- ナノ -

 結局参加させてもらったアリバイづくりのキャンプは、当日を迎えるまではそれは気が重かった。
太一と会うのがあの日以来だった為、裕明おじさんの車で待ち合わせ場所に着いた時こそ緊張したけど、その後は大輔達からの連絡を固唾のんで見守るばかりで気まずさを感じる余裕も無かった。
終始とうていキャンプなんて雰囲気ではなく、デジタルワールドにいる彼らからは文字情報しか無いため歯痒い時間が長く続いた。


 さすがにそろそろ、寝た方が良いかもな。
夜が更けて、メールが届かなくなり暫く経った頃合いをみて太一が言った。
おじさんが借りてくれたコテージの中はゆったりとした広さがあり、そこに寝袋を並べて休むことにした。

部屋の明かりを消すと、目を開けているのか閉じているのか分からないほどの暗闇に包まれた。私は一番壁側にいて、隣には裕明おじさんの寝袋があるはずだけれど、目を凝らしてもすこしも見えない。
私の暮らすお台場のマンションの外は、夜でも明るい。こんな暗闇で眠るのは……そうだ、デジタルワールドを旅した時以来だ、なんてぼんやりと懐かしく思った。

 タケル達は今頃どうしているだろう。もしかしたら、眠れずにいるかもしれない。
 こんな離れた場所から、いま私に出来る事は何も無いけれど、考えずにはいられなかった。


どれくらいの時間が経ったのだろう。いつの間にか誰のものとも分からない寝息が、闇にやさしく溶けていく。
今夜は眠れなくなりそうだと昼間、太一が言っていた。だけど、よかった、私以外は大丈夫のようだ。
 ふ、と今日はあまり考えていなかったーーー否、考えないようにしていた、太一の事が過った。
太一の事を好きになってから、こんなにも彼の事を考えず1日が終わるのは、はじめてだった。

“俺となまえが付き合ってるなんて、そんなワケ無いだろ”ーーー彼の言葉を思い出す。あの日から、何度も何度も。そしていつも、なぜあんなに悲しくなったのかを考えてる。
太一の言った事はただの事実だ。それに、彼に片想いをしているとはいえ、恋人になりたいだとかは本当に思っていないはずだ。
つまり、悲しむ理由はどこにも見当たらない。なのに、タケルにも言われた通り、ショックだったのだ。なぜなのか。いくら考えても分からない。

だけど…太一は嫌だったかな。私との関係が、そんなふうに誤解されるのは。ううん、嫌に決まってるよね。
そうだ、その事は謝らなきゃ。私を送ってくれていたせいで、ヤマトや周りの人に誤解を招いたのだから。



太一に謝ろう。ひとつの答えに辿り着いたが、今度はその言葉や伝え方を考えなくては。
どの道今夜はタケル達の事が心配で眠れそうにない。外の空気でも吸って、それを考えながら夜を過ごせば良いのかもしれない。
私は皆を起こさないよう、そっとコテージを抜け出した。

外は昼間の暑さが引いて肌寒い位だった。ティーシャツとスウェットで出てきてしまったけど、上着を持ってくれば良かったかな。
 不意に、周りが明るい事に気付く。外灯がそこまで有る訳でないのに…?不思議に思って頭上を見上げ、納得した。こんな星空は、都内じゃなかなか見られない。


「眠れないのか?」


背後からした声は、振り返らなくたってそれが誰だか分かって、私はギクリと肩を揺らした。


「……太一」
「コテージからお前が出てくの、見えてさ。ちょっと待ってみたけど、戻らないから」

振り返ると、前開きのパーカーにハーフパンツ姿の太一が立っていた。
彼と今日はほとんど口を聞いていない。つまり会話は”あの日”以来。それなのに太一がいつも通りの様子なのは、あえてそう振る舞ってくれているのか…いや、太一にとっては後を引かない些細な出来事だったのだろう。
 私はというと、そうはいかない。何を話せばいいのか、瞬時にぐるぐる考えても浮かぶ由もなかった。謝ろうとは決めたものの、まだ心の準備なんかできていない。
 

「…すごい星空だな」


私がおろおろしている内、彼は私の隣に並んで、まっすぐに夜空を見て言った。私は、うん、と小さく答えるのでやっとだ。

「こうやって夜空だけ見てたら、まるでここもデジタルワールドみたいだな」
太一が、笑って言った。あの頃と変わらない笑顔で。
「…私もさっき、同じようなこと考えてた」
「何、にやにやしてんだよ。なまえちゃんってばやらしー」
「し、してない。にやにやなんて」
「へー?どれどれ?」
そう言って太一が、私の両頬をつねった。
「ほらみろ。にやにやしてるじゃん」
「うるひゃい、ひへはいしっ」

