いけ、いくんだ。押すだけでいい。その“発信”という文字を押すだけで…!
うおおお、と女子らしからぬ声を上げながらスマホの画面を押そうとした、…のだけど、やっぱり押せなかった。
――ああ、やっぱり無理です。
スマホの上部、「幸村精市」と浮かんでいるその名前。
君に恋する携帯電話
普通彼女は彼氏にどんな風に電話をかけるものだろう。
付き合って3ヶ月経つけれど、いまだに自分から電話を掛けたことはない。
私の彼氏である幸村精市くん(私は幸村くんと呼ばせてもらっている)は、それはそれは端正な顔立ちをしていて、その上性格にも申し分のないほどの人だ。どんな性格?ときかれれば真っ先に思いつくのは“優しい”、だ。
「優しい」――辞書で調べてみれば、姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。又は、他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。とでてくる。
…そう、まさに彼はこの通りの人なのだ。もうね、神様ですかと尋ねたくなるほど美しくそして優しい。
そんな彼が私なんかの彼氏様なのか…!?、と何度も目も耳も疑った。ほっぺだって何度も抓った。
そのたびに、彼に「そんなに抓ると、せっかくの可愛い顔が赤くなっちゃうよ?」、といわれる終い。思わず鼻血が出そうになってしまった。
可愛くなんてないのに…! そうか、私が傷つかないようにお世辞を言ってくれていたのか。なんて優しいのだろう!
そんなわけで、毎日が天にも昇れるくらい幸せなんだけれど、一つ、私にはやってみたいことがあったのだ。
電話を、してみたい。
そんなこと、と軽く言われてしまいそうだけど、私にとっては夢である。付き合うということ自体初めてなので、デートとかききき、キスとか…まあ、そういう類はよく分からないのだけど、電話だけは自分でもできるんじゃない?と思っている。
だから今日、たまたま暇だったので、電話、してみようかなー?と思ったわけなんだけど、これがどうにも押せない。電話が掛けられない!
何故かと聞かれれば、そんなの決まってる。恥ずかしすぎる。
恥ずかしいし、私が電話なんて大それたことをしてもいいのか? という疑問もプラスされて、発信ボタンを押せないのだ。うう…臆病者め…!
電話を掛けられないいじらしさから「あああああ」、と奇声を発しながらベッドの上を転がる。すると下の階から「五月蝿い! ご近所迷惑でしょ!」と母親に怒鳴られた。
ごめんなさい、でもお母さんの声のほうが五月蝿いと思います。
そこでふと、思い出した。
あれ、確か幸村くんって明日試合じゃなかったっけ…?
「そうだったー!」と、また声を出すと、再度母に怒鳴られた。…すいません。
何で忘れていたんだろう、昨日幸村くんから直々に言われたじゃないか。
ズーン、と効果音でもつきそうなくらい落ち込む。…今掛けたって迷惑だよね。夜だしね。電話掛けられないしね。それに、私が電話掛けるなんて偉そうだよね、…うん、やめよう。
そう思って、ホーム画面へ戻る、をタッチしたはずだった。……だった?
スマホ画面を見てみると、そこに映し出されていたのは、“発信中”の文字。
あ、れ…?
頭の中に“発信中”という文字がリフレインする。
……や、やっちまったあああ!
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