があった。こっちは今日も超絶プリティー。
マチと目が合う。彼女はぱっと顔を綻ばせて、こちらに走り寄ってくる。

「ミヤコ!来てたんだねっ」
「うん。ひさしぶり、マチ。パクおねえちゃんとおでかけしてたの?」
「そうだよ。みんなの昼ごはんを買い出しに行ってたんだ」

えらいだろ、ときらきらする瞳があたしを見下ろしてくる。褒めてくれと言わんばかりだ。
あたしより少し高い位置にある頭を撫でると、マチはくすぐったそうに目を細めた。

「すごいねぇー、マチはおりこうさんだねぇー」
「えへへ」

はにかむように笑うマチは本当にかわいい。妹がいたらこんな感じなんだろうか。思わずこっちの頬も緩んでしまう。

「……ああいうのを見ると、どっちが年上なのかわかんねぇよな」
「同感」
「可愛くっていいじゃない。はいこれ、あんた達の分。負けたほうに奪われる前にさっさと食べちゃいなさい」
「そうするよ」

ふと見れば、賭けはやっぱりウヴォーの勝利で終わったようだった。
もともとの力の差があるのだからしょうがない。ウヴォーは今ここにいる子供全員を1度に抱え上げられるほどの怪力だ。素早さとか器用さでいえばノブナガに軍配が上がるから、結果的には接戦に終わったようだけれど。

口げんかをしながら2人が歩いてくる。あたしに気づいたウヴォーが片手を上げた。

「よお、ミヤコ。来てたのか」
「うん。ひさしぶり、ウヴォー」
「先生の様子はどうだ?もう良いのか」
「きょうは、ずいぶんきぶんがいいみたい」

先生、というのは、あたしを生んだ人。あたしの母親のことだ。

母さんはこのあたり一帯の子供たちに、戦術指南なんてものをしている。この歳の子供が教わるにしては物騒極まりないけれど、空手や柔道の類だと思えば、日本の小中学生も習っているものだし、まあ許容範囲だ。

実際は、立ち向かってくる子供を母さんがちぎっては投げちぎっては投げるだけの、なんとも荒っぽい授業なのだけれど。

まだあたしが赤ん坊だった頃、彼女の腕の中から見ていた光景は、そりゃあ異様なものだった。母さんの細腕が、子供たちを何メートルも彼方に吹き飛ばすのだ。
この人に逆らっちゃいけないと心から誓った瞬間である。

「かんびょうだけじゃなくて、あそんできなさいって、おこられちゃった」
「ははっ、先生らしいぜ」
「フィン、他の3人は?」
「クロロはいつもどおり本の物色、フランは暇だからってそれについてったぜ」
「フェイのことは知らないけど、もうすぐ来るんじゃない?」
「もう、来てるね」
「ひゃっ」

突然背後から聞こえた声に、思わず変な声を上げてしまう。

振り返ると、子供ながらに鋭い目つきがあたしを見下ろしていた。フェイだ。
彼は体も小さければ気配も薄い。こんな風に背後に立たれると、声をかけられでもしない限り存在が確かめられない。
決して影が薄いというわけではないんだけど、少しくらいウヴォーとかフィンとかノブナガとかのせわしさを分けてもらってほしいものだ。

「ミヤコ、今日も、先生は、一緒じゃないか」
「うん。でも、もうすぐなおるって、かあさんいってたよ」
「それなら、良かたよ」

にやり、子供らしくない獰猛さでフェイが笑う。
実はメンバーの中で一番血の気が多いフェイは、母さんの回復と指導を誰より心待ちにしている。こうやって逐一あたしに報告を求めてくる。
そんなに心配なら、一度くらいお見舞いにでも来ればいいのに。まったく、素直じゃない子供である。たどたどしい口調は子供みたいで可愛いのに。どこか遠い国で生まれたらしいフェイはまだまだこちらの言葉を勉強中らしい。

母さんが倒れたのは、2週間くらい前のことだ。

原因は不明。熱はないのに、せきが止まらない。足腰に力が入らず、立っていることもままならない。けれど痛みはないらしく、見た目と気力は健康そのものだ。

すぐに治るわよ、とベッドの上で力こぶを見せる母は、いつもどおりの元気なお母さんだった。

地面にじかにマットを敷いて、パクが買ってきた食べ物を広げる。パンに果物に干し肉、野菜が少ないのはご愛嬌。
たくさんあったはずの食べ物は、育ち盛りの彼らの胃の中に次々と納まっていく。