彼の両手に頬を摘まれろくに喋れない私を見た太一が、いたずらっぽく笑った。顔が近い。月明かりに照らされた太一はあまりにかっこよくて、一瞬見惚れてしまいそうになったけど、爆発しそうなほど高鳴っている心臓に配慮して私は目線を逸らした。
だけどいつも通りの太一の調子に、気付けば私の緊張も緩んだようだった。

「なまえ。お前もしかして、寒いんじゃないのか」
「えっ…うん、ティーシャツで出てきちゃったから」
じゃあこれ着ておけよ、と自分が着ていたパーカーを私の肩にかけてくれた。お日さまみたいな太一の香りに、ふわっと包まれる。ああ、やめてほしい。心臓があまりにうるさい。


「ーーーなまえってさ。変わらないよな」
「え…何が?」
「俺らが最初にデジタルワールドを旅した時。夜は男子が交代で見張り番してたろ。あの時よく起きて来て、隣にいてくれたよな。お前、『夜型だから眠れないの』なんつってたけど、本当は皆が心配だからだろ」

…よく覚えてるなぁ、そんな事。
確かに、そうだった。あと、同じ子どもなのに男子だけが見張り番っていうのも、何だかなぁと思ってた。

「今だって、そうだろ。向こうの世界にいるアイツらの事が心配で、眠れなかったんじゃないのか?」

優しいよな。そう太一は嬉しそうに言った。
どうして私が優しいと、太一が嬉しいのだろう。

 もう一度見上げた夜空は、宝石のように輝き続けている。本当に、デジタルワールドにいるのと錯覚するくらい。
あの世界で、太一に恋をした。それから、今でもずっと。


「私の事、変わらないっていうけど…太一は変わったよね」
「そうかあ?」
「背が伸びたし」
「なんだ、そういう事かよ。それを言うなら、お前だって随分可愛…、」
「え、何?」
「いいや…な、なんでもねー」
「それにサッカーもすごく上手くなったし」
「オイオイ、急にそんな褒めたって何も出ないぞ」
「それに、優しくなったのは、太一の方だよ」
「…え?」

そこまで言うと私は、まっすぐに太一に向き直った。彼が一瞬、息を呑んだように感じた。

「この、パーカーも…いつも帰り道、送ってくれたのも。そういうの、みんなにしてる事なのに…この前ヤマトに誤解されたとき、私がはっきり否定しないせいで嫌な気持ちにさせて、ごめん」
「えっ…」
「それから…えっと、えっと。一緒に帰れるの嬉しかったのに、もう送ってくれなくていいなんて…今までのお礼も言わないで、あんな終わらせ方したの、ごめんなさい」

台詞を考えなきゃと焦っていたはずなのに、自分でもびっくりする程素直に言葉にできたのは、夜の空気のやさしさのせいだろうか。星あかりは昼間の日差しより、気持ちを打ち明けるのには私にとって丁度良い。
 しかし、言い終わって暫くしても、太一はポカンとこちらを見つめるだけだった。ちょっと、何か言ってよ。沈黙が長引く程、恥ずかしさが溢れてくる。


「えーっと…」
太一は頭を掻きながら、言葉を探すように視線を泳がせる。
「なんつーか…ヤマトにああ言われて俺、嫌じゃなかったというか……ただ、恥ずいだろ、あんな大勢の前で」


…嫌じゃない。その言葉を聞いてホッとしたのも束の間、そこから先の言葉の意味が分からず、今度は私の方が沈黙してしまう。

「っていうかなまえ、俺がみんなにああいう事してるって、そんな訳ないだろ!?ああいうのは、お前だけで…それに俺だって、一緒に帰れるのは楽しかったし。だからつまり、お前が謝るようなことじゃ……」

太一が眉を寄せてこちらに向き合い、私の両肩を掴んだ。続きを言おうとしたその時、コテージの方から「コラーーーッ!」と大きな怒鳴り声がした。
びっくりして私達は文字通り飛び跳ね、声のした方を見れば、寝袋を抱えた裕明おじさんが血相を変えてこちらを睨んでる。


「お前達なにやってんだ、こんな夜に!そんな所に二人きりで!?い、今すぐ離れなさい!」


太一が「あっちゃー、カンカンだ」と苦笑いを浮かべた。
「おじさん、なまえの事かなり好きだもんな。今回のキャンプも、なまえがいるから来てくれたってのデカかったんだろ。アリガトな」
耳打ちのようにそう言った太一に、おじさんはまた怒鳴った。太一が笑って「やべー、戻ろうぜ」と私の手を握って、走り出す。
太一の手が熱い。こんな涼しい夜に、パーカーさえ私に貸しているのに、どうしてだろう。

わからない。
太一の手が、熱い理由も。
さっきの彼の、言葉の意味も。
それから私が彼と、どうなりたいのかも。
今はまだわからないけど、それでいいのかもしれない。私は太一の大きな手を、ぎゅっと握り返した。

すると太一が振り返って、言った。
なぁ。また、一緒に帰らねぇ?

私は、笑って頷いた。


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