*第十六章 流れるままに
それから約束通りの店で食事をしながら、二人は他愛もない会話をしていた。休日のランチタイムで店内は少し混んでいるが、別に周囲が気になる程ではない。
「最近どうなのよ、そっち」
「んー?」
「一緒に暮らしてるんでしょ?学校にバレたら色々マズそうだけど」
パスタをフォークに巻きつけながら、葉月がにやにやと笑う。向こうにいた時より随分丸くなったように思うが、実際のところ彼女は人見知りだっただけなのだ。
一度目に戻って来て交流するようになってから、葉月は雪のよき親友となっていた。今では学校が違うのが残念だと言い合うほどの仲である。
「どうって……言ってもなあ。特にこれといって面白い話はないけど」
「いい年した男女が同じ屋根の下に暮らしといて、何もないの?」
「ちょ、声が大きい……!」
これだけ人がたくさんいれば誰も女子高生二人の会話など気にもとめないのに、雪は気恥ずかしさから口元に人差し指を立てた。
「ま、いいけど。私もさあ、いつの間にかそうなってたって感じだから気になるだけ」
「もー……。そっちこそ、最近どうなの?何か変わった事とか――」
雪の問いかけは、最後まで言い切ることができなかった。すぐ横の通路に人影が立ち、大きな声をかぶせてきたからだ。
「葉月さぁーん!こんな所で会うなんて奇遇ですね!」
しかもその人影は、見覚えのある少年だった。葉月と少年を交互に見比べて、雪は思わず目をぱちくりさせる。今日は己の視覚と脳を疑うような出来事ばかりだ。
「あー……」
「……あの、もしかしてだけど」
少年は満面の笑顔だが雪の事など一瞥さえしないので、そっと葉月に問いかけてみた。
「雪が思ってる通りの人」
同じように小声でそう言うと、彼女は短くため息をこぼしていた。だとすると、この既視感まみれの少年は……あの角宿ということなのである。
「ちょっと、今友達と一緒だから。あんたは自分の席に戻った戻った」
「え?……あー、本当だ。気が付かなかった」
一気にトーンダウンした声と共に、冷たい視線が向けられる。「邪魔しやがって」とでも言いたげ……というか、目がはっきりそう言っていた。こちらに来てもそういうところだけは変わりがなさすぎて、邪険にされたのになんとなく感心してしまった。
どういうからくりかは分からないが、彼はあの後でこちらの人間に転生したのだろう。強いて言うなら執念か。
こちらは性格が本当に丸くなったようだと思ったが、よく考えるとあのままで転生したらこれこそ色々とまずい。
「仕方ない、じゃあ葉月さん、また学校でっ!」
くるりと踵を返し、彼は奥の席へ消えていく。奥に男子高校生らしき一団がいるので、恐らくそこにいたのだろう。
「あらら……行っちゃった」
「いいのいいの。毎日ああで鬱陶しいんだから」
平和に高校生活をエンジョイする角宿は、何だか妙に微笑ましい。彼も結局は二人と同世代だし、遊び盛りの若者なのだ。
「ところで彼、覚えてるの?」
「全然!でもなんか知らないけど、最近どっかからか転校してきてね。いきなり『一目見た瞬間に、どうしようもなく運命感じたんです!』とか言ってるから、無意識の中に記憶残ってるのかもね」
「わー、なんかちょっとロマンチック」
「どこがよ。猪突猛進って感じでおまけに声がでかいから、注目されて恥ずかしい目にあったんだから」
またため息をついて、葉月は項垂れていた。
「まあ勿論、前から嫌いってわけじゃなかったけどさ……。雪達みたいに、はっきり望んで再会してないからね。私からすればそっちのほうがよっぽどロマンチック」
言っていることは少々冷たいが、困ったように笑う顔は柔らかい。きっとなんだかんだで葉月も角宿を憎からず思っているのだろうなと雪は判断した。
そういえば前に葉月に巻き込まれてこの世界に一時帰還した際、井宿を想って戻りたがった雪に「私なら戻るより連れてくるけど」と言ったのを思い出す。
「あはは……。あ、ごめん、ちょっとお手洗い。戻ったら今度はこっちから色々と聞くからね」
立ち上がってトイレへ行き、用を足すわけでもなく手洗い場の鏡の前へ立った。そこに映った自分は驚くほど無表情で、なんならほんの少しだけ顔色も悪い。
――こちらへ戻ってきた後の記憶を手繰り寄せようとするが、どうも引っかかるのは何故なのか。
思い出そうとして、思い出せなくて。それから少しすると、堰を切って記憶がなだれ込んで来るのだ。まるで何か辻褄を合わせるかのように。
「どうしてこんな大事な事、ちゃんと思い出せないんだろ……」
締りのあまい蛇口からぽたぽたと落ちていく水を眺めて、雪は小さく呟いた。