うんめいのひと | ナノ

不幸中のアレなやつ

 
ここ数日、スティーブンの周りはバタバタとせわしない。

原因は、つい一昨日見せられた、例のグロテスクな異界生物のせいだろう。彼らの組織(ライブラ、というらしい)の人員の多くが調査にあたっているものの、怪物の居場所を判明することは出来ていない。掴んだかと思えば逃げられ、からめとったかと思えばすり抜けられる。まるで果てのない鬼ごっこのように、調査の終わりが見えてこない。

入れ替わり立ち代わり事務所にやってくるメンバーの顔にも、徐々に焦燥の色が見て取れるようになる。
あの怪物がいることで街にどれほどの被害が出るのかは分からないけれど、彼らの顔色から察するに、相当な大事件のようだ。

昼夜を問わず動き回る彼らを見ながら、私はただ、出来るだけ邪魔にならないように隅に浮かんでいるだけだ。

……いや、スティーブンとレオナルドにしか認識をされていないのだから、そもそも邪魔にはなっていないのかもしれない。それでも、視界に映ることで彼らの気を散らさないようにしているうちに、日に日にポジション取りがうまくなってきた。物をすり抜ける違和感にも随分慣れた。

今日も今日とて隅でじっとしていると、執務室へつながるドアが開いた。包帯だらけの老紳士が押さえたドアから、赤髪の巨躯が現れる。

クラウスの帰還に、スティーブンはほんの少し期待を込めた目で彼を見た。

「お帰り。どうだった?」
「残念だが、メアリアン組合もジョンソン=ヤマダ氏も同じだった。もしかすると、高度な幻術で隠蔽されているのかもしれない」
「だとすると厄介だな。レオナルドに24時間監視を続けてもらうわけにもいかない。……ああ、マルタ・マリア商会と矢澤組はシロだったよ」
「そうか。その2つを除外するとすれば、残りはカサンドラファミリーだが」
「いや、その可能性は低い。あそこは先月の大立ち回りのせいで資金難だからな」

クラウスの調査でも成果は上がらなかったらしい。スティーブンは一瞬落胆の表情を浮かべ、すぐにそれをごまかすように首を振った。クラウスの方も肩を落としているように見える。

「……ま、いつまでも気を落としていても仕方ないか。昼食がてら、アンネリーゼ嬢の所へ行ってみるよ。何か目新しい情報でも入っているかもしれない」
「ああ。こちらは任せて、ゆっくりしてきてくれ」

そこまで言って、クラウスは何かを探すように視線をさまよわせた。その動きがスティーブンの真横当たりで止まる。

「アメリアも、ここ数日は心穏やかというわけにはいかなかっただろう。君の記憶を取り戻す方法を探すこともできなかった。我が身の力不足を痛感するばかりだ」
「そんなっ、気にしないで。あなたが悪いわけじゃないんだから」

全く見当違いの方向を向いていた彼の正面に慌てて対峙する。真摯に謝罪の言葉を述べるクラウスに、そっぽを向いて対応することなんてできない。

端末の設定を変更しながら、スティーブンが口を開く。

「気にしないで、だそうだ。……さて、それじゃあ少し出てくる。何かあったら連絡してくれ」

執務室のドアを抜けてかご室へと向かう。中は一見すると四方を扉に囲まれた小部屋だけれど、ここを抜けるとあら不思議、先ほどまでとは全く違う場所に抜けられることを知っている。
今回は比較的街中の方に出た。屋内型トランクルームの一角につながっていたらしい。

大衆向けレストランが並ぶ通りは、昼食時なこともあって人が多い。交通量も多めだ。もう目的地は決まっているのか、颯爽と歩くスティーブンの後を、私はただふわふわと浮かんでついていく。
こうして街中を歩くスティーブンの姿を見ると、いい会社勤めのサラリーマンみたいだ。スーツだって一目で仕立てのいいものだと分かるし、革靴もピッカピカだ。ネクタイをきっちり締めたこの色男が、まさか世界を救う秘密結社の一員だなんてことは誰にもわかるまい。

