short story | ナノ

静かな夜陰に、刹那の殺気を感じて素早く身を起こした。月の光が届かない部屋の中で、その気配を全身で探る。いつも肌身離さず持っているクナイを気配のする方へ投げつけると、襖を貫く渇いた音が鳴った。同時にぎろりと睨み付けてやると、くすくすという笑い声と共に、ゆっくりと襖が開かれた。
「なんじゃ、ぬしか…」
「あら、その物言いは少し失礼じゃなくて?」
暗闇からしなやかに姿を現したのは、好感がもてない笑みを携えたあやめだった。まるで幼気な少女の悪戯だったとでも言うように、少しも悪びれた様子を見せない。
あやめがここを訪れるのは今日が初めてではなかった。かと言ってそう頻繁にくる訳でもない。いつも猫のように気まぐれだ。
鳳仙のしがらみが無くなったといっても、ここ吉原の警備は今でも厳重だ。むしろ強大な支配者がいなくなったからこそ、吉原の秩序を守るために自衛に力を入れなければならない。しかしあやめは、難なく警備の網を抜けてくる。まるで我が家のように、当然のようにここにいる。僅かな悔しさとその奔放さに、思わずため息が漏れた。
「さっさと帰れ」
非常識な現れ方をする彼女を、客人のようにもてなすつもりは毛頭ない。相手にするのが面倒で、わたしはあやめに背を向け、再び布団の中に潜り込んだ。
「あら、久しぶりなのにずいぶんと冷たいんじゃない?」
「歓迎されたかったら普通の時間に普通に来なんし」
「まあ…それもそうね」
「………」
嫌味すらさらりとかわされるのも毎回のこと。いつものパターンに腹立たしくなって、会話を遮るために頭まですっぽりを布団を被った。
「そんなに拗ねなくてもいいのに」
布団の外側からうっすらとあやめの声が聞こえたかと思うと、いくらか間も置かず、背中側にさっと風が通った。布越しに人の肌が触れ、ああやっぱりなと思う。するりと布団の中に滑り込んだあやめは、頬を寄せるようにぴたりと背中に張り付いた。この女の目的は薄々わかってる。拒絶しようとした瞬間、彼女は思った通りの言葉を吐き出した。
「ね、しましょう?」
羞恥も遠慮もなく、平淡な口調であやめは言った。心の中でやっぱりそうかと呟いてから、わたしは拒むように僅かに身体を捻った。
「わっちは眠い」
「そんなこと言わないで」
「………」
「…お願いよ」
途端に弱々しくなった声が、息苦しい布団の中で振動する。世界で一人きりになってしまった、幼子の泣き声のようにも聞こえて、思わず背後を見る。ぎゅっと背中の布地を握り締める感触が伝わって、今日もまた拒めないのか自分はと、諦めにも似た感情に全身が支配された。
狭まれた布団の中で仕方なしにくるりと身体を返すと、まるで狙っていたかのように唇と唇が触れ合った。わたしはそれを当たり前のように受け止める。互いの呼吸で蒸れた空気の中、息苦しさに逆らうように、熱い吐息を絡ませた。

この女は、決まってあの男に手酷くフラれた日にやってくる。と言っても常日頃からフラれ続けていることは知っているし、この女が罵られることに快感をおぼえる性癖だということも理解している。それでも知らず知らずのうちにその心には小さなひびが入っていくらしい。限界値に達すると自分が保てなくなると無意識に理解しているのか、こうして助けを乞う。淋しさを埋めるなら他の男と寝ればいいだろうに、それは自らのプライドが許さないのか、それとも意外と純情で愛した人以外には身体を許さないのか、けれどもこうしてわたしを求めるのは同性である女ならセーフだと思っているのか、いまいち線引きがわからないが、たぶんどれも正解だろう。
自慢できるものかはわからないが、そういった女特有の感情の機微には幼い頃から通じていた。吉原で育ったせいか幾人もの愚かな女を見てきた。その末路も。だから、知らず知らずのうちに自分を傷つけるこの女を、わたしは無下にはできなかった。
「もう、あの男に何かを期待するのはやめたらどうじゃ」
「んッ…いやよ…」
銀さん以上の男なんてこの世にはいないわ。あやめはそう言いながら、わたしの下で淫らに腰をくねらせた。さっきまで身体を預けていた敷布に、女の愛液が滴り落ちる。
「絶対に落ちんとわかっててもか?」
「だから、あッ…い、良いんじゃない…っ」
「…本気で言ってるのなら、本物の馬鹿じゃな」
「ほっといて…んんッ!」
この問答も何回目かわからない。決まって女の答えはいつもこうだ。
この女には自分の傷が見えていないらしい。そのうち擦り切れてぼろほろになって雑巾のようになってしまうに違いない。どこまでも救いようのない愚かな女だ。そんなにあの男が良いのなら、どうしてここで足を開く。どうしてわたしを求める。淋しいからだろう。壊れそうだからだろう。育った環境と、身体に刻まれた技のおかげで、女の眼を読むのは昔から得意だった。わたしならこやつの望むようにしてやれる、望むものを与えてやれる。この女も、それを知っているからこそ何度も何度もわたしを求める。
わたしは腹立たしさをぶつけるように、時には痛みを、時には快楽を与え続けた。

「まだするの?」
「誘ったのはぬしじゃ」
「もう疲れて…」
「眠いところを叩き起こされたんじゃ。わっちの言うことも聞いてほしいもんじゃが」
濡れそぼった突起を強く摘まむと、その口から、甲高い悲鳴がだらしなく漏れた。
こやつが馬鹿な女なら、その馬鹿な女に振り回されている自分はいったいなんだというのだろう。そんなに嫌なら突き放せばいいのにそれができない。同情からはじまった恋は、苛立ちと、もどかしさと、えぐられるような自己嫌悪を孕みながらも、どうしようもない熱を心に宿した。
うわべだけの営みを繰り返すたびに、わたしこそ、世界で一番救いようのない愚かな女だと、自覚せざるを得なかった。


2012/9/18
title:あまったるいさま



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