消えていく食べ物を、ノブナガが恨めしそうに見つめている。

「……なあ、クロロとフランの分、ちょっとくらい貰っても……」
「ダメよ。賭けたんでしょう?だったら男らしく諦めなさい」
「っくちょー!」

しれっとした顔でパンを口に運ぶパクに、ノブナガが怒号を上げる。哀れ、ノブナガ。

その背中が余りに悲哀に満ちていて、あたしはみんなに気づかれないようにノブナガの背を軽く叩いた。

「おお……なんだ、ミヤコ。慰めてくれるのか?」
「ううん、じごうじとくだとおもう」
「けっ、そーかよ。……っつーかお前、ガキのくせに難しい言葉知ってるよな」
「まあね」

見た目より、中身の方は歳くってるからね。

「それはそうと、はい、ノブナガ」

背負っていたリュックから包みを取り出す。出かける前に母さんが用意してくれたものだ。
包みを開くと、中から数枚のクッキーが出てくる。

ノブナガの顔が輝く。

「くれるのかっ?」
「うん。かあさんが、きょうのおやつにって、くれたの」

みんなには内緒ね、と人差し指を立てる。
さっきまでとは一転し、ぱっと笑顔になったノブナガに勢いよく頭を撫でられた。

「さんきゅーミヤコ!お前って本当いいやつだな!」
「おれいは、さんばいがえしでいいよ」
「……やっぱりお前、ヤなガキだな」
「もんくいうならかえしてよ」
「ありがたく頂戴いたします」
「うむ、ゆっくりあじわいたまえ」
「ははぁー」

妙な小芝居をひとつ。最近彼は異国の文化にハマっているらしい。

「お、ミヤコ」
「あ、おかえりーフランおにいちゃん。……すごいりょうだね」
「これでも半分だぞ」

帰ってきたフランは、両手いっぱいに本を抱えていた。
数冊ごとに紐でくくられたそれは、抱えている彼の背よりも高く積み上げられている。転ばずにちゃんと歩けたのだろうか。

「おもくないの?」
「いや?」

フランが涼しい顔で答える。……本当に重くないんだろうなあ。ウヴォーと彼といい、ちょっと体が大きいだけで、見た目は結構普通の男の子なのに、一体どんな筋肉をしているんだろう。

「かえりがおそかったから、しんぱいしてたんだよ」
「そうか。ありがとうな、ミヤコ」
「うん」

わざわざかがんで目線をあわせてくれる。こういうところが優しいよなー、フランって。他の男連中には見られない部分だ。

いつものように撫でようとしてくれるけど、腕の中の本が邪魔で出来ないみたいだ。すこしだけ寄った眉がおかしくて、つい笑ってしまう。気を利かせたパクが本を引き受けてくれて、ようやくあたしの頭に大きな手のひらが乗せられる。

彼の背後にクロロの影を探すけれど、そこに望んだ顔は見れなかった。

「クロロおにいちゃんは?」
「クロロとは古本屋のところで別れたぞ。まだ時間がかかるそうだ」

だから半分だけ引き受けてきた、と視線で本を示される。この量で半分か。クロロってば、一体どれだけの量を持って帰ってくるつもりなんだろう。

フラン以外のみんなはそれぞれの分のお昼ご飯を食べ終えてしまったのようだ。ノブナガの分とあわせて、常人の5人前は平らげたウヴォーは、とても幸せそうな笑顔で寝転がっている。

「パクおねえちゃん」
「何、ミヤコ」
「あたし、クロロおにいちゃんをよんでくるよ」
「あら、そう?古本屋のところらしいけど、場所は分かるの?」
「うん。まえにクロロおにいちゃんについていったことがあるから」
「そう。そうね……うん、分かったわ、お願いしてもいいかしら」
「1人で大丈夫?俺もついて行こうか」
「ありがと、シャル。でも、だいじょうぶ」

