short story | ナノ

(執事パロ)




「こんな所におられましたか」
山崎は小さくなってベンチに座り込んでいる己の主人を見つけ、溜め息にも似た安堵の息をついた。
日は陰り、もうすぐ闇へ転じようとしている。
人気の無くなった公園は、昼に纏うそれとは違い、閑散として淋しい。
まだ冬の名残を含んだ空気はひどく冷たく身を刺す。
けれど山崎の主人は、神楽は、家の中にいるときの姿そのままで、寒空の下動かないでいた。
まあ屋敷を飛び出していったのだから、なにかを羽織ってくる余裕などなかったのだろうが。
そんなことは承知の上だったので、山崎は持ってきたカシミアのコートを、大事な我が子にするような、柔らかな手つきで彼女に被せた。
「心配しましたよ。何かあったらどうするんですか。誘拐されるんじゃないかと気が気ではなかったんですから」
大財閥の一人娘とあっては、それなりに身の危険を伴う。それは彼女も承知しているはずだ。
けれど神楽は心配したと言っている執事に向かって一瞥をくれてから、嘲るように鼻で笑った。
「白々しい。原田がいたから大丈夫アル」
視線で林の方を指す。
ちなみに原田とは神楽専属のSP筆頭の名だ。
相変わらず目ざとい、もとい目端がきくなあと山崎は関心した。
ちなみに、この、屋敷に締まっておくには惜しいくらいの鋭い洞察力と、いつの間にか身についていた華麗なる武術の腕は、残念ながら執事とSPから逃げおおせるためだけにしか使われたことはない。
「さすがです、お嬢様」
山崎は笑って言うが、その笑顔が気に食わないと言わんばかりに神楽は眉間に皺を寄せた。
明らかに不機嫌な調子で更にその身を小さく固める。
「…絶対帰らないネ」
か細い声は頼りなく消えていく。
かわいらしい外見とは裏腹に、こうと決めたらてこでも動かない頑固な一面は、こうやってしばしば執事を困らせた。
きんとした風が通り過ぎる。
持っていた時計に目をやると既に6時をまわっている。
無理矢理にでも連れて帰らないと心配性な旦那様が、そろそろ軍隊でも引っ張り出してくるだろう。
けれども山崎には神楽の意思を無下にできるほどの冷徹さを持ち合わせてはいない。
この執事に限らず、屋敷の者は、砂糖菓子のようにすこぶる神楽に甘かった。
「横に座らせて頂いてもよろしいですか?」
返答はなかった。
あいかわらず小さく固まっているだけ。
無言を肯定と受け取り山崎は隣に腰を降ろす。
「…そんなに、ご婚約が気に入りませんか?」
「当たり前アル!」
神楽は弾けたように顔を上げる。
「なんで勝手に決められなきゃならないネ!誰よアイツ!パピーは勝手アル!あー!もう一発殴ってくればよかった!」
一息に叫ぶ。気色ばんだ顔からは荒い呼吸が洩れていた。
「きっと今頃、旦那様も後悔しておいでですよ」
「んな訳ないネ」
「ただ、お嬢様の先のことが心配で仕方なかったのでしょう」
「なんでお前にそんなことがわかるネ」
山崎はしばらく沈黙し、少しお話をしてよいですかと神楽に尋ねた。
「お嬢様。この公園、覚えていますか?」
「公園?」
「そう。あれはまだ私が見習いの頃、そうですね、お嬢様は5歳くらいだったと思います。一番年の近い私が、遊び相手としてお嬢様に仕えていました」
「…うん」
「いつもは屋敷の中で遊んでいたのですが、お嬢様は外の世界に大変興味をもっておいででした。私もそのお嬢様の気持ちがなんとなく分かってしまったものですから、どうにかして叶えて差し上げたいと思ったのです。差し出がましいですよね。そして忘れもしないあの日。私はお嬢様を屋敷から連れ出しました。SPにばれてしまってはいけないので、私しか知らない抜け道を使ってこっそりと屋敷を抜け出したのです。お嬢様は外の世界にたいそう目を丸くしておられました。そして見つけたのがこの公園です」
山崎は懐かしむように目を細めた。
「…なんとなく私も覚えてるアル。すごく楽しかった…」
「それはよかった……けれどやはり旦那様にばれてしまった訳です。うちのSPは優秀ですからね。すぐに帰ればばれないだろうとたかをくくっていた私は、まだ浅はかな子どもだったんです。本当にお嬢様と旦那様には申し訳ないことをしたと思っています。一時でもお嬢様の身を危険に晒した訳ですから。悔やんでも悔やみ切れないな…。ああそんな顔なさらないでください。すべては私の独断で行ったことなんです。その後、お嬢様も私もたいそう叱られました。この事件よりしばらくはお嬢様に会うことは叶いませんでした。それだけのことをしたのだから当然です。むしろ私は辞めるつもりでいたのです。…驚きましたか?それで責任を取れるとは思っていませんでしたが、けじめを、つけたかったのです。けれど結局私は辞めませんでした。…お嬢様のおかげで」
「…私?」
「ええ。後で旦那様に聞いたのですが、お嬢様が私のせいではないとおっしゃってくださったのです。だから山崎を叱らないで、と。もちろんあの事件は私のせいですし、罪を逃れるつもりもありませんでしたが、お嬢様がそう言ってくださったのがとても嬉しかった…。だから私は旦那様たっての希望もあって、今もこうしてこの職にしがみついてる訳ですが」
「私、そんなこと言ったアルカ?」
「…言ったんですよ」
山崎は穏やかに目尻を下げた。
「ふぅん。で?」
「ああ話が逸れてしまいましたね。懐かしくてつい…。あの時、お嬢様を迎えに来た旦那様はたいそう必死でいらっしゃいました。召し使いに任せておけばいいに、旦那様は自らお嬢様を捜しに近隣を走り回っていたのです。私たちを見つけた時の形相ったら、鬼のようでしたよ」
山崎は思い出したように笑って公園の入口の方を見るので神楽もつられて視線を移した。
「今回も同じです。ただ旦那様は心配なだけなんです。だからあんな頑なにこだわったんだと私は思います。あの時と同じ顔をしてましたから」
「…でも、やっぱり私はいやアル」
「もちろんそのことはちゃんと話し合わないといけませんね。なに、大丈夫ですよ。結局のところ、旦那様はお嬢様にすこぶる弱いですから」
「……お前がそんなこと言っていいアルカ?」
「お嬢様がばらさなければ」
一癖も二癖も含んでそうな笑顔で山崎は笑いかけた。
神楽は山崎のその笑顔が質の悪いものだと知っている。
諦めにも似た脱力感が湧き、今までむきになっていた自分がとても莫迦らしく思えた。
「…わかった。帰るアル」
「それはよかった」
神楽は立ち上がり自分の足元を見た。あまりにも頼りなく小さな足だ。
あの頃は、こんな小さな公園が、お伽話にでてくるような夢の国のように思えて心が弾んだ。
今では年を重ねてそんなことは思わなくなったけれど、悲しいことだったり悔しいことだったり、何かあればここに駆け込んでしまうのは、あのときめきがまだ残っているからなのかもしれない。
今車をお呼びますね、と言った山崎の袖を神楽はちょいと引っ張る。
「歩いて帰ろう。あの時みたく」
目を瞬かせた山崎はしばらく沈黙したあと、緩やかに笑って頷いた。
「それでは、僭越ながらご一緒に」
二人連れ立って公園を後にする。
空はすっかり濃紺を混ぜた黒へと変化し、頼りなげに小さな光が輝く。
ゆらゆらと少し揺れている、懐かしいという気持ち。
どちらともなく互いの手を取り合って、あの日の思いを胸に留めた。




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