- ナノ -

TEARFUL AQUARIUM 2




山岳が誘ってくれたデートの日が、ついにやって来てしまった。

今回はとにかく、たくさんの初めての連続で私はこの待ち合わせ場所に立っている。
まず、山岳と元の関係に戻れてからデートをするのは初めてだった。
・・・というかよくよく考えてみると、ちゃんとしたデートって今までにした事が無い。
ハコガクの自転車部は、今日みたいな年末年始やお盆を除けばほぼ毎日部活があったし、それに加えて彼はとにかく自由、何においても基本的にはいつも突然だったから。これまでのデートといえば、部活の後一緒に帰ったり、オフの日に突然寮まで迎えに来られて一緒にロードで山を登るくらいだった。
実のところ休みの日にあえて待ち合わせをしてどこかへ出かける、という事自体初めてだった。



そう。今回は、初めての連続だった。

『名前さん、年末年始はいつから実家に帰るの?帰る前に一緒に過ごしたいから、今から日にち決めませんか。1日だけでいいから・・・その・・・デート、っていうかさ。』
−−−冬休みに入る前、山岳はそう誘ってくれた。それも、頬を染めながら。・・・珍しい。いつもなら、どんな恥ずかしいセリフも平気な顔して言うクセに。あれは不意打ちだった、逆にときめいてしまった。照れて頬を掻く彼の姿は年相応っていうか、とにかく可愛いすぎた。

・・・話は逸れたけど、とにかくそこからもう初めての連続で。
まず、そんなふうに事前にきちんと日にちを相談してくれたのも初めてだった。
好きな人とのデートの為に、私服を選んだのも初めての事だった。
それから朝早い集合にも関わらず、待ち合わせ場所に行くと山岳が先に着いているというのもビックリだった。黒田がここにいたら、イヤ遅刻しろよキャラ的に!なんてツッこんだかもしれない。




山岳と合流したあと、私たちは二人で何度かバスや電車を乗り継いだ。制服でもサイクルジャージでもない、私服の山岳が隣の座席にいるのはなんだかちょっとくすぐったかった。・・・私服、はじめて見た。私がそうだったように、彼も私と会う為だけに選んでくれた服なんだと思ったら、それだけで胸がきゅうっとなった。...本当に、両想いなんだ、って。

山岳は、行き先は教えてくれなかったけど交通費なんかを全部払ってくれたし飲み物まで買ってくれた。...財布とか忘れてろよキャラ的に、と脳内で黒田がツッこんでる。




そして−−−山岳が連れて来てくれた場所は、水族館だった。








「はい。名前さん、これチケット。どこから見ますか?うわーっ、おっきい水族館!わくわくしますねー!」

待っててください、と言われ入り口の所に立っていると、山岳はすぐに戻って来た。笑顔で手渡されたそれを受け取る前に、私は慌ててお財布を開く。

「あ、いいから。今日は、オレが払います」
「え?!い、いや・・・さすがに払うってば。何千円もするんだし、それに私の方が年上なんだし、」

しかし山岳は、むーっとした表情で私を見つめる。


「オレ、たしかに年下だけど・・・でも、彼氏だよね?」
「・・・う。そ、そうだけど・・・」
「あはは。偉そうに言ってごめん、まだ自分で稼いだお金なわけでもないのに。・・・けど、今日だけはオレに出させてください。・・・お詫び、ってワケじゃないけど・・・。オレ、色々迷惑かけちゃったからさ。」
「もう!それはお互い様っていうか・・・」
「勿論、コレだけで済ませる気は無いよ。お詫びも・・・それから、オレがキミを好きだっていうのを形にしていくのも、キミの事大切にするのも、これから一生かけてしていくつもり。でも、顔見る度に謝られるのも嫌だよね?だからこれは、ひとつの区切りっていうか、ケジメ・・・って、オレが自分で言う事じゃないのかもしれないけど。」

見つめられてそう言われ、私は仕方なく黙るしかなかった。
...そこまで言うなら、お言葉に甘えさせてもらうしか無いのかな。また別の機会に、私からもお返しさせてもらう事にすれば良いだろうか。

それにしても。
一生をかけて、とか・・・どうして真っ直ぐに目を見て言えるんだろうか。デートに誘うのより、よっぽど照れ臭い言葉だと思うんですけど?!
ど、どういう意味で言ったのよ・・・だ、ダメだダメだ。期待したら負けだぞ、名前!





