*第二十章 奇跡を信じた
頭がくらくらする。いつかも経験した感覚だ。不快さに目をきつく閉じてうずくまっていた雪だが、それが和らいだ頃にはっと顔を上げた。
見慣れない場所である。見渡した先の床に無造作に落ちている古びた本が何かを悟ると、背筋に冷たいものが伝っていった。
「まさ、か」
紛れもなく、ここは現代。雪の元の世界。信じたくないが、この景色は夢でも幻でもなさそうだ。
小綺麗なその部屋の隅にあるベッドで、葉月がうつ伏せに倒れて呻いている。
「は、葉月さんっ!?」
「雪……?どうして、あんたまで……っ」
苦しげな呼吸に慌てて背をさする。体調が悪いのだろうか。何かあったのかもしれない。
「……此処は?」
「私の部屋……。青龍、に、」
「ごっ……ごめんね、やっぱり説明は後からでいいよ。いまは喋らない方がよさそう……少し横になってて」
そう言って側にあった掛け布団を被せた雪は、気になっていたあの本を拾い上げた。
「やっぱり、四神天地書……。どうしてここに」
窓の外を覗けば、此処が元の世界であることは分かる。雪の住むアパートからは徒歩圏内の、閑静な住宅街である。
葉月はどうやら眠ってしまったようだ。何があったかは、もう少し落ち着いてから聞こう。この世界なら安全なはず……そう思って、テーブルに置かれていたメモ用紙から一枚を拝借して、簡単な書き置きを残す。
天地書を抱えて葉月の家を飛び出した雪は、自分でも驚くような速さで自宅に戻っていた。葉月の自宅が近くて本当によかったと思う。
部屋は、あの時のまま。ソファの脇に転がった鞄も、テーブルに置いたままの携帯も、当たり前だがそこから少しも動いていない。ただひとつ違うのは、此処で読んでいたはずの四神天地書が葉月の部屋、延いては自身の手の中にある事だけ。
「……あれから、たったの二日しか経ってないっていうの……?」
肩で息をしながら、充電が少し減った携帯の液晶に映る日付に呆然としてしまった。どういう原理か知らないが、どうやら時間の流れが違うらしい。
今はそんな事、突き詰めても混乱するだけだ。携帯を放り投げてソファに腰を落とし、雪は四神天地書を開いた。
ぱらぱらとめくっていくと、そこには今まで自分が経験してきた日々が綴られていて……空白のページまで来たとき、信じられない光景に眉を寄せる。
「嘘でしょ?何なのこれ……」
文章が浮かび上がるように表れ、そこには雪がいなくなった後の仲間達の様子が恐らくリアルタイムに描かれていた。
ただあの時と違って、いくら読んでいても異世界へ飛べるわけではない。
「戻らなきゃ……でも、どうやって……!」
頭を抱え、どうすればいいかぐるぐると考えてみる。
当然ながら、思い浮かばない。何一つ。あの様子なら葉月はきっと、青龍に「今すぐ元の世界へ」と願って心宿達のもとから逃げてきたのだろう。でもどうして、自分まで?
神座宝を奪われて、もう朱雀を呼び出せないから……一緒に弾き出されてしまったのか?自分の使命はそんなに、もののついでみたいな軽いものだったのか?
本の空白はこうする間にもどんどん埋まっていくのに、今は読む気になれない。
ばたんと音をたて閉じた天地書を腕に抱いたまま、背凭れへ身を預ける。