*第十五章 好きなのは誰?
「……な……っ、」
目を開けた先の場所には、見覚えがあった。既視感なんて言葉では片付けられないほどに馴染みの深い場所だ。
――だが、いま自分がそこに居るのは明らかにおかしい。慌てて顔を上げ、周囲と自身の身体を見渡した井宿は眉をひそめる。
「……どうして」
頭が痛く、僅かに思考に靄がかかっているのが気にかかる。周りを見ていると心がかき乱されそうで、とりあえず両手など眺めながら……こうなる前の記憶を辿ろうとした。
「芳准、起きたの?」
もう長いこと誰も呼ぶことがなかった名前に強く反応して、恐る恐る振り返る。
その先にいたのは、忘れもしない、かつての許嫁だ。
姿形、声色、お気に入りの着物。なにひとつ変わってはいない。強いて言うならばほんの少しだけ、記憶より大人びたような気はする。
「香……蘭、」
「なあに、お化けでも見たみたいに」
そう言って、彼女はくすくすと笑う。懐かしさと、得体の知れない恐怖感が同時に湧き上がってきた。
「な、に? どうして君が此処にいるんだ……?」
「どうしてって……私たち、夫婦じゃない」
「は……」
突然頭の中に記憶が流れ込んできて、苦しさに目を閉じた。頭を殴られたような頭痛がして、かと思えばすっきりと思考が晴れ渡る。
「あ……、」
――そうか、そうだった。
昨日、彼女と祝言をあげたばかりだったか。
よく覚えていないけれどなんだか、今までとても長くて悪い夢を見ていたようだ。
「やだなぁ……。まだ昨日のお酒、残ってるの?」
「……いや。少し寝ぼけていただけ」
頭を掻いて、微笑み返す。よく眠っていたものねと言った香蘭もまた、それに応えるように笑って歩み寄る。
そしてそのまま、そっと肩にもたれかかった。
「私今、すごく幸せ。貴方と一緒になれて」
「ああ……それは俺だって同じだ」
そう、目の前にいるのは、この世にただ一人の愛しい人。
柔らかな髪を撫でて、ゆっくり鼻先を寄せた。