*第九章 逃げてまた、追い詰められて
攻児が渡した酒は、あまり強いものではない。飲みくちもだいぶ甘いものだ。
しかしそれでもちびちびと舐めるように口を付ける度に、雪の表情が少しずつ変わっていくのが分かった。適当なところで止めよう。
「なあ幻狼。お前らほんまに、どうしてん」
「どうもしてへんわ」
忘れかけていた色々な事を瞬時に思い出して、少しむすっとしたように翼宿が呟く。
「お前が全然酒に手ぇつけへんとか異常やろ。俺にも言えん事なんか?」
今まで、攻児に隠し事をした試しなどなかった。しかし言えるだろうか、痴話喧嘩に首を突っ込んだらこうなった。などと。事情はもっと複雑だけれども。
「……ちとツラ貸せ」
「はあ?せやけど、」
「平気やて。席はずした間に雪はんに何かしようもんなら、俺が問答無用で半殺しにしたる。ていうかそんな命知らずな事するほど、こいつらも阿呆やないて。阿呆やけど」
ええから来い、と、言われるまま渋々立ち上がる。その動きに振り向いた雪には厠に行くと伝えると、二人連れだって部屋を出た。
扉を閉め、喧騒を背に翼宿は重い口を開く。近頃二人の様子がおかしいこと、宮殿にいる女が嫌なちょっかいをかけてくること――等。
攻児は腕を組みつつただ黙って聞いていたが、翼宿の話が終わるや否や、こんな事を口にした。
「で?お前はどうなってほしいんや」
直球で結論を求められ、照れくささにほんの少し口ごもる。
「どうって……。俺はあいつが……雪が、幸せになれればええと思うとる。てか、ならなあかん」
「せやったらいっそのこと、お前が代わりになったらええやん」
「はっ? お前、からかうなや」
凄むように返しても、攻児は真面目な表情を崩さない。つまり、本気で言っている。
「隠しなや、幻狼。お前、雪はんに惚れとるやろ」
「なっ、攻児!いくらお前でも、それ以上言うたらっ……」
なおも涼しげに笑う親友の姿に、思わず言葉を引っ込める。
誰が誰に惚れてるって?俺はただ、あいつが心配なだけや!と、続きをちゃんと準備しているのに。
……どうしてはっきり言えないのだろう?喉まできて、引っ掛かって、胃袋まで落ちる。言葉にするのを、体が拒絶した。
「素直になれや。ともかく、俺はいつでもお前の味方やからな?相棒」
肩を叩かれた瞬間、正直そのまま崩れ落ちてしまう気がした。
膝に意識をやってどうにか堪えたものの、自身の意味不明な動揺に追いつけない。雪の事を好きか嫌いかで答えるならばそりゃ前者だが、恋愛感情と絡められたら途端に頭がこんがらがる。
いや、とにかく今は雪のもとへ戻らねば。――攻児に悟られないように、翼宿はため息を逃していた。