第十三章 泥濘の中

「熱あるわね」

朝から食堂に現れなかった雪を心配した柳宿が部屋を訪れ、額に手を当てるまでもなくそう言った。紅潮した頬、掠れた声と乱れた口呼吸。誰でも一目見て調子が悪いことに気付くだろう。

「これだけ症状出てれば、自分でも分かってんでしょ」

「ううっ。せめて、井宿には言わないで……。気にするから……」

まるで泣いたあとのように、雪はつまった鼻をぐずぐずと鳴らす。ちなみにこのような口止めは本日二度目である。最初の相手は、今朝一番に様子をうかがいにきた侍女だ。

「見事に貰っちゃったわけだ。とは言っても、あたしが黙ってたって勝手に来ると思うけど」

言い終わるのとほぼ同時に、扉が叩かれた。柳宿は肩を竦めて一言「ほらね」と呟き、雪の代わりに返事をする。

寝台に体を横たえたままの姿を見て、元々良くなかった井宿の顔色がさっと変わった。雪は咄嗟に布団で鼻まで覆ったが、今更遅い。

「具合が悪いのだ?」

「う……ううん。少し体が怠いだけ……」

「それを"具合が悪い"というのだ。やっぱりうつしてしまったのだ……」

歯痒そうに、井宿は小さなため息をついた。

「……今日はゆっくり休むのだ。いや、完全に治るまで休まなくては」

「そんな悠長なこと言って――」

「井宿の言う通りよ。召喚にどれだけ負担がかかるかは、あんたが一番よく知ってるはずでしょ?特に今度は、前と同じってわけにもいかないんだから」

もっともな意見にぐっと言葉を飲み込み、雪は二人を見比べる。柳宿は明らかに、井宿を遮るように先回りして今の台詞を言ったのだ。

たっぷり一呼吸おいてから、同じく何かを飲み下した様子の井宿も口を開く。

「……そうなのだ、体調を万全にしておいても危険だと思うのに。軫宿にオイラから話しておくから、君はゆっくり寝ていた方がいいのだ。食欲は?」

「……あんまりない。食べなきゃとは思うんだけど」

「んじゃー、あたしが美味しいお粥でもこしらえましょうかね。吐き気がしないなら、一口だけでも何か食べておいた方がいいわ」

小さくしたお野菜と、卵と……なんて独り言をこぼしながら、気を利かせてすぐに踵を返した柳宿。井宿は雪の額に浮かんだ脂汗を軽く手拭いで拭ってから、不安げなまま静かに去っていった。

「はぁ。最低」

なにも今更風邪を貰うことはないだろう。せめてもう少し待ってくれれば。そんな無駄な事を思いながら、雪はずんと重たくなった瞼に抗えず、ゆっくり眠りに落ちていった。






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