入場ゲートをくぐると、そこは単なる水族館というよりはテーマパークのようだった。チケットと一緒にもらった園内マップを見ると展示施設が複数あり、広大な敷地内にはジェットコースターなんかのアトラクションもあるみたいだった。

聞けば私と同じく山岳も初めて来た場所のようで、手始めに二人で一番大きそうな建物に入った。
中に入った瞬間に、見上げる程の高い天井までそびえる大きな水槽に出迎えられる。その中で色とりどりの魚たちが悠々と生きていて、まるで一瞬にして海中の世界へ迷い込んだみたいだった。


「・・・山岳、すっごく綺麗だね・・・!」
「えへへ、喜んでもらえて良かったぁ。年末だからか、他のお客さんあまり居ないね。空いてるからゆっくりできそうで良かった。」
「そうそう、こんな年末にまでやってるなんてビックリ!良かったね、来て閉ってなくて。」
「まぁ、一応調べましたからねー。人に聞いたり、あとはホームページ見たりとか。年末年始もココ、時間短縮だけど営業してるみたいですよ。まぁ、案の定あんまりお客さん入って無いけど。」

・・・え?
し、調べた?
いつも翌日の授業すらわかってない、行き当たりばったりのアンタが??
・・・驚いた。めずらしい事も、あるもんだなぁ。


"オレがキミを好きだっていうのを形にしていくのも、キミの事大切にするのも、これから一生かけてしていくつもり。"
−−−不意に、さっきの彼の言葉が過って胸が苦しくなる。
・・・そうか。だからなのかな。
今日のデートも、そのひとつって事?
そうだとしたら・・・幸せすぎやしないだろうか。


だってついこの間までは、まさか両想いだなんて夢にもおもってなかった。
・・・あのクリスマスイブの日のこと、私はずっと忘れない。
精一杯の言葉で気持ちを伝えて、彼を抱きしめたとき。山岳もまた、抱きしめ返してくれた事。
彼がくれた、言葉の全部。
彼がくれた、気持ちの全部・・・。
・・・それだけで私はもう、じゅうぶんなのに。
他はもう、なんにもいらない位・・・こうしてただ、あなたの隣にいられるだけで、どれだけ幸福か。
どれだけ嬉しいのか・・・山岳、わかってるかなぁ。




「オレ、どこか行くのにわざわざ調べたのって初めてでした。キミのためのハズなのに、喜んでくれるかなーとか考えてたらオレの方がわくわくしちゃって・・・なんか、楽しかったです。いいね、デートって!・・・あぁ、そーいえば。よく考えたら山以外でどこか行きたいって思ったのも、初めてかも?・・・あ、ロード以外で誰かのこと誘うのも初めてだ。ふふ、キミといると、"初めての事"ばっかりだ。」


−−−はじめての連続。
・・・わたしも、そう思ってた。
好きな人と同じ事を想うということは、それだけでどうしてこんなに胸が詰まるのだろうか。





辺りに人がまばらなアクアリウムを、彼と手を繋いでゆっくりと歩く。

彼の向こう側で魚たちが揺れる度、光に反射してキラキラと光った。
山岳の髪も瞳も、まるでこのガラスの向こうを映したみたいな深い青で、すごく綺麗だと改めて思った。...今日はいつもよりすこし大人っぽく見えるのは、私服のせいかな?

山岳って、海も似合うのかも。
そうえば苗字も"真波"だしね。・・・まぁ、やっぱりいちばん似合うのは山の中の大自然なんだろうけど。






"綺麗だね。"
"可愛いね。"
"あの魚はちょっと変わってるね"なんて、交わす言葉はなんてことの無いものばかり。
それなのに私は、このまま息ができなくなって心臓が潰れてしまうんじゃないかと思うほど幸せだった。

水族館って、子どもやお魚が好きな大人が観察なんかをして楽しむための物だと思ってた。カップルで来る意味なんてわからなかった・・・今日までは。

好きな人と、キラキラ眩しい海の中を、外の世界から切り取られながらゆっくりと歩く。
・・・そのためのものだったのかな、なんて彼の横顔をぼんやりと見ながらおもったりした。

こうして隣に、山岳がいる事とか。
こんなロマンティックな海の中に、連れて来てくれた事とか・・・
私の胸にはじわりと熱が広がって、一生分なんじゃないかってくらいの幸福感でいっぱいで。
油断すると、泣いてしまいそうな程幸せだった。






「・・・。名前さん、こっちの建物はイルカショーやってるみたいですよ。お、時間も丁度はじまる所だ!」
「ホント?!わーっ、見たい見たいっ。ここの水族館って、白いイルカが居るって有名だもんね!」

じゃあ行こうか、と行って山岳は私の手を取って指を絡め、館内の座席へと向かう。俗に言うこれは、"恋人繋ぎ"というもので・・・放課後の通学路なんかで繋ぐ事はあっても、こんな場所でするのは初めてでドキドキしてしまう。
・・・うう、照れ臭い・・・けど、それ以上に嬉しい。

顔が熱くなっている私をよそに、山岳は座席に着いた後も手を離そうとはしなかった。...ま、まぁいいか。他のお客さんも、あまりいないし...って、私が離したくないだけだったりして。




始まったショーは、子ども向けかと思いきや充分に見応えがあった。この水族館の目玉のひとつでもある白いイルカが飛んだり跳ねたりするたび、私たちは一緒になって喜んだ。

「それでは!ここからのショーは、お客さんの中からお手伝いしてくれる方を一名、募集しまーす!参加したい方、手を挙げてくださーい!」

司会のお姉さんがマイクで高らかに言う様子を、私は人ごとのように聞いていた。確かこういうのって、小さい子がイルカに簡単な指示出しとかして参加するやつだよね。

しかし、隣から「はーい!」と元気な声が聞こえて・・・まさか山岳、こういうのやりたいタイプだったっけ?!驚いて横を見ると、彼は繋いだままの私の片手を高らかに掲げている。・・・って、ちょ、ちょっと?!

「ハイ、じゃあそこのお姉さん!ステージへどうぞ〜!」

他に手を挙げている人もおらず、案の定私が当選してしまった。隣の男は楽しそうに、「良かったですね、行ってらっしゃーい」と呑気に手を振ってる。
・・・ついさっきまでときめいてた恋人繋ぎが、まさかこんな悲劇を招くとは思いもしなかった・・・。









「・・・わー。名前さん、ずぶ濡れじゃないですか。」
「誰のせいよ、誰の!」

ショーが終わって、出口のところで山岳と合流するとヤツは瞳を丸くしてこちらを見ている。ずぶ濡れになったのは、お前のせいだよ。

私が参加したイルカへの指示出しは、両手を左右に振るとイルカが鳴き、動きを止めると鳴き声も止まる、というだけの簡単なもののはずだった。その任務は無事に終わり、疎らに入っていたお客さん達からも拍手が起こった・・・の、だけど。
どうしてだか今日に限って、イルカちゃんはプールに戻る際、ド派手に水へ飛び込んで・・・それで、濡れてしまった、というわけだった。
ショーが終わった後、司会のお姉さんや調教師のスタッフの方は「本当は水が掛かるようなプログラムでは無かったのに、申し訳ありませんでした」とものすごく丁寧に謝罪をしてくれて、私は水族館のロゴが入ったタオルまで頂いてしまった。

水が掛かったとはいえ、髪が濡れたくらいだ。こんな立派なタオルまで頂く程の事では無いのだけど、せっかく貰った物なので私はそのタオルで髪を拭きながら山岳の元へと戻る。
他のお客さん達はもうみんな出て行ってしまったようで、出口に立っていたのは山岳ひとりだった。


「あ、イルカのプリントなんですねー、ソレ!濡れちゃったけど、でも良かったですね、かわいいのもらえて。ショーにも出れたし。」

名前さんが出てるトコ写真撮ったよ、なんて呑気に携帯を見せてくる山岳を、私はキッと睨みつける。...あぁもう、せっかくのデートなのに!

「良くないってば!何で勝手に私の手を挙げたのよ、もうっ。あれって、子どもとかがやるエキストラでしょ!やりたいんなら、せめて自分でやりなさいよ!」
「なんで、って・・・だって今日は、名前さんへのお詫びのデートでしょう?だから、たくさん楽しんでほしくて。」
「よく言うわよ、ホント・・・。」
「ね、タオルかして?オレ、髪拭いたげる。」

山岳は向かい合うように立って、両手で私の頭をやさしく拭きはじめた。
私は恥ずかしくなって、自分で拭けるってば、と振り払おうとした瞬間・・・その綺麗な瞳と、視線がぶつかって。
まるで海みたいな深いブルーが、愛しげに揺れたかと思った、そのとき・・・
彼はそのすらりと伸びた両指で、タオルごと私の両頬を包み込んで・・・ちゅっ、とそのままキスをした。

触れるだけのキスがおわって目を開けると、タオルの中で山岳ともう一度目が合う。−−−近すぎる距離で、閉じ込められたタオルの中で。優しく細められた瞳に見つめられると・・・思わず、吸い込まれそうになる。

彼の事が好きで、でも口もきいてもらえなかった時期をおもうと、こんな瞬間は幸せでたまらない。
私はつい雰囲気に流されてしまいそうになりながら...どうにか自分を律して、自分の頭からタオルを外す。


「なっ、なにしてんのっ・・・」
「・・・あはは、ごめんね。タオルにくるまってる名前さんが、あんまり可愛くてさ。・・・ねぇ、名前さん。オレ、やっぱりキミの笑った顔がいちばん好きなんだ。−−−さっき、ショーの前・・・お魚見てるとき、名前さん泣きそうだったでしょ?・・・だから、ショーとか出たら笑ってくれるかなーって。」
「えっ・・・き、気付いてたの?!ち、違うよ、あれは悲しかったとかじゃなくて・・・っ」

「・・・嬉しくて、でしょ?知ってる、−−−オレも、おんなじだから。」


山岳はそう言って一瞬、泣きそうな顔をしたように見えたのは−−−気のせいだっただろうか?すぐにふわりと笑って、私の手を取って走り出した。


「ね、名前さん!次はこっちだよ!」









「名前さん、こっちこっち!見てよココ、フォトスポットって書いてるでしょ。さっき名前さんを待ってるとき、ウロウロしてたら見つけたんです。ねぇ、一緒に写真撮ろうよ!」

手を引かれて連れて来られた先は、白いイルカのオブジェのようなものだった。水族館の名前と今日の日付も書いてあって、よくある撮影場所のようなものらしい。

...っていうかさっきから、ときめかされたり、振り回されたり、腹が立ったり、マジで忙しいんですけど...。って、まぁ今に始まった事じゃないけど。


「今日は写真、いっぱい撮りたくて。」

ため息をつく私をよそに、山岳は嬉々として携帯のカメラを起動させながらそう言った。

「はぁ、写真・・・?なんでまた・・・。」
「だって名前さん、実家で年越しするんでしょ?そしたら、しばらく会えなくなるじゃない。だからその間、写真見て過ごそうかなって。」
「や、やめてよ、そんなの恥ずかしい!それに、しばらくって・・・ほんの何日かでしょ。」
「何日も、ですよ。ねぇ、福富さんも帰省するんだよね?いいなー、オレも名前さんのお兄ちゃんだったら良かったのに。そしたら、ずっと一緒にいれたのになあ。」

唇を尖らせて、山岳は大真面目にそんな事を言ってる。

・・・あと一年もしたら私は先に卒業して、数日どころじゃなく毎日会えなくなるって事・・・、わかってるかなぁ。



「・・・ハァ。なに言ってんのよ。っていうか、兄妹だったら結婚とかできないんだからね。」


何の気なしにそう言うと、彼は途端に表情を輝かせた。

「え?名前さん、結婚って・・・」
「へっ・・・い、いや、例えばの話っていうか!常識の話をしただけっていうかっっ」
「何、自分で言ったクセに照れてるの?・・・あー、そしたら福富さんがオレのお兄ちゃんになるって事かぁ。なんか、ヘンな感じですねぇ」
「な、なに勝手に話進めてんのよっ、」
「だって名前さんが、オレと結婚したいなんて言うから・・・」
「いつ言ったのよ?!・・・っていうかそもそも、先に言ったのはソッチでしょ、」
「・・・え、なにが?」
「・・・さっき。"一生をかけて"、とか言ってたじゃない。・・・アンタの事だから、深い意味は無いのかもしれないけど・・・下手したら、プロポーズじゃないの。普通の女の子なら勘違いするんだから、発言には注意しなよね・・・ったく。」
「・・・勘違いって、なんで?本気だよ。オレが年下で、子どもだから・・・名前は、そう思うの?」

へらへらと笑ってた山岳が急に、真面目な声色に変わる。表情も、いつの間にか真剣そのものだった。−−−ドキン、と心臓が高鳴る。


・・・お、怒らせちゃったんだろうか。


私は勿論、疑ってるワケじゃない。
山岳があの日・・・クリスマスイブの日に言ってくれた言葉はぜんぶ、ホントのホントで、勇気を出して伝えてくれた事なんだって思ってる。

でも、−−−今でさえ、こんなに幸せなのに。将来の事までえがいてくれてるだなんて、そんなふうに思うのはあまりに自分に都合が良すぎるんじゃないかって、思ってしまうわけで。
今、目の前の幸せすら、ろ過できずにいる私なのに。




−−−カシャ。





私があわあわしていると突如、目の前で小気味好いシャッター音が響く。

・・・あろう事か、この真波山岳という男はそんな私の様子を携帯で撮影し、そして腹を抱えて笑っている。


「は、はぁ?!ちょっ・・・アンタ、なに撮って、」

「あっはは!あーもう、ホント可愛いですねぇ、名前さんて。みてみて、真っ赤になって悩んでるとこ、綺麗に撮れたよ。この写真があればオレ、気持ちよく新年を迎えられそうでーす」



・・・頭にきた、真剣に悩んだのに!
結局、勘違いさせてからかってたんじゃない!

消しなさいよ、と携帯を奪おうとするもそれをひょいとかわし、彼はいたずらっぽく笑って言った。







「・・・勘違いかどうか・・・続きはまた今度、教えてあげますね!・・・そう、一生をかけて、ね。」







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