うんめいのひと | ナノ

正体不明の彼女

 
「……なるほど」

手短な、しかし明確なスティーブンの説明をうけ、面々はそろって顔を歪ませた。予想だにしていなかった事態ではあるが、レオナルドの義眼を通して件の幽霊の姿を確認した以上、認めないわけにはいかない。
それに、HLに限らず、世界にはなんだって起こりうる。
ならば仲間が幽霊にとり憑かれたというのもあり得ないことではないのだろう。

義眼の視界を転送された先には、異様な光景があった。
スティーブンと彼女の体には、幾重にも糸のようなものが巻きついていた。幽霊の女の腰の辺りと、スティーブンの胸周り。複雑に絡まりあった糸は、まるで2人を拘束しているかのようだ。これが、2人が一定以上の距離をとれないという事態の原因だろう。

初めから彼女を視認できていたスティーブンにも、しかしこの糸は見えていなかったらしい。
他のメンバーと同じく、レオナルドの義眼を通して自分達を見たスティーブンは、眉をしかめ、まるでこの世の終わりかのように呻いた。

「これは……」
「感覚はないんですか?体に違和感があったりとかは」
「何も感じないよ。こうして見せてもらうまで分からなかった」

改めて肉眼で確認しても、そのキラキラと光る糸を見ることはできなかった。当事者ですら見えないものを認識出来るとは、やはり神々の義眼の力は侮れない。

「離れられないっていうのは本当ですか?」
「ああ。まだ本調子ではないし、ここが病院という施設内である以上しっかりとした確認は出来ていないが、どれだけ離れようが隠れて移動しようが、これは一定の距離を保って着いてくる」

スティーブンは不快感もあらわに舌打ちした。

一方で、その幽霊はといえば、レオナルドの隣でふわふわと浮きながら、好奇心に目を輝かせている。

「凄い凄い、目が光ってる!綺麗ね。まるで宝石みたい。ねえねえ、ビームが撃てたりする?暗闇を照らせちゃったりするの?」
「えっと……スティーブンさん。この人、何て言ってるんですか?」
「気にしなくていい。ただの戯れ言だから」
「戯れ言ってなによー」

頬を膨らませる幽霊を無視し、スティーブンはもう何度目か分からないため息をつく。

スティーブンの期待に反して、レオナルドには幽霊の声を聞き取ることは出来なかった。自分と同じように視認できたのだからもしやと思ったが、レオナルドの能力は『目』にのみ特出しているのだから、当然と言えば当然だ。
同様に、他の面々も自力では彼女を視認できず、声を聞くことも出来なかった。どうやら、幽霊の女を完全に認識出来るのはスティーブンただひとりらしい。

ありがたくもなんともない特別だ。スティーブンは内心毒づいた。

彼女をじっと観察していたチェインが首を振る。

「やはり人狼とは違います。こんなレベルで希釈を続けていたら、とっくの昔に存在そのものがかき消えています」
「そうか。ありがとうチェイン」

やはり本人の主張通り、彼女は幽霊だという方向でいくしかないのか。
顎に手を当てるスティーブンに向け、レオナルドがおずおずと進言する。

「けれど、僕、今までにこんな人を見たことがないです」
「そりゃそうでしょ。こんな特異な人間……人間?なんて、そうそう存在しないだろうし」
「いえ、そうじゃないんです。『幽霊』ってものを見たのは、これが始めてなんです」
「どういうこと?」
「……少年、それは本当か?」

首を傾げるチェインに対し、スティーブンは声を低くした。きつい目付きで射られ、レオナルドの背筋に冷や汗が流れる。自分が責められている訳ではないのだが、機嫌の悪い上司というものは恐ろしいものである。

「幽霊を見たことがない?ただの1度も?……日の死者数が数百単位にのぼる、この街にいるのに?」

その言葉の真意に気付いたチェインは、はっとした様子で、その場で臨戦態勢を取った。警戒を向ける先は、自称幽霊の女だ。

この街では、人間も異界種もその別なく、まるで羽虫が潰されるがごとく簡単に死んでいく。HLでの生活は常に死の危険と隣り合わせだ。
そんな、秋の並木道に散らかる落ち葉のように死者が溢れるこの街で、今まで一度も幽霊というものを見たことがない。
それはつまり、逆説的に、この世に幽霊などいないという証明に他ならない。
それなら、幽霊でないのならば、この女はそれ以外の何かということになる。

警戒を強めた面々に、レオナルドは慌てて首を振った。

「で、でも、確かにこの人は怪しいけどっ、敵ではないと思います……いや、敵じゃないです!」
「君がそう断言する理由を聞こうか」

たいした理由じゃなければぶん殴る。
スティーブンが言外にそう告げている。顔は笑っているのに目が据わっている。恐ろしい。ここで感情論でも披露しようものなら、即座に氷付けにされそうだ。
背筋といわず全身に冷や汗を流しながら、レオナルドは意を決して口を開く。

「この人には、何もないからです。生物なら必ず持っているオーラも、怪しげな術式がかかっている気配も、フィリップさんの時みたいに誰かに操られている痕跡も、何もかもが存在しない。確かに、すごく怪しい人だとは思いますけど、危険は感じません」
「つまり、何者かからのスパイという可能性はないと?」
「はい。断言します!」

レオナルドは確信を込めて頷いた。

室内全員の視線が自然と女に集まる。
自称幽霊、自称記憶喪失、とり憑いたというスティーブン以外には認識されない、彼から一定の距離を取れない女。『神々の義眼』によるお墨付きを得たとはいえ、ここまで怪しい存在である彼女を無害だと判断してもいいものなのか。

ぴんと張り詰めた空気の中で、渦中の女だけが、きょとんと首を傾げていた。自分に視線が集まっていることに気付き、少しだけ不安そうに眉を下げている。

「何?」
「……まあ、スパイだって言うのなら、とり憑いたっていう僕だけに認識できるようにする意味がないよな」

そうだ。誰の目にも見えないように出来るのならば、そちらの方が警戒心を抱かせずに、情報収集も簡単に行えるはずだ。わざわざスティーブンにだけその姿をさらす必要はない。常に見張られているという不安と緊張でスティーブンにストレスを与えようとしているのならば、話は別だが。しかし、こんな高等な存在を派遣するような相手が、そんな悪戯めいた嫌がらせをする訳がない。ナンセンスだ。

スティーブンは息をつく。その表情を見て、クラウスが彼に問いかけた。

「納得したのかね、スティーブン?」
「いや。納得なんて出来ないよ。……ただ、そうだな。少し諦めたよ」

どうにもこうにも情報が少なすぎる今は、敵ではないというレオナルドの言葉を信じる他ない。

スティーブンは肩をすくめ、ちらりと女を盗み見る。注目から逃れられた幽霊は、ほっとしたように胸を撫で下ろしていた。安心して緩んだ目元はどことなく庇護欲をそそる。彼女の病的なほど白い肌がそう思わせるのだろうか。
しかし、彼女がいくら無害であっても、四六時中付きまとわれるスティーブンにとっては、邪魔な存在であることに変わりはない。

「とりあえずは、彼女を引き離す方法を探してみるよ。もしかしたら協力を頼むことになるかもしれないけれど、かまわないかな、クラウス?」
「勿論だ。しかし、スティーブン。まずは彼女の記憶を取り戻す手伝いをしてみるというのはどうだろう?」
「記憶を?」
「ああ。君にとり憑いたという理由が彼女の記憶に隠されているかもしれない。ならば、彼女が記憶喪失になった原因を探るのも、ひとつの手だと私は思うのだが」
「……ああ、そうだね。それも視野に置くよ」

面倒くさそうだなあ。
上司の笑顔を見たレオナルドは心の中でつぶやいた。人のいいクラウスには見えなかったらしいが、あの一瞬の表情は、原因を探るよりも不安要素を排除したほうが早いと思っている顔だ。誰よりも合理的なライブラの副官はリーダーの意見を受け入れた振りをしたらしい。

急に不憫に思えてきて、レオナルドは女に目を向ける。何が嬉しいのか、幽霊は目じりを下げてその視線に応えた。

「なあに?何か用事?」

レオナルドに彼女の声は聞こえなかったが、だからこそ一層彼女が哀れに思えた。
唯一自分を認識してくれる存在から邪険に思われている。それはどんな気分なのだろう。

「あの……がんばってください」
「ん?」

急な激励を受け、女は首を傾げる。不思議そうなその顔を見て、レオナルドはますます憐憫の眼差しを深めた。



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