で | ナノ






ここまで来てまたもや私のことをばかにする発言が出るとは思わなかった、まあ日ごろから彼には嫌われている気配は感じ取っていたのだが。

「えーでもやっぱり、名前さんももっとお洒落しようよ〜ね?」
「いやいや、そういうのはちょっと事務所的にNGなんで…!」
「何処の事務所!?」
「…てか誰もアンタの化粧姿なんて見たくない。」
三郎が顔を反らして言う。その冷たい態度に周りの雰囲気ですら冷たくなってきた。

「なんでそこまで嫌うの、三郎君?」
「別に…本当に見たくないだけです」
「えーみたいじゃない、ねえ、名前さん」


「―――タカ丸、お願いやから、やめて」

ここにきて、初めて私は小さい声で言った。今までの大きい声とは違う、頼りない声で。

「なんで、名前さん?」
「いいから、」
「言ってくれないとわからな…」
「いいからっ、そんなことせんでええ!!」
怒鳴りつけた。タカ丸がビクッとしたのが分かり咄嗟に悪かったな…と後悔し始めてすぐに私は謝った。でも私はどうしてもさっきの発言を取り消そうとは思わなかった。
何とも言えない気まずい雰囲気が漂う。そんななか、文次郎が口を開いた。

「なんでそこまで嫌がるんだ」
「それは、言えん」
「言えないじゃねえ…言うんだ。」
「っ、……。」

強制させられたことによって口を開かざるを得なくなった。元来私の性格は誰かに頼まれたら断るなんて考えはないし、最後まで物事を責任もって片付けるという性格だから。




「…私、な。」



性格が昔から男勝りだった。
容姿が決して美しくも可愛くもなかった。口が悪かった。目つきがよくなかった。声も気持ち悪いと言われた。ただ良かったのは頭だけ。だからみんなに嫌われることだってよくあったし虐められることなんて別段珍しいことではなかった。女なんていきものじゃない、お前は人間ですらないと馬鹿にされて。
ある時発表で『将来の夢』について話す時があったとき、私は“幸せになりたい”と発表した。先生はそれはすごくいいことだと褒めてくださった。けれどその時クラスメートに言われた。
『お前が幸せになれるか、周りを不幸にするお前が?恥を知れ、恥を!!』と。
その時私は知った、この世には幸せになれない人間がいるのだと。ずっと私は人間みんな誰でも幸せになれると思っていたのに、誰かに責められることのない将来の夢だと思って簡単なものを選んだはずだったのに。なのに…幸せになれないと。


「だから私は、周りの人間が代わりに幸せになれるようにって、笑わせようとしたのに―――あはは、ごめん…迷惑やったよな」
頭を掻きながら私は笑った。明るく、いつものようにと努めたはずなのにあまりうまくいかなかった。その証拠に声が少し震えてしまった。
でも決して涙は見せない、だって涙とは可愛い女の子が似合うものだから。


「…なあ、」
乾いた声で留三郎が言った。
「どうかしたか、留三郎?」
「名前さんは…幸せになりたいのか?」
「…いや、もう大丈夫やで?今楽しいし!」
私は笑顔を作った。
決して本心からの笑顔じゃなかったけど、それでも周りにこれ以上迷惑をかけないようにと。上級生の彼らはきっとこの集りの後もやらねばならないことがたくさんあるはずなのに、今こうして時間を割いてここに居る。
今思えば凄くそれは迷惑なはずだ。私はその瞬間心がスーッと冷たくなった。また迷惑をかけている、と。

「私はもう悪戯をできる限りしないから安心し!よ〜っし、んじゃ私は、」
「待て。」

時間がもったいない、そう思って私が解散の命を出そうとした時、またもや文次郎に声をかけられた。今度は一体何なんだ。私が怪訝な眼でみると彼は非常に真剣なまなざしをしていた。一瞬その目に飲み込まれそうになった。

「だったら、だったらお前は今まで―――何を頼りに生きてきた?一人で生きるにはこの道はそれほど優しくないだろ」
虐められていたお前が、ここまでこれた理由を言え。そう言われた気がした。
聞かれた時私の中に浮かんだ言葉は不思議と一つしかなかった。


「自分の呼び方―――。」
「は?」
「自分のことを“私”って呼ぶこと。」
「…本当にそれだけか」
「うん。」


私は小さい頃から虐められていた。女らしくない、胸がない、声が男っぽいと。その頃はずっと泣いてばかり私はいた。けどそのうち泣くことすら周りに『気持ち悪い』と言われた。可愛い女の子が泣いたら守ってあげたいという気になる、だけど私が泣くとただ顔が気持ち悪いだけだ、と言われた。だから私は泣かなくなった。自分を飾るのを止めた。周りに気を使い、感情を“喜”しか出さなくなった。
そんな私がたった一つ。性別上で正しいