- ナノ -







真波くんの道案内に従って横浜駅からの道のりを進むと、目的のサイクルショップが姿を見せた。
店内に入ると、私の知っている『町の自転車屋さん』とは違い、ママチャリや子供向けの自転車のコーナーはほんの僅かで、広い売り場の大部分を占めてロードバイクなどの本格的なスポーツサイクルが陳列されていた。
その光景は、"にわか自転車ファン"の私ですら心踊る美しいものだった。隣の真波くんはというと案の定キラキラした顔で「いいねーいつ来てもテンションあがるよねー」と嬉しそうに店内を見渡した。

私は今日ここで、真波くんにとっての『LOOK』のような相棒に出会うはずなのだ。

勉強をしていく内、自転車のある生活というのは良いものかもしれないと、私は憧れを抱きつつあった。今まで電車やバスで移動していたものを自転車に替えれば運動になり、交通費も節約になる。
....そしてもしかしたら、真波くんと一緒に走りに行ったり、しちゃったりして。ひゃー、良い事ばっかりじゃん、自転車って!


「なまえちゃん、ロードバイクは向こうだよ」


こっちこっち、と真波くんが手招きする売り場の奥の方へ、私は羽のように軽い足取りで着いて行った。


「うーん、どんなのが良いのかなあ」
「なまえちゃんはどんなコース走りたいの?」
「コース・・・えっと、わかんない。初心者向けみたいなのって無いの?」
「そうだなぁ・・・オレが最初に買ったのは、こういう感じだったかなあ」


そう言って真波くんが指差した自転車を見た私は、その値段に目を剥いた。
信じがたいゼロの数・・・一瞬、見間違いかと思った程。
こんな値段の自転車、聞いた事ないよ?!


「たっか・・・・!!」
「あー、そうかもね。でも大丈夫、なまえちゃんの身長に合わせてもらえば良いから」


思わず「高い」と言ってしまった私に、真波くんはサイズについて親切に教えてくれた。それはいつもの的外れ天然回答ではなく、まさか値段の事だとは思わなかったからだろう。なぜなら見渡せば10万円を超えるような自転車ばかりで、それはどちらかというと安い方だった。

思えば、自転車の勉強を始めたとはいえ、レースの映像を見たり本を読んで得た知識ばかりだった。実際にショップやカタログで見た事の無かった私は、こんなに高価なものだとは思わなかったのだ。
高くても1万円程度の自転車しか乗った事の無かった私だった。


「....ごめん、真波くん。私こんなに、お金持って来てない」

丁寧に解説をしてくれる真波くんにそんな事を言うのは、恥ずかしくて、とてもみっともなかった。
そしてすごく申し訳無かった。私の自転車を買うために、せっかくここまで着いて来てくれたっていうのに....。

「え?あー、そっか....予算はどのくらい?」

私のお小遣いは月々5,000円で、今月の残りはあと2,020円。(なんでワンピースなんて買った?私の大バカ!)(いや、買わなくても全然足りないけど...)
毎月キレイに使い切ってしまっているから、前月までの繰越分は無い。
だから今年のお年玉の残りの3万円と、おばあちゃんから進学祝いにと貰った1万円を合わせても42,020円。
しかし今日の小田原〜横浜間の往復交通費1944円を引いて、40,074円。
これだけあれば足りるだろうと、それだって勇気を出して持って来たのに....。

「ありゃ。それじゃあフレームも買えないね」

私の所持金を聞いて、真波くんは明るく言った。

「なまえちゃんはさ、どうして自転車がほしいと思ったの?」

怒られて、呆れられるのだと思った。

真剣に自転車を愛してる真波くんと並んでサイクルショップに来て良いような自分ではなかった。....なんて身の程知らずな事をしたのだろう。
ロードバイクの値段も知らない。全財産をはたいても完成品どころかフレームすら買えない。
そんなのでよく自転車が好きで、勉強してるなんて言えるよね、って、きっと気を悪くしただろう。


「....なまえちゃん、そんな悲しい顔しないで」

だけど真波くんは、怒るどころか、愚かな私の頭をそっと撫でてくれた。

「ねぇ、どうして自転車がほしいの?どんな道を走りたい?なまえちゃんにピッタリな自転車、一緒に探そう」
「....今まで電車で移動してた道を自転車で走ったら、運動にも節約にもなるかなって...それに、カッコ良いだろうなぁって。....ごめんなさい、そんなくだらない動機なの」
「くだらなくなんて無いよ。それに、誰にだって、"初めて"はあるよ」
「真波くん....」
「オレだって最初は、かっこいいから乗ってみたいって、それだけだったよ。...んー、じゃあクロスバイクはどう?」
「....クロスバイク?」
「例えばさ、靴でいうとロードバイクはランニングシューズで、クロスバイクはスニーカーって感じかな。ママチャリは....サンダル?」
「....ふふ、おもしろい」
「どの自転車が良いとか悪いとかじゃなくて、目的によるんだよ」
「そっか....だから、靴と同じなんだね」
「ん、そう。ロードバイクはタイヤが細いからあまり一般道には向かないんだ。速く走る為だけに作られてるから。クロスバイクはママチャリより早いけど、整備されていない道も走れるからなまえちゃんの目的に合ってるんじゃないかな」


そう言って真波くんが連れて来てくれた『クロスバイク』のコーナーに並べられた自転車は、確かにロードバイクよりとっつきやすく、だけどママチャリよりも格好良かった。手を伸ばせば届きそうな金額でもあった。
それに真波くんが、私の目的に叶うものをと選んでくれた自転車だ。


「真波くん、ありがとう。これなら買えそう」
「ほんと?良かった」
「私、真波くんみたいな格好良いロードバイクに乗りたいって思ってたけど....でも話聞いてたら、私に『ランニングシューズ』は必要無いのかも。私は真波くんみたいな、"選手"じゃないし」
「まぁー確かに、ロードはカッコいいよねー。すげー軽くて速いし。あ、オレので良かったら今度乗せてあげるよ」
「....え、いいの?」
「モチロン!あとさ、キミのクロスバイクで一緒に走りに行こうよ!せっかく買うんだしさ!」
「....ありがとう!....真波くんって、なんでそんな優しいの?」
「キミは、特別だから」


迷いなくキッパリとそう言った真波くんに、ドキン、と心臓が高鳴った。


「オレはキミの事、特別に思ってる。初めてなんだ....キミみたいな女の子は」


まるで自分自身で言葉の意味を確かめるかのように、真波くんはもう一度、ゆっくりそう言った。
そして私を見て、優しく笑った。




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