このあたりは子供が一人歩きしても大丈夫な地域だし。目的地も割と近い。

古本屋っていうのは、この街に捨てられたものの中でも、本ばかりを収集しているおじいさんのことだ。別に商売をしているわけではない。集めているだけだ。みんなからその名で呼ばれているから、あたしも本名は知らない。彼は漫画や小説から専門書、果てはエロ本まで、いつも本を片手に、眉間のしわを浮かべながら座っている。
少しぶっきらぼうで無口だけど、悪い人じゃない、と思う。時々お菓子くれるし。
……別に、餌付けされているわけじゃない。

リュックを抱えて歩き出す。行ってらっしゃいと手を振ってくれるみんなを背にして、あたしはクロロ探しに旅立った。旅立つというほどの距離でもないけれど。

手を振る声も聞こえなくなった頃、背後で、誰かにクッキーを奪われたらしいノブナガの悲鳴が聞こえた。
あわれ、ノブナガ。



とことこ、道なき道を行く。

生まれ変わって、再び子供時代を経験して、改めて思う。子供の体というのは、結構厄介だ。
体力の消費も激しいし、頭が重くてバランスが取りにくいから、気をつけなければすぐに転んでしまう。足も短いから早く歩くことが出来ないし。前世の記憶を持っているあたしとしては、そのギャップがどうしてももどかしい。

ふと、足元に視線を落とす。なんだか妙な違和感を覚えるのはこういうときだ。意外と近くにある地面だとか、小さな足だとか、小柄な影だとか。目に映るすべてが新鮮だ。

背中のリュックを抱えなおす。途中、知り合いのおばさんに声をかけられた。

「ミヤコちゃん、どこに行くんだい?」
「ともだちをよびにいくの。クロロ、こっちとおった?」
「ああ、あの賢そうな子だね。通ったよ。古本屋のところに行くって言ってたかね」
「そっか。ありがとう、おばさん」

ぺこりと頭を下げて背を向ける。歩き出そうと一歩踏み出したとき、ああ待ってと呼び止められた。

「これ、良かったら持って行って」
「くだもの?」
「旦那がね、たくさん仕入れてきたんだ。新鮮だからおいしいよ」
「ほんと?ありがとう、おばさん!」

片手にひとつずつ、子供の手の平には余るくらいのそれは、みかんとオレンジの中間みたいな果物だった。触るとちょっとぷにぷにしている。
染み付いた日本人精神でお辞儀をすれば、おばさんは気にするなと快活に笑った。

帰ってからゆっくり母さんと食べようっと。つぶれないように、そっとリュックの中にしまいこんだ。

古本屋のところまであとちょっとのところで、小高い丘にさしかかる。

丘の上には一本だけ、大きな木が生えている。晴れた日にその下に寝転ぶと、葉の隙間から陽光が漏れて、いい感じの気持ち良さなのだ。絶好の癒しスポットである。

通り過ぎようとした足を止め、少しだけ考えて、丘のほうへと方向転換する。出かけたときは雲に覆われていた太陽も、今ははっきりとその姿を見せていた。

「クロロおにいちゃん、いた」

やっぱりここにいた。あたしの勘も捨てたもんじゃないな。

木の幹に寄りかかって座り、本を開いている尋ね人の姿があった。その周りには結構な量のハードカバーが積まれている。フランは半分といっていたけれど、ここにある本の量は、彼が持っていたものよりも多い。

声をかけたのに、クロロの目は活字を追ったままだ。いつものことなので気にしない。
もう残りのページ数も少ないようだし、おとなしく待っていようと思う。
クロロの隣に座っても、彼の目は本から離れなかった。

頭上を見上げる。木漏れ日が気持ちいい。自然とあくびが零れおちた。

彼の手元を覗き込んでみるが、意味の分からない言葉の羅列ばかりで、内容がまったく理解できない。まずあたしはまだ文字が読めない。カギカッコが多いから、小説かな?

