『ねえ、雅治』
「なん?」
隣に座る彼の右手に自分の左手を乗せた。
柔らかい笑顔を此方に向ける雅治。そのまっすぐ此方を見る目を直視してしまうと、揺るがないはずの決心が鈍ってしまいそうで、目を背けた。
『昨日、ね。精市に告白された』
「…そうか」
きっと分かっていたんだろう。精市が私に告白したことも。その返事は何だったのかも。でも彼は優しくて残酷だから、そんなこと言わない。私から言わせるつもりなのだ。
『幼馴染だと、思っていたんだ。ずっと。ずっと一緒にいたから。でも、精市は違った』
好きだと言った。この私のことを。彼は…精市は。
「名前」
『…あ、精市。どうかした?』
「…名前、」
『精市…?』
「好きだよ。ずっと、ずっと名前のことが好きだった…っ」
いつも通りの帰り道だった。塾帰りの私は偶然にも部活帰りの精市にでくわした。
普通に声をかけられたから、世間話かとおもっていたのに。でも、本当は気づくべきだったのだ。…精市の声が震えていたことに。
好きだ好きだ、とうわ言のように繰り返しながら私を抱きしめた彼に対してとった行動は、突き放すこと。
『ごめ…っ』
「名前……」
『わ、私…、精市のことは好きだよ。でも、幼馴染として、だから…。
っ、ごめん。ごめんね、精市。』
「……ううん、いいんだ。ごめんね、こんなことして。名前には、仁王がいるから」
『っ……』
それから彼を一人にして、その場から逃げてしまった。
今日、精市に会ったけれど、精市は昨日のことなんて何もなかったかのように話しかけ笑っていた。
でもその笑顔は必死に作っているような笑顔で。
見ているこっちが泣きたくなって。
『…ずっと幼馴染として意識していたから、精市の気持ちなんてちっとも知らなかった。…最低だ、私』
無意識のうちに、雅治の手を強く握ってしまう。そのまま、ポツリと流れ落ちる雫。
「…名前」
彼の空いている左手が私の頭を引き寄せた。自然と顔を彼の肩に触れさせるような体勢になる。
『まさ、はる。っ…うぅ…っ』
こんなつもりではなかったのに。精市との関係はこんな風にするつもりでは、毛頭なかったはずなのに。
一定のリズムで私の頭を撫でるその体温に、手つきに、涙は更に流れて。
私には、雅治がいるから。雅治だけが好きだから。
精市の告白には答えることなんて、できないよ。
(精市、ごめん)
(雅治、好きだよ)
許さなくてもいいよ、こんな私のこと。
許される対象なんかじゃ、ないのだから。
『まさ、』
目の前の彼の名前を呼ぼうとしたときに塞がれる私の唇。
いつもの優しいキスからは微塵も感じさせられない、荒々しいキス。
私同様、雅治だった心内は動揺しているのだろう。息を吸う間もない。
「俺は、名前が好きじゃけん。…お前さんもそうじゃろ?」
『っ、うん』
「これで、これでええんじゃ」、まるで自分に言い聞かせるように呟く雅治。
そう、だよね。これで、これでいいんだ。
私は雅治が好き。答えは、これでいいんだ。
選んだのは安全な道
(心の中の定義が崩れてしまいそうになる)
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