影山 飛雄
- ナノ -


弱点克服 2




牛島と名前が教室へ戻った頃にはもう、女教師の姿は無かった。
沢山の机と椅子が並ぶ内の、隣り合った2つの机にプリントが置かれている。それを見ただけで名前は状況を把握し、その内のひとつに腰を下ろした。もうひとつの机の椅子を牛島が引くと、名前はすかさず牛島の机と触れ合っている自分の机をずらし、二人の机の間に空間をつくった。牛島は、やれやれ随分な嫌われようだ、と冷静に思いながらもさして気にしていない様子で腰を下ろした。
牛島は卓上に置いたままになっていた筆箱からシャーペンを取り出し、途中になってしまっていたアンケートの続きを書こうとした。・・・が、隣の席に座る名前の様子がどうやらおかしい。
感情的に生徒会室を飛び出して来た名前は、筆記用具はおろか鞄も持たずに来てしまったのだ。

「・・・貸してやる、使え」

明らかに困った様子の名前を見かねた牛島が、自分の筆箱からシャーペンと消しゴムを1つずつ差し出した。しかし名前は、ちらりとそれを見ただけで受け取りはせず、眉をしかめて言った。

「・・・結構よ。私、このプリントを持って生徒会室で書いて来るわ」
「そうか。一体何をしたのかわからんが、逃げ出す程に俺の事が嫌なのか」

プライドの高い名前にとって、逃げ出すなどと思われるのは屈辱であった。男子のペンを借りてこの場で書く事と天秤にかけた結果、名前は再び椅子に腰を下ろし牛島からそれを受け取った。

その後の名前は、最初のアンケート項目にこそ妙に時間を掛けて書いたもののそれ以後はスラスラと進んだ。牛島はなんとなく横目でそれを見て、綺麗だな、と本能的に思った。
他の同世代の女子のように猫背にだらしなく腰掛けたり、頬杖をついたりする事無く美しい姿勢を保ったまま流れるようにペンを滑らせる姿。二人きりになっても、牛島クン、と猫なで声で媚び入る事もしない(というかむしろ疎まれている)、他の女子とは明らかに違う、その凛とした気高い横顔は生徒会長という立場がそうさせるのだろうか?などとぼんやり考えた。
しかしまた、こっちを見るなだのと怒鳴られるかもしれないと思った牛島は、再び自分の用紙に意識を戻す。
冷静に見返せばこの回答は、学園に対してというよりバレー部に関する事ばかりになってしまっていると気が付いた。もう一度書き直そうか。

一方名前は一通り書き終えたのか、再考の為見返しているようだった。そしてしばらくすると今度は何故だか用紙を裏返しにして、再びペンを走らせている。
この用紙の裏面は白紙で、アンケート項目は無かったはずだ。もしや何か別の下書きでもしているのか?−−−気になった牛島が結局ジッと見てしまっていると、名前がシャーペンを置いてその裏面を向けたままのプリントを、牛島の卓上に滑り込ませた。
一体何だ、と思い牛島が手に取ると、そこには美しい文字がまるで羅線上のごとく丁寧に並んでいた。


《私を呼びに生徒会室まで来て下さった事、筆記用具を貸して頂いた事、重ねてお礼を申し上げます。アンケートを今日書くよう言われていた事、失念していました》


何かと思えば・・・手紙のように丁寧な文面が、そこには並んでいた。
その文章からは、育ちの良さすら伺えたが・・・どうして隣にいるのに直接伝えないのか、と思い名前を見るとプイと顔を反対へ向けており表情が見えない。会話をするのは嫌だが、礼を言わないわけにもいかないと思ったのだろうか。
おかしな女だ、と思った牛島の口元が僅かに緩んだ。

すると今度は牛島も、自らの用紙を裏返して何かを書き始めた。
「おい」と突然呼びかけられた名前が肩を揺らすと、先程自分が渡した用紙と、そして牛島の用紙が今度は名前の机に置かれた。
名前が怪訝な顔で牛島のプリントを見ると、そこには力強い字体で《気にするな》と書かれていた。
おい、と言葉で呼び掛けたくせに、こんな一言をわざわざ文字にするだなんて。口で言えば良いのに自分に合わせたのだろうか、と思ったら名前は妙に可笑しくなった。
そして続けて、自らのプリントの裏に文字を書き足した。

《そして、お詫び申し上げます。昨日からの貴方への失礼な態度を。先程の生徒会室でも、大変酷い言葉を言いました。本当にごめんなさい。貴方は何も悪く無いんです、》

それを受け取った牛島は、文の最後に違和感を覚えた。何か、消しゴムで消したような跡があったのだ。
よくよく見るとうっすら、《私は》と書いて消したのがわかった。


《気にしていない。お前も気にするな。
私は、とは何だ》


牛島がそう書いて渡すと、名前ははじめ意味がわからなかったのかじっと用紙を見つめ、そしてハッと気が付いてバツの悪そうな顔をした。
名前はシャープペンを持ったまま、少し迷ってから用紙に走らせた。


《男性恐怖症なんです》


それを受け取った牛島は、思わずペンを持つのも忘れて名前に話しかけていた。

「そうだったのか。知らずに声を掛けていた、すまん」

名前は直接話しかけられた事に一瞬たじろぎ、しかし牛島の誠実な瞳に妙な安心感を覚えたのも確かだった。

「いえ・・・貴方には何の関係も無い事なのに、その、酷い態度をとってしまって・・・」
「気にするなと言ったはずだ。こういうのは慣れている」
「こういうの、って?」
「俺は顔が怖いらしい。話した事も無い奴に嫌われたり怖がられたりするのは、よくある事だ」
「あら、奇遇ね。それは私もよく言われるのよ」

名前は思わず吹き出してしまった。そして、意外と話せるかもしれない、とも思った。いつものような息苦しさや動悸も感じる事は無かったからだ。

「私、幼稚園から中学校まで女子校だったのだけど・・・訳があって高校からは共学にしたのよ。でもやっぱり男性は苦手で、先程貴方に言われた通り、逃げてばかりだわ」
「それは・・・大変だな」
「ええ、でも仕方がないから。もう諦めたわ」

その言葉を聞いた牛島にジッと見つめられ、名前の頬は僅かに赤らんだ。男と話す事も無ければ、こんな風に真っ直ぐに見つめられる事も無かったのだ。

「お前は一見強く見えるが、本当は弱い人間なんだな」

"弱い"。その言葉に、絆されかけていた名前の心は再び氷のように彩りを失った。











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