ふと思い立って、あたしは背負っていたリュックを開けた。さっきもらった果物を取り出す。意外と皮が硬い。剥くのに少しだけ苦労する。出てきたオレンジ色の実を一房とって、薄皮も剥いて。

腕を伸ばして、クロロの口元に差し出してみる。

「……………」
「おお」

ぱくり。クロロの口が果物を咀嚼する。なんだか餌付けしてるみたいだ。
もう一房皮を剥いて、今度はそれを自分の口に運ぶ。甘酸っぱい果汁が口の中いっぱいに広がった。
うん、おいしい。今度おばさんにお礼しなきゃ。

「ミヤコ」

名前を呼ばれて顔を上げる。視線は文字を追ったまま、クロロが口を開けていた。

これは……食べさせろってことだろうか。試しにもうひとつ、彼の口元に運んでみる。
さっきよりもすんなりと、果物がクロロの口にくわえられた。数回咀嚼して、ごくりと飲み込む。数秒後に、また開かれる唇。

……なんというか、普段はしっかりしているのに、こういうところが可愛いなぁ、この人。前世では発揮されずに終わった母性本能みたいなものが、こんなところでくすぐられてしまうとは。

何度か餌付け行為を繰り返していたら、あっという間に果物はなくなってしまった。
結局あたし一房しか食べられなかったし。まあ、貴重な体験をさせてもらったので、それでよしとしよう。

ちょうどクロロも本を読み終えたらしい。ふーっと長い息を吐き、軽く伸びをする。

「ありがとな、ミヤコ。ちょうど腹が減ってたんだ」
「おひるなのに、かえってこないからだよ」
「今回はいいものがたくさんあったんだよ。結局選びきれなかった」

そう笑いながら、クロロが本の山を軽く叩く。さっきフランが運んでいた分を含めれば、本棚ひとつは軽く埋まってしまうんじゃないだろうか。
けれど、この量の本でさえ、短期間で読み終えてしまうのだから、まったく、本の虫ってのは恐ろしい。

「すこしでよかったら、はこぶのてつだうよ?」
「いいよ。気にするな。俺が好きで貰ってきてるんだから」

帰るか、と立ち上がるクロロに続く。見た目は細っこいのに、その腕は難なくすべての本を抱え上げる。本当、この体のどこにこんな力があるんだか。

「さっきよんでたほん、おもしろかった?」
「うん?うん、まあ、そこそこかな」
「ふーん。どんなおはなし?」

あたしがついてこられるように、ゆっくりと歩幅を合わせてくれる。気が利くなあ、本当。将来はきっといい紳士になるに違いない。

「故郷を離れて旅立った男が、遠い町で大成する話」

ただし、言葉に関しては、ちょっと気が利かない。普通の幼児が大成なんて言葉を理解できるわけがないだろうに。クロロは、あくまで自分の知識の範囲内で会話をする男である。

「大金を抱えて戻ってきたときには、もうそこには人も街もなかったってオチ。成功と成長の代価に、男はかけがえのないものを無くしてしまった」
「ふーん。すくいようがないね」
「そうかな?……そうかもな」
「クロロおにいちゃんは、そうおもわないの?」
「いや?物語の解釈は個人次第だ。お前がそう思ったなら、それでいいんじゃないか」
「ふうん?」

なんだか難しい。前世でも現代文の成績はあまりいいほうじゃなかった。

「なあ、ミヤコ」
「なに?」
「俺がいつか、ここを離れるとして」

言いかけて、口をつぐむ。見上げたクロロの顔はまっすぐ前を向いていて、あたしの位置からは、はっきりとその表情は伺えなかった。

もしあたしの目線が彼と同じ高さだったなら、それを確かめられたのだろうか。

「いや、仮定の話だな」

首を振るクロロは、何が聞きたかったのだろう。

「なにも、かわらないよ」
「……変わらない?」
「うん。たとえおにいちゃんがここをでて、それでたとえ、このまちがなくなっていても、あたしたちがいなくっても」

いつか別れが来るかもしれない。その小説の男みたいに、クロロが、そしてあたしがここを離れ、故郷を亡くす日が来るかもしれない。
けれどそれでも、確信していることがひとつある。

「クロロおにいちゃんたちには、どこにいても、またあえるきがするんだ」

きっとあなたたちは、どこかで生きているから。
再会の場がこの街でなくても、逢えるのならそれでいい。あたしにとって大切なもの、なくしたくないものは、この街ではなく、ここに暮らす人たちだ。母やクロロたちだ。

クロロの瞳があたしを見下ろす。その目が笑みの形に変わって、彼は小さく、そうだな、と呟いた。

問いの答えは、正解だったらしい。



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