ぼんやりと後姿を見つめているうちに、ずいぶんと距離が開いてしまった。例の不思議パワーのせいではぐれることはないのだけれど、あの見えない何かに引きずられる現象は、出来れば遠慮したい。
慌てて彼の背を追おうとしたとき、彼がこちらに振り向いた。

「あ」
「え?」

私を――正確には私の背後を見て、スティーブンが小さく声を上げた。持ち上げられようとした手が、みぞおち辺りでピタリと止まる。

何事かと振り返る私の目に飛び込んできたのは、先行車両を追い抜きながら猛スピードで走るトラックの姿だった。
無茶な走行を続けた鉄の塊は、当然のようにタイヤを滑らせ、派手なブレーキ音とともに歩道の方へと突っ込んでくる。

悲鳴を上げる暇も目を瞑る暇もない。私の体をすり抜けたトラックは、そのまま歩道を10メートルほど走行した後、車体を揺らしながら通りの向こうへと消えていった。

遠ざかるトラックを見送りながら、あたしは呆然としていた。

こ、腰が抜けた。気がする。浮いていなかったら、このまま地面に座り込んでいたことだろう。動かないはずの心臓がバクバクする。冷汗が背中を伝い落ちた気がした。

「無事か?無事だな」
「う、うん……」

もちろん被害はない。被害はない、けれど。

暴走車両を避けたことにより数名のけが人が出たものの、幸いなことに死亡者はいないようだ。
顔色一つ変えず現場を検めていたスティーブンがどこかへ電話をする。通報でもしているのだろうか。

「スティーブン」

返事はない。それはそうだ、電話中だもの。視線だけをこちらに寄越し、手で「待て」と示してくる。
心臓が痛い。この体で痛みを感じることなんてないはずだけれど、緊張と興奮で視界がチラつく。

「スティーブン!」

スティーブンがかすかに目を開いてこちらに顔を向ける。私自身、自分でも思った以上に焦った声が出てビックリした。

「スティーブン、大変、大変!」
「そんな顔してどうしたんだ。君は何もかもをすり抜けるから、被害はなかったはずだろう?」
「そう。すり抜けた、すり抜けたの!」

何をいまさら、という顔をされた。
ああ、興奮して言いたいことがまとまらない。私の頭はこんなに回らなかっただろうか。分からない、だって以前の記憶がないのだもの。

深呼吸をする。振りだ。だって私に呼吸は必要ない。
今の私は幽霊。そうでなくても謎の生命体。物質をすり抜ける、誰の目にも映らない、実態をもたない存在。

だからこそ見られるものがある。

眉を顰めるスティーブンの目をしっかりと見据えて、私は口を開く。

「今、居たの。あのトラックのコンテナ部分に」
「居たって、何が?」
「あの化け物よ。スティーブンから見せてもらった、あの異界生物が居たの!」

光源が少なく分かりにくかったけれど、決して見間違いじゃない。淡いピンク色をした10フィート弱のあの生物が、訳の分からない機械を取り付けられ、あのトラックのコンテナ部分に所狭しと何体も拘束されていたのだ。

私の言葉が終わるや否や、スティーブンが電話をかけなおした。電話口の誰かに、先ほどのトラックの特徴を伝えている。初めて会った時に見かけたときのようなキツイ眼差しだ。

電話を切り、スティーブンは踵を返した。はや足で元来た方向へと引き返していく。

「ランチは中止だ。すぐに事務所に戻る。……アメリア」
「は、はい」
「良くやった。お手柄だ」

彼がこちらへと手を伸ばす。頭の部分を撫でるように動かした後、ふっと唇をほころばせた。

褒められた。……褒められた!?

頭を触る。そこに温もりなんて何も残っていないけれど、代わりに胸の辺りが暖かくなった。

彼の役に立てた。それが何よりも嬉しい。事務所に戻ってしばらくしても、私の頬は緩みっぱなしだった。



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