奇妙な一日

*

一方散歩に連れ出された翼宿は、落ち着かない様子でひたすら一歩後ろを歩き続けていた。どこかで打ち明けてしまうか、ぎりぎりまで騙し通して逃げるか。彼女に相談なく決める事はできない。

おそらくこの散歩は、彼の人生の中で最も地獄に近い時間のひとつとなるだろう。

「雪、どうかしたのだ?さっきからどうも変なのだが」

「そ、そのような事は!」

尋常じゃない量の手汗をかき、背筋を伸ばすように体を強張らせる姿は、もはや変という言葉で片付けられそうにない。

「何か隠してるのだ?翼宿が何かしたとか」

「まさか!翼宿は何にも……本当に何も!彼はいい人だよ!」

「…………?」

ますます分からない、というような表情で首を傾げた井宿が、ぴたりと足を止めた。

しばらく特に何も言わないままで、時間だけが流れていく。もうばれてしまったのだろうか、と土下座の準備をしながらゆっくり目線を上げると、同時に井宿が見下ろしてきていた。

人から見下される経験はそうそうない。さほど背丈の変わらない井宿から見下されるなんて尚更だ。

そんな事を考えるうちに、繋いだ手のひらがすっと離れた。空気に触れた手汗が急速に冷えていく。

「やっぱり、雪じゃないのだ。……翼宿なのだ?」

偽りの笑顔を張り付けて、井宿は離したばかりの手を腰に当てる。

「う……っ!?」

「雪がこの場所で反応しないのはおかしいのだ。彼女はあそこの花が咲くのをずーっと楽しみにしてたのに」

指さした先を見上げると、蕾をたくさん抱いた樹木の枝で、桃色の小さな花がいくつか開花し始めている。そんなもん俺が知るかい、と思ってしまった。

「最初から、どうにもおかしいと思ってたのだが……。何があったのだ?たちの悪い呪いにでもかけられたとか?」

「そ、それがやな」

思ったよりも落ち着いた話しぶりに油断して、翼宿が素の喋り方で口を開く。しかしやはり恋人の体を男に乗っ取られていい気はしないのか、時折ぴくりと僅かに眉が動くのは分かった。

今は気持ちを押さえつけて、冷静に状況を把握したいのだろう。そういう姿勢は本当にすごい。

――だから、とにかく怯んではいけない。ここで口ごもったり、変な嘘をついては逆効果である。手汗を時々服の裾でぬぐいながら、翼宿は先ほどの奇妙な出来事を井宿に全て話した。

「……っ、し、信じられないのだ……」

思いっきり頭を揺らした井宿が、芝生の上に尻をつく。さすがの彼でもいい加減、我慢の限界だったらしい。

「当事者がそうやねんから、無理もないやろけど」

「こんなの聞いた事ないのだ……。地獄なのだ、オイラこれからどうすればいいのだ?いくら中身が雪でも、翼宿を抱き締めるなんて耐えられない……!」

「そんなん俺かて嫌やわ!考えてまうからやめい!」

頭を抱えて嘆いた井宿に怒鳴り付けてから、隣に腰を落とす。

「……雪の体で、そんなはしたない胡座をかくのはやめてほしいのだ」

「あ、すまん」

この日の雪の服装は、いつものあの頼りない「制服」だった。それでなくとも足を開く座り方はよしてもらいたいものだと呟いて、井宿は何度もため息をつく。

「ああ、もう……。見た目はどこからどう見ても雪なのに……中身が……中身がっ……!」

「うっさい、俺かて肩辛いし足スースーするし嫌やわ」

「肩が辛い……?」

何とも言えないその視線に失言を悔いたがもう遅い。とりあえず今の体なら殴られたりすることは絶対ないだろうから、早いうちに話をそらそうと翼宿は口を開く。

「し、しかしどないしよ……。つーか雪の奴は何処に行ってん。後を尾けてくると思うとったんに」

「さぁ……絶望して引き込もって泣いているかもしれないのだ……。可哀想なのだ……」

「お前な……」

「雪の声でそんな喋り方しないでほしいのだ……!」

「ええい、さっきからめそめそやかましわ!」

再び頭をはたくが、この体では自分が痛いだけでたいした威力がなかった。

「…………。まぁいいのだ……。そうと分かれば、引き返すとするのだ。雪を呼んで――」

「どないするっちゅうねん」

「と、とにかく行くのだ!」

言いながら伸ばしかけた手を引っ込めて、井宿はあからさまに眉を下げた。なんとか状況は理解していても、まだ気持ちが追いついていないのだなと翼宿は思っていた。






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