*第八章 刺客再び
こんな気持ちは、一体どれくらいぶりだろう。
亢宿が濁流に飲まれた時に重なった記憶。
自分はまた、大事なものから手を離そうとした。同じ過ちを繰り返すところだったのかもしれない、と、ぼんやり思った。
いずれこの暗い過去も、彼女に全て話さねばなるまい。隠すつもりはないし、きっと受け入れてくれるはずだと信じてはいても、やはり進んで話したくなる内容ではなかった。
「……井宿、」
突然の声に、慌てて顔をあげる。
「ゆ……っ」
扉を少し開けて何故か申し訳なさそうにこちらを窺っているのは、今まで想っていた少女だった。
「ど、どうしたのだ?朝食は……?」
「そろそろだから呼びに――っていうか、さっきあんな風に逃げちゃったから、怒って顔出さないのかと思って……」
「あ……。そんなんじゃないのだ、雪は悪くない」
少し笑って立ち上がろうとする彼の隣にやって来た雪は、何だか難しい顔をした。
「ん?どうしたのだ?」
「……あのね。私考えたんだけど、」
「……おい井宿!えらいこっちゃで!」
「わあっ! たす……っ」
声も掛けず派手に開いた扉から、これまた派手な男が突入してきた。
「ゆっ……雪……!ああっ、俺またやってもうた……」
大事なところを邪魔してしまったのだと、今度は瞬時に気がついたようだ。けれど今度は雪がそばに残っていることだしと、大人の対応をしてやることにした。
「……翼宿、何がえらいこっちゃなのだ?」
目を伏せ、苦笑しながら井宿は冷静に尋ねる。そこで用件を思い出して、翼宿が再び表情を険しくする。
「あっ……せや!たまが、たまがおらへんねん!」
「たま……? 鬼宿が?それは確かなのだ?」
「な、なんで!?」
二人からいっぺんに詰め寄られた翼宿は少し仰け反り、大声をあげた。
「そんなん、俺が知るかい!イチャイチャしとらんと、ちょっと来てくれや!」
「君はいつも一言余計なのだ……」
部屋を出ながら翼宿の後頭部に一発軽く掌を当てると、三人は急いで鬼宿の部屋へ向かう。
くだらない用件だったら弾き出してやろうと思ったのに、事態はかなり深刻なようだ。柳宿も星宿も、鬼宿の部屋に到着している。
「…………。嫌な気配なのだ……」
「井宿、何か感じるのか?もしや、まだ……?」
「いや、残り香のようなものですのだ…。もう宮殿には居ない……鬼宿も……」
鬼宿の気が、さっぱり感じられない。
「……!」
自分で「居ない」と言ったそばから感じた気配に、井宿は慌てて振り返る。その場に集った仲間たちや雪も、僅かに遅れてその視線を追っていた。
「あんた、こないだの……!」
柳宿が怒鳴ると、そこに立っていた黒ずくめの男が口を開く。
「彼は今、倶東国にいる」
「はぁ……? お前、何やねん」
鉄扇に手がかかるのを黙って手で制止しながら、井宿が男へ尋ねる。
「きちんと説明してほしいのだが?」
「前にも言っただろう。青龍の巫女が、鬼宿を御所望だと」
それだけ告げて、男はまた消えるように去っていく。同時に気配もさっぱり感じ取れなくなってしまったので、恐らく探しても怒鳴っても無駄だ。
「ちょっ、また……!」
「おい何じゃ!青龍の巫女が何とかってどういう事やねんな!」
鬼宿自身の意思か、はたまた脅されでもしたか……翼宿の声に答える事もせずに、事情を知る井宿達は一様に黙り込んでしまっていた。