short story | ナノ

「あっれー、ランニングに行っちまったかな」
放課後の校庭の片隅で、銀時はグラウンドの一画に設けられた練習場を一通り見渡しそう言った。
そこには後輩達の姿はなく、きれいに整備されたままのグラウンドは、ぬるい風が吹くたび土埃が舞った。
意気揚々と教室を飛び出してきた銀時は、やる気を削がれてグローブをはめた左手をだらり垂らした。
向こう側からは陸上部やラグビー部の威勢のよい声が心地よく響く。
「すぐに帰ってくんだろ、待ってよーぜ」
銀時から数歩遅れてやってきた土方は、慣れた足取りで片隅のベンチに向かった。
何年も使い込まれた古びた長椅子に、雨をしのぐ為だけに備えられた簡素な屋根。
ついこの間まで毎日のように通ったこの場所は、決して座り心地は良くないはずなのに、やはりしっくりと身体に馴染んだ。
鋭い日差しから逃れるように銀時も小走りで土方を追いかける。
土方の隣にどかりと腰を落ち着かせると、あーあと銀時はため息を吐いた。
「せっかくしごいてやろうと思ったのになー」
役目の無くなったグローブをもてあそびながら愚痴をこぼす。
「お前はサボりたかっただけだろーが」
土方はぴしゃりと冷水のように言いはなった。
けれども土方も同じようにグローブをもて余していた。
「それはお前も同じだろ?」
同意を求めるように、銀時はちらりと首を振った。
「まあな…」
土方は呟くように同意した。
部活を引退した3年には受験というものが待ち受けている。
もともと成績が良くない銀時は、補習に追われる毎日を送っていた。
銀時は背中を後ろに反らせて天井を仰いだ。
「今まで野球しかやってこなかったからなー。さっぱりついていけねーわ」
渇いた笑いと共に嘆くと、土方も小さく頷いた。
「野球部は、馬鹿ばっかりだからな」
「だよなー」
銀時は天井を見上げたまま相づちを打った。
ふと彼らの顔が浮かんでくる。
「…ほんと、馬鹿ばっかりだったな」
銀時から思いの外しんみりとした声が聞こえたので、土方はちらりと隣のを盗み見た。
けれども横顔からでは銀時の表情は読み取れなかった。
そもそも銀時が感情の片鱗だけでも見せるなんてかなり珍しいことだった。
奴はいつだってへらへらしていた。
いつだってへらへらしているから、監督から叱責を受けることも多々あった。
ピンチの時でも変わらない銀時に、腹をたてたことは数えきれないほどある。
けれどそれと同じ数だけ勇気付けられたこともたくさんあった。
「俺さ…」
銀時は控えめに口を開いた。
「俺さ…まさかお前から誘ってくるなんて思わなかったんだ」
銀時はちらりと土方の様子を伺う。
その言葉に土方は一瞬固まった。
「…なんだ急に」
眉を潜めた土方の表情は、何を言っているのかわからないと語っているようだった。
「怒んなよ?」
「…だから何にだ」
土方が繰り返すと銀時は喋りにくそうに言葉を続けた。
「…おめーあの日、めちゃくちゃ泣いてたじゃんか。それはもうこの世は終わりだってくらい」
ちなみにあの日とは、最後の試合があった日だろう。
整列を終えベンチコートに戻った瞬間、部員たちの目からは止めどない涙が溢れ出た。
それはこの男、土方だって例外ではなかった。
汗に濡れた帽子に顔を埋め、影で密かに泣いていた。
泣き顔は絶対見せないところにこの男のプライドを感じた。
「その…だからさ…お前から部活に顔出そうって言われたとき、俺すっげぇ驚いたんだわ」
銀時は静かに言葉を切った。
「……」
土方は答えなかった。
思い出したくない過去を引きずり出されたら、誰だってそれなりに不愉快になる。銀時は自分でも意地の悪いことを言っているという自覚はあった。
「だから怒んなって…」
明らかに不機嫌になった土方は、無言でじとりと銀時を睨んだ。
その鋭い視線にうっと息を詰まらせた銀時は思わず目を逸らす。
「つまり…、あんなに悔しそうなお前を見るのは初めてだったからさ、野球嫌いになったんじゃねーかなって、勝手に思ってた」
「………」
「いや、嫌いになるっつーか、…しばらく野球なんか見たくもねえんじゃないかなって…」
「………」
「いや、馬鹿にしてるんじゃねぇよ…それだけ野球に賭けてたんだなって、あの時改めて思ってさ…」
土方は終始無言で銀時の話を聞いていた。
反論しても言い訳にしかならないと思ったし、それとは別に真面目なトーンで語る銀時がとても珍しかった。
初めて見る顔に面食らう。
銀時の調子に釣られてか、土方も思わず真面目に答えていた。
「…確かに思い出したくもねえんだが、なんでだろーな」
今だってあの日の事を思うたびに、胸の奥が焼けるような、扱いきれない感情が暴れだそうとする。
悔しいとか悲しいとか、そんな単純なものじゃない。
プライドだとか今までの努力だとか決意だとか、いろんなものがない交ぜになって心を支配する。
心を支配された身体はまるで屍のように意思を無くし、しばらく身動きが取れない日々が続いた。
けれど、だからこそ、気付いたことがある。
引退して、部活に行かなくなって、学校で放課後まで補習を受けて、そして帰宅する。
そんな毎日のなかふと思った。
「野球してない自分にすげえ違和感があってな…」
今日、あの試合以来久しぶりにグローブに手を通した。
それはまるで身体の一部のように、しっくり馴染んだ。
身体が自然とそれを求める。
あんな思いをしたっていうのに、どうしたって断ち切れなかった。
「お前は一回も泣かなかったよな。それがすげえ悔しい」
土方は銀時を見て言った。
「俺?」
自分に振られて銀時はいささか驚く。
「んー…性格上無理なんだよなぁ、泣くのって」
銀時はへらりと笑っていった。
「家でこっそり泣く派?」
「あー、家でも泣けなかったなぁ」
銀時は間延びした顔で答える。
土方は信じられないといった様子で銀時を見た。
「…それってなんか、胃にもたれねぇ?」
土方がそう言うと、表情を一切変えずに銀時は唸る。
「んー…、よくわかんね!」
銀時は勢いよく立ち上がると、グラウンドに向かって歩き出した。
「一球打とうぜ」
そう言った銀時の手にはいつの間にかバットが握られていた。
「監督に怒られんだろ」
「いいじゃん、一球だけだし、すぐに片付けりゃバレねぇって」
銀時は早々にバッターボックスに立つと、早く来いと土方を促す。
渋々腰を上げた土方は、隅に置かれた篭から使い込まれた白球を取り出しマウンドに向かった。
プレートを踏み、真正面を見ると、相変わらずのムカつく顔で銀時がバットを構えていた。
がんがんと照りつける太陽が、じわじわと肌を焼くこの感覚に懐かしささえ覚える。
「九回裏、ツーアウト三塁」
向こうで銀時が叫んだ。
土方ははっと息を詰める。
まざまざと思い出されるのは最後の試合の情景だった。
(意地の悪ぃ奴…)
その憎たらしい顔に当ててやりたいと思ったが土方はぐっと堪えた。
足場を慣らし構えて投げる。
放られた球は銀時の頭の高さを通り抜け後ろのフェンスにぶつかった。
誰が見てもわかるボール球だ。
「腕鈍ってんじゃねえのエース」
「うっせ」
銀時の言葉に負け惜しみを言うが、思った通りに投げられないのは事実だった。
銀時は拾ったボールを土方に投げて寄越した。
もう一回ということだろう。
土方は深呼吸し、イメージを練り直す。
あの頃の感覚を呼び起こし、いつものように腕を振り抜く。
ボールは内角高めを鋭く通り抜けた。
ガシャンとフェンスにぶつかる音が響く。
「ふっ、腕鈍ってんじゃねぇの四番」
「…うっせ」
手の出なかった銀時は、唇を尖らせたまま土方へボールを渡す。
こうなるともう打つまで止めないだろう。
土方は再び構え銀時を見据える。
狙うはストレートど真ん中。
渾身の力で投げ抜くと、ボールは勢いよく風を切る。
その刹那、タイミングを合わせた銀時のバットが、小気味よい音を鳴らしてボールを叩いた。
「……っ!!」
真芯を捕らえられた白球は、真っ青な空を背景に、ゆるやかに放物線を描きながら校舎裏へと消えていった。
「………」
そのあまりにも美しい青と白のコントラストが、銀時の網膜にくっきりと焼き付く。
銀時も土方もしばらくその場を動けないでいた。
数秒して、土方がはっと意識を取り戻す。
「ちっ、やっぱ腕鈍ってんな…って、…お前何泣いてんの」
「…へ?」
土方は信じられないものでも見たと、目で訴えている。
近づいてきた土方に言われ銀時は頬を拭った。
驚くことにそこは確かに濡れていた。
そこで初めて今自分は泣いているという事実に気付く。
「いや…なんか…」
銀時もどうしてかわからなかった。
止まりそうもない涙を拭い続け、ふとある情景が蘇る。
鼻を赤くし、嗚咽まで漏らし、無様に泣くあの日の仲間たち。
銀時は泣くという行為が苦手だった。
だから一人仲間の内に入れず、どこか冷めた思いでそれを見ていた。
(なんで、今更になって…)
あの日の思いに締め付けられる。
自分は無自覚にも程があるみたいだ、と銀時は思った。
はじめは呆気にとられていた土方だったが、見てるうちになんとなく理由がわかったような気がした。
「もしかして…消化したんじゃねえの?」
「……」
その言葉を聞いて、銀時はさっきの会話を思い出した。
そして、ああそうかと得心が行く。
土方が言うように胃にもたれていたのは事実だった。
遊びで打ったボールで、試合の結果が覆るわけでも何でもない。
けれどもあの美しい放物線に、どうしてか報われたような、救われたような気がした。
すっと胸が軽くなる。
「ていうかアレ見つけにいかねえと、俺ら怒られるんじゃね?」
顔を青くした土方は、引きつった笑いを浮かべてそう言った。
「…あ」
土方の言葉に銀時も顔を上げる。
いつの間にか涙は止まっていた。

2012/1/18



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