short story | ナノ

月のない夜だった。
繁華街を少し外れた所でそれは起こった。
「………?」
帰宅途中の妙は違和感に足を止めた。
深夜に相応しくない怒号が曲がり角の向こうから聞こえる。
最初は酔っぱらいが騒いでいるのかとも思ったが、聞こえてくる様子からすると、どうやらもっと切迫した状況のようだった。
「………」
嫌な予感がした妙は、少々遠回りになるが別の道を行こうと方向を変えた。
そそくさとその場を離れようとする。
「どけェえ!女ァ!」
「…!!」
振り向くと、後ろから危機迫った様子の男が、荒々しい叫び声を上げながら近づいて来るのが見える。
しまった、と妙は思った。
一瞬の内にこのままでは危険だと悟ったが、どういう訳か一切の身動きが取れなくなった。
頭の中では逃げろ逃げろと叫んでいるのに、身体は全く言うことを聞かない。
そうしている内に男はもう目の前にまで迫っている。
「どけェ!!」
「きゃっ…!」
男は妙を突き飛ばし、そのまま走り抜けた。
「…っ!」
転んだ衝撃と打ち付けた身体に痛みが走る。
訳がわからないまま、妙は男が向かった方向に目を向ける。
そして息を飲んだ。
既に過ぎ去ったかと思ったが、どういう訳か男はすぐそこで立ち止まっていた。
一瞬ひやりとする。
早くここから逃げなければと立ち上がろうとするが、転んだ時に捻ったのか、足に激痛が走った。
痛みにうずくまりながら、状況を把握しようと懸命に頭を働かせる。
よく見ると、立ち止まった男から先ほどの荒々しさが消えている。
むしろ息を詰まらせて震えているように見えた。
訳がわからないまま目を凝らすと、いつの間にか男の前にもう一人の人影が立っていた。
「……っ!」
暗闇に溶け込むようなその漆黒の影は、すらりと何か光るものを男に突き付けた。
それは街灯の光を受け、鈍く輝く刀だとやっと気付く。
「レディにこんな仕打ちするなんざ、許せやせんねェ」
「ま、待ってくれ…!」
妙を突き飛ばした男は、膝から崩れるように地面にへたり込んだ。
妙は息を潜めて、その様子を見守る。
そして、もしやという予感に駆られる。
一方の声は、確かに聞いたことがある声だった。
「どうか命だけは…」
「はっ、そんなんで許すと思うかィ」
漆黒の影は嘲るように笑った、ような気がした。
「あばよ」
「ひ…っ!」
その刹那、光を受けた白刃が見事なまでの弧を描くと、男の身体が一瞬の内に二つに分かれた。
緩慢な動きで胴体が倒れる。
次いで鈍い音を立てて何かが足元に転がった。
しんと辺りは静まり返る。
いよいよ妙の頭は真っ白になった。
人影は慣れた手付きで刀を払い、鞘に収める。
つかつかと近づいて来るその人から、妙は目を離せないでいた。
「…沖田、さん?」
目の前まで来ると、人影は妙の目線に合わせてしゃがみ込む。
そして妙に何かを差し出した。
「すいやせん…返り血が掛かってしまいやしたね…」
ハンカチを手に持った沖田から、妙は恐る恐るそれを受け取る。
「本当にすみません、あとでそれ、弁償させて貰いやすから…」
先ほどとは打って変わって、沖田は弱々しく項垂れた。
「………」
ここにいるのはいつもの沖田だ。
先ほどの現実とはかけ離れた光景の中にいた人とは思えない。
けれどもどうしてか、身体の震えが止まらなかった。
「その人…は…」
視界の端に僅かに映る男の影は、もはやぴくりとも動かなかった。
途中で気付いた事がある。
その男は真撰組の隊服を纏っていた。
妙の掠れた声を聞いた沖田は、醜いものでも隠すように妙の視界を塞いだ。
「それは言えやせん」
静かな声が耳朶に響く。
「どうか、他言無用で頼みます」
「もし約束が果たされなかったら…」
「俺ァ姐さんを、斬らなきゃならねェ」
視界を遮られたまま、妙はこくりと頷いた。
顔に掛かった冷たい手が、より一層冷たく感じる。
一月の風に晒されて、妙の頭の中は妙に冴えていた。
この瞬間、私たちの関係は終わってしまった。
今日生まれたこのしこりは、一生付いて回るだろう。
心から笑いあうことなんて、たぶん、できない。
そろりと掌が離れると、開かれた視界には微かに笑った沖田が映った。
「…送ります」
沖田は立ち上がり、そして手を差し出す。
躊躇しながら自らのそれを重ねると、いまだにみっともなく震えていた。
違う、これは違うんだと妙は心から叫びたかった。
恐怖してるんじゃない。
悲しいんだ。
大切なものを失ってしまったから悲しいんだ。
そんな心の内を知ってか知らずか、沖田は妙の手を握り締めた。
優しく、包み込むように。


2012/1/30



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -