うんめいのひと | ナノ

彼の不運な1日

 
思い返せば、今日は朝から運が悪かった。
目覚ましが鳴る30分前に、どうでもいい用件の電話で叩き起こされた(相手は朝帰り中のお偉いさんだった)。出勤中、調子に乗ったチンピラに絡まれた(勿論『丁重に』退いていただいた)。先日部下がやらかしたせいで、処理しなければならない仕事が増えた(部下はしっかりと躾直しておいた)。ランチに出た店で、店主の修羅場に巻き込まれた(聞けば浮気がバレたのは3度目らしい)。

そして、極めつけにコレだ。

「ああ、本当に厄日だ」

失笑しかけて、しかしせり上がってきた衝動に耐えきれず、スティーブンは強く咳き込んだ。地面に吐き出された血ヘドは、すでに辺り中に散っていた自身の血に混じり、すぐに見分けがつかなくなった。

汚れた口元をスーツの袖で拭い、スティーブンは正面の氷柱ーーその中に閉じ込めたBBブラッドブリードを睨み付ける。

それは、息抜きに出たはずが余計な心労を増やしただけのランチタイムを終え、職場に戻る途中だった。

突然、そう遠くはない場所から派手な破壊音が上がった。立ち上る土煙が見え、逃げ惑う人々の悲鳴も聞こえる。どうやらそこそこ被害が出ているらしい。
とは言っても、突然街の一部が崩壊することなど、もはやこの街では日常茶飯事だ。住民たちも異常を感じて早々に避難している。周囲に残っているのは、命知らずのバカな見物客と、結社からの連絡待ちの自分くらいのものだ。

さて、今回はHLPDの管轄か、それともライブラ向けの仕事か。

程なくして携帯が鳴り、スティーブンは息をついた。どうやら結社向けの案件だったらしい。

『休憩中の所を邪魔してすまない、スティーブン。BBの出現を確認した。場所は』
「9番街付近だろう?」
『ああ、そうだ。ひょっとして近くにいるのかね?』
「近くも何も、ど真ん中だよ」

それにしても、よりによってBBとは。こんな日に限って厄介事が続くものだ。
現場が騒がしくなってきた。車道を何台ものパトカーが走り抜けていく。警察の包囲がはじまったらしい。

『敵がどれほどの相手か分からない。我々が到着するまで、しばらく待機していてくれたまえ』
「了解。……ああ、いや、クラウス」
『?どうかしたのかね、スティーブン』
「残念だが、それは難しいかもしれない」

土煙と破壊音が、急速にこちらへと近づいてきている。

悪い予想とは当たるもので、その2分後、スティーブンはBBとの交戦を余儀なくされた。

幸い、相手は長老級ほどの力はなかったものの、人智の及ばぬ化け物との戦いは苛烈を極めた。
かろうじて相手の動きを封じ込めることは出来たが、スティーブン自身も深手を負った。穴の空いた腹部から流れる血が止まらない。目も霞む。気を抜くと意識が飛びそうになる。ふらつく足を氷でむりやり固定する。もはや気力だけで立っている状態だ。
だが、ここで倒れるわけにはいかないのだ。氷柱に閉じ込めたBBはまだ死んでいない。微かに指先が動いている。ここでスティーブンが倒れれば、たちまち氷は砕かれ、BBは再びその猛威を振るうだろう。

「賭けをしようぜ、化け物」

滅獄の血を持つ仲間が駆けつけるのが先か、自分が力尽きて倒れるのが先か。賭けるのは互いの命だ。

時間の経過さえも分からない。氷越しの化け物を睨み続けて、どれくらいたっただろう。

ふいに、両足から力が抜けた。限界だ。重力に引きずられるまま、スティーブンは血で染まる地面に倒れこんだ。

氷柱の表面にヒビが入った。血凍道を行使するスティーブンの集中力が切れたからだ。
中に閉じ込めたBBの口端が歪んだ。己の勝利を確信したのだ。

それを地面から仰ぎ見て、スティーブンは笑った。

「残念」

賭けはこちらの勝ちだ。

通りの向こうから声が聞こえたのだ。自分の名を呼ぶ声。聞き慣れた仲間の声だ。

彼らにあとを託し、スティーブンは緊張をといた。下がるまぶたに抵抗出来ない。急速に意識が薄れていく。

――完全に気絶する寸前、スティーブンはひとりの女性の姿を見た。

宙に浮かんだ女が、スティーブンに向けて手を伸ばしている。天使?そのわりに、彼女の表情にはあまりに余裕がない。目を見開いて、歯を食いしばり、めいいっぱい手を伸ばしている。慈愛の笑みなど欠片も見られない。

その顔があまりにも必死で、スティーブンは思わず笑った。
それが彼が覚えている最後の記憶だ。



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