- ナノ -

大丈夫



「名前さん。一緒にお昼、たべましょー」

 昼休みに訪れた彼女の教室。学年も違うが我が物顔で入るのはいつもの事だった。友人と机を囲んでいた名前さんの肩を叩き声をかけるとき、つい顔が緩んだ。
名前さんは大きな瞳を一、二度瞬かせて「どうしていつもそう急なのよ」と眉を顰めた。口ではそう言いながら、机上に広げた弁当箱を包む布をいそいそと結び直しているあたり、可愛い人だなあと思うのだった。
 名前さんお借りしますねえ、と彼女の友人にやんわり断れば「いってらっしゃい」と笑顔で送り出してくれた。


急に来るのやめてよ、先にメールくらいして。
だって、会いたくなるのって急なんですもん。
そんな他愛も無い会話をしながら廊下を進み、あまり使われていない教室前の階段に二人で腰を下ろす。
最近オレたちが見つけたこの場所なら、教室や学食と違って二人きりで過ごせる。おまけに陽当たり良好。
もっと早く見つけたかった。あと数ヶ月で、この人は卒業してしまうから。
卒業。その事が過ぎる度、胸がギュッと締め付けられた。東堂さん達が卒業して、こんどは名前さんも卒業しちゃうなんて。オレって見送ってばかりだな。なんで同じ学年じゃないんだろ。


「いただきまーす!」


オレの寂しさなんかちっとも気づいていない隣の名前さんは、元気よく両手を合わせて言った。
スカートの上に広げたハンカチ。そこに乗せられたお弁当箱には相変わらず、なんだか分からない食べ物がぎゅうぎゅうに詰まってる。

「なに見てんの。何か欲しいオカズでもあった?」
「….名前さん、ほんとに卒業しちゃうの?料理もまだそんなに下手くそなのに?」

そう言えば、思いきり睨みつけられた。怒った顔もカワイイと思うなんて、重症だろうか。

「アンタ、わざわざそんなコト言う為にお昼に誘ったわけ」
「ちがいますよー」

卒業。進学。進級。そして部だって世代交代する。
未来に不安なんてそうあるタイプじゃない。けど、キミとこうして毎日当たり前に会えなくなるなんて、想像もできない。この気持ちはどう言葉にすれば良いのだろう。考えていてもわからなくて、今すぐ会いたくなった。


「びっくりですよね、オレが次の箱学キャプテンだなんて」

何から話せば良いのか分からず、手頃な話題として選んだ最近のトピックスであるそれは、オレの杞憂と無関係とも言い切れない。
 キャプテンは真波山岳だと泉田さんが言った。驚いたのは、オレ自身だってそうだ。
だから当然、この話題に返ってくる言葉は同意だと思った。が、彼女は真っ直ぐに否定した。

「何言ってんの、山岳しかありえないよ」
「….え?」
「自転車が好きで、このチームが好きでしょ」

….そう、ですけど。驚いたオレが瞬きをして見つめる。
1年からレギュラーだから?
2年連続ファイナリストだから?
彼女は続けた。


「山岳って案外、人の良い所見てるし。それに自分も自由が好きだから他人の個性も尊重できるでしょ。あと良くも悪くも空気読まないから褒めるのも叱るのも真っ直ぐにできると思う。これって全部、これからの時代のリーダーの理想じゃないかな」

まるで当然だというようにすっぱりと言い終えてから、彼女は再び弁当へ箸を運んだ。
オレは呆気にとられていた。他人からは「なんで真波が」と、後輩達すら囁いているのを知っていたし、自分でもそりゃそうだよなあと思っていた。

「名前さん、買い被りすぎなんじゃ…」
「彼女だからって?」
「そうですよ」
「客観的に見て言ったのよ。彼女として言えば、あんたみたいな遅刻魔にキャプテンなんてって心配で仕方ないよ」
「あはは、ですよねえ」
「絶対大丈夫。すごく楽しみ。山岳がキャプテンになって、どんなチームになるのか。山岳がどうなるのか」

そう言って笑った顔を、校舎の窓からこぼれた陽の光が照らした。
そうだった、この人の言葉には嘘がないのだ。


「離れたらもっと好きになりますかね」
「え、何の話?」
「楽しみですね。やってみなくちゃ、わかんないですもんね」


名前さんなら大丈夫。オレなら大丈夫。オレ達なら、大丈夫。胸の霧が晴れていくようだった。
もう言葉にできないくらい好きなのに、また、好きだと思った。そっと頬に触れ、キスをした。
カララン、と、彼女の持っていたプラスチックの箸が床に転がる音がした。幾度としてきたコトなのに、この恥じらいは何だろう。おかしくって、かわいくって、つい調子に乗って角度を変えてまたキスをする。

「ちょ、ちょっと」
「なんですか、今いいトコなのに」
「どうしていきなりなの?そんな話してなかったでしょ」
「えー、そうでしたっけ」
「急にするのやめてよ、その、気持ちの準備が」
「だって、したくなるのって急なんですもん」

っていうか、しますよって言ってからだとさせてくれなさそうだ。うーん、とオレは一度悩んで、何も言わずに再び、キスをする。




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