生きるためのお話 | ナノ

命の脈流

(残酷表現あり)

手にしたナイフを男の胸へと突き立てる。

悲鳴を上げる暇さえもなく、相手はその場に崩れ落ちた。突き刺したナイフを引き抜く。高価な毛足の長いじゅうたんが、男の体を受け止め、派手な赤に染まっていく。

ああ、またイルミに汚い殺し方だと叱られてしまう。ぼんやりとそんなことを考える。

実際、イルミはほとんど血を流すこともなく相手を殺す。狙うのは急所一点のみ。その死体はまるで、眠っているみたいだ。
それを『綺麗』だと形容する気には、到底なれないけれど。

「ミヤコ」
「イルミ。そっちは終わった?」
「うん」

イルミがあたしの足元に転がるものを見下ろす。ぴくり、いつも無表情な眉が少しだけ動いた。

むせ返るような鉄の臭いのせいで気分が悪い。頭がくらくらする。
なんだか不機嫌そうなイルミの横を通り過ぎ、窓を全開にする。夜の冷たい空気が頬を撫でた。うーん、いい風。

「刃の入り方と刺す位置がずれてる。血を流させすぎだ」
「わーかってるってのー」

ほーら、やっぱり叱られた。

窓枠に腰掛ける。ぴかぴかに磨かれた窓ガラスに、いつもと変わらないあたしの顔が映った。

部屋の中、淡々と転がる死体を調べるイルミの声が響く。これもダメ、これもダメ、これは及第点。やっぱり不合格のほうが多いみたいだ。

「帰ったら特訓のやり直しだね」
「えー。ちょっとくらい大目に見てくれてもー」
「ダメ。ミヤコは最近気が抜けすぎてるから」
「そんなこと」

ない、とはいえない気がする。
確かに最近は修行の時間より弟たちと遊んでいる時間のほうが長い。この頃やけに遠方の仕事ばかり担当されると思っていたけれど、もしかして、そういうことなのだろうか。

でもでも、だって仕方がないじゃないか。
あんなに可愛い子達が、あたしを見ると両手を広げて抱っこをねだるのだから。天使の笑顔で、つたない口調で、あたしの名前を呼ぼうとするんだから!
ああもう思い出しただけで顔がにやけてくるわ!

思わず片手で口元を隠す。イルミがため息をついた。

「本当に、お前はどうしようもないね」
「イルミだって十分ブラコンじゃんかー」
「は?何言ってるの。ミヤコと一緒にしないでほしいんだけど」
「ええー……」

どうやら、イルミさんのブラコンは、無自覚だったらしい。

屋敷にいる人間で今生きているのはあたしたち2人だけだ。正面玄関から失礼しても見咎められる心配はないのだが、手っ取り早く窓から退散することにする。
3階から飛び降りたのにかすり傷ひとつなしに着陸。あたしの体も頑丈になったものだ。

手の平に視線を落とす。さっきまでナイフを握っていた手だ。指先にはすこしだけ、乾いた赤いものがこびりついていた。

ああ、くらくらする。

彼らも。
彼らも今頃、こんな風に、その手を真っ赤に汚しているんだろうか。

「ミヤコ」
「な、にっ!?」

イルミに呼ばれて振り返ろうとする、それよりも先に、殺気を感じた体は、回避行動をとっていた。

地を蹴って後ろへ飛ぶ。間に合わないと悟る。肩に重い衝撃が走った。焼けたような熱と、次いで頭を芯から揺らすような痛み。
そのすべてが一瞬のことだった。

やられた。もう全員殺したと思っていたのに。

異常を訴える右肩に触れる。血が流れてる。骨もやられているみたいで、右腕が上がらない。痛みと出血で目がかすむ。目の前にもやがかかったかのようだ。
こりゃ多分、きれいに貫通してるなあ。

顔を上げると、イルミが放った鋲が、暗闇に潜む誰かの喉を突き刺しているところだった。声もなく崩れ落ちる男の手には鈍く光る銃が握られている。
ああそうか、撃たれたのか、あたし。
頭の冷静な部分が、人事みたいに状況を判断した。

イルミがあたしの目の前にひざをつく。目が怖い。怒ってる。

「何で避けなかったの」
「避け、られ、なかった、んだっての……!」
「ふーん。やっぱりお前はまだまだ甘いね。俺がお前の歳の頃には、あんなやつに一発食らうなんてありえなかったけど」

人が苦しんでるっていうのに、もう少し心配してくれてもいいんじゃないだろうか。生まれたときから殺しの英才教育を受けている人と比べないでほしい。

「資料にはあんな奴がいるなんて情報はなかったのに……ミルキのやつ、確認を怠ったな」
「ね、ねえ、イルミっ!」

ちょっとイルミさん。イラついているところ申し訳ないんだけれど。

「なんかっ、目の、前が、もやっとしてるんですけどっ?」
「だろうね。ミヤコ、精孔が開いてるよ」
「やっぱり!?」

ああ、なんてことだ!
見下ろした自分の体から、湯気のようなものが勢いよくほとばしっていた。これがオーラってやつだろう。実際に目にしてみると、なんともいいがたいものがあるな。

ああまさか、こんなことで精孔が開くなんて。地道にゆっくり開いていく予定だったのに!

「あいつ、念能力者だったみたいだね。放ったのは念弾か。運が良かったな、ミヤコ。肩以外に命中していたら、きっと体が丸ごと吹き飛んでたよ」
「そりゃ良かった!っていうかどうしよっ、どうすれば良いわけっ!?」
「纏の原理は教わってるだろ。早くオーラを止めて。でないと、お前死んじゃうよ」

肩のダメージも、思ったより深刻そうだし。
淡々とつぶやかれる。いつもの無表情で見下ろしてくる義兄が、こんなときばかりは恨めしい。

確かにダメージは深刻だ。余裕がなくて確かめられていないが、傷口は酷いことになっていると思う。感覚自体は薄いのに死にそうなくらい痛いし、血がどんどん流れて、体温が下がっていっているのが分かる。その上、生命エネルギーであるオーラが、際限なく流れ出ているのだ。ここでとどめられなければ、本当に、死んでしまう。

そんなのダメだ。

覚悟を決める。乱れる呼吸を意識して整える。
イメージしろ。思い出せ。マンガの中で、ゴンとキルアは、どうやってオーラをとどめていた?

流れている血液が逆流するイメージ。それが全身を回り、頭の先からつま先までを巡っていく。ゆらゆら、ゆらゆらと。やがてそれが停滞して、ぴたりとあたしの体を包み込む。循環し停滞するオーラをイメージするんだ。
イメージしろ。集中しろ。
そうしないと、あたしは。

けれど、こんなときに限って上手くいかないものだ。

「なんで……ッ!?」

体からほとばしるオーラは止まらない。とどめようと躍起になるほど、オーラが流れ出る勢いは強くなる。
止まらない。
止められない。

「やだ……出来ない、出来ない!」

どうしよう、止まらない。止められない。
逃げていくオーラを掴もうとするけれど、実体ではないそれに触れられるはずがない。薄い色つきの空気のように見えるそれは、あたしの指の間をすり抜けていくばかりだ。

出来ない。オーラを止められない。

混乱する。頭が真っ白になる。傷を負った肩が痛い。集中できない。止まらない。止められない。どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしよう。

いやだ。
あたしはまだ死ねない。

死にたくない。

「ミヤコ」

抱きしめられて初めて、自分が震えていたことに気づいた。

イルミがあたしの頭をかき抱く。耳元で低い振動が鳴り響いている。

イルミの心音だ。

「集中して。俺の心臓の音だけを聞くんだ」
「イル、イルミ……っ」
「落ち着いたら俺の脈拍に呼吸を合わせて。ゆっくり。……そう」

イルミの手で視界をふさがれる。聞こえる心音が大きくなった気がした。

ゆっくりゆっくり、心臓が脈打つ音がする。それにあわせてイルミがあたしの背中をさすってくれる。
言われたとおりに耳元に意識を集中させた。息を吸う。吐く。聞こえる鼓動のリズムに呼吸を合わせる。

「……ミヤコ。見てごらん」

あたしの目を覆っていた手が外された。言われるままに自分の体に視線を落とす。

ぶよぶよとした膜のようなものがあたしを覆っていた。

「あ……」
「まだだ。集中して」

ほっと安堵の息をつこうとした途端、とどまりかけたオーラが再び流れ出した。イルミの叱責に、慌てて意識を集中する。

はじめは、オーラの膜は随分と厚かった。表面も安定していない。緩急をつけて波打つように暴れている。
けれどその動きも、呼吸を繰り返すたび、小さく穏やかになっていった。厚いそれが段々と洗練されて強く薄くなっていく。

やがて波打つ動きも完全に止まり、ぴたりと、あたしの全身をオーラが包み込んだ。

「よく出来ました」

細い指があたしの髪をすく。暖かい。それはさっきまで鋲を握っていた手。人をあやめていた手だ。

「……何それ、気持ち悪い」
「寝てていいよ。ちゃんとつれて帰ってやるから」

素直じゃない憎まれ口は無視された。
確かに、体は重いし腕は痛いしで、もう散々だ。ここは素直に甘えることにしよう。すでにまぶたも重い。起きているのがおっくうだ。

目を閉じる。体を抱え上げられた感覚がする。
走り出したイルミの腕の中で風を感じながら、あたしはゆっくりと意識を手放した。

起きたら、家に着いたら、弟たちに会いに行こう。あたしは、もっともっと強くなれるよ。そう報告しに行こう。

みんなにも伝えたい。あたしは生きるために、もっと強い力を手に入れた。
あなたたちも持つこの力を、あたしも持つことが出来た。

その日見た夢は、遠い遠い、あの街の記憶。



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