うんめいのひと | ナノ

夢だと言ってくれ!

 
気がつくと知らない天井だった。そんな経験は少なくない。その場合、ほとんどが病院の個室で目覚めるパターンだ。

目覚めたスティーブンはまず、横になったまま、ベッドの中で軽く四肢を動かした。傷を負った腹部に痛みが走ったが、それ以外に体の違和感はない。
自分が生きていることに安堵する。まだ自分は戦える。どれだけ傷を負おうが、この手足さえ、この力さえ無事であるのならそれでいい。まだ戦える。

しばらくぼんやりと天井を見つめていた彼の耳に、誰かの溜め息が聞こえた。

反射的にそちらへと目を向け、スティーブンは驚きに息を飲んだ。

女だ。
真っ白なワンピースに真っ白な肌をした女が、窓横の椅子に腰掛け、ぼんやりと外を眺めていた。
スティーブンが横たわるベッドからは彼女の横顔しか見えなかったが、その顔には見覚えがあった。意識を失う前、あの場所で、BBと交戦していた場所で、自分に手を伸ばした天使だ。

思いがけない光景に一瞬呆気にとられたスティーブンだったが、すぐに正気を取り戻した。
この女、目の前にいるのに、ずいぶんと気配が薄い。というよりも、存在感がまるでない。まるで空気に色をつけた幻のようだ。

彼女に気取られないよう、スティーブンはゆっくりと体を起こした。
今までの経験上、入院するほどの怪我を負った自分に面会できるのは、関係者――ライブラのメンバーのみだ。それ以外の人間は、厳重な空間転移暗号術式により警備された病室に近づくことさえできない。ライブラの秘匿性を保つために必要な処置だ。
当然、彼女が同胞であるという覚えはない。ならば彼女はその警戒をすり抜けてここにいるということになる。ただ者ではない。

警戒するスティーブンの前で、彼女は大口を開けてあくびをした。どうやら、彼が目覚めたことに気づいていないらしい。

彼女が何者かは分からないが、敵だとすれば、ずいぶんと呑気なものだ。緊張感の欠片もない。

わずかに気を緩めてしまったスティーブンの視線の前で、女は大きく伸びをして――そのまま、宙に浮かび上がった。

「なっ」
「!」

思わず声が漏れた。それを聞き届け、少女の視線がこちらを向く。

初め、彼女はスティーブンの目が向けられた対象に気づいていないようだった。1度きょとんと瞬きしたあと、自分の周囲を見渡す。その姿からは、敵意というものがまったく感じられない。およそ重力というものを感じさせない様子でふわふわと浮かびながら、じっとスティーブンを見つめる。

やがて、その視線が自分を捉えているのだと気づくと、彼女はパッと顔をほころばせた。

「……私が見えるの?」

満面の笑みを向けられ、スティーブンは返事に窮した。敵意がないとはいえ、彼女が怪しい存在であることに代わりはない。

「……見えるの、と聞かれてもな。君は誰だ?ここには関係者以外立ち入りできないはずだ。返答次第では」
「声も聞こえてるのね!」

スティーブンの言葉を遮り、少女は歓声をあげて宙を舞った。そのまま両手を広げ、スティーブンの元へと、文字通り『飛び込んでくる』。
スティーブンは身構えた。怪我人ではあるが、誰とも知らない女に黙って抱きつかれるほど腐っている気はない。

自分の胸元へ飛び込んでくる女を弾き返そうと腕を振ったスティーブンだったが、その拳が当たる寸前、彼女の姿が消えた。

「……は?」

消えた。いや、正確には違う。スティーブンの目はそれを捉えていた。

彼女の体は、自分の拳を、腕を、胸を『すり抜けた』。

「……うーん、やっぱり触れないかー」
「うわっ」

呆気に取られたスティーブンの足元に、突然生首が生えた。
難しい顔をした生首はそのままするすると浮き上がり、全身を現した。白いワンピースの裾をひるがえし、生首――もとい女は、宙に浮かんだまま腕を組む。重力を否定するその姿は、仲間の女性を喚起させる。

「残念。見えたし聞こえたから、もしかしてって思ったんだけどなー」
「……君は、人狼か?だが追加の局員が配属されたなんて報告は……」
「じんろー?……よく分からないけれど、きっと違うわ」

彼女が人狼局の者なら、関係者以外立ち入り禁止であるはずのこの病室に侵入することも可能だろう。
だが、スティーブンの問いに対し、彼女は首を振った。細い指で自分を指し、わずかに自嘲めいた微笑みを浮かべて口を開く。

「私ってば、幽霊みたいなの」
「…………………………はあ?」

色男は、ここ2年のうちでも、上位に入るほど間の抜けた声を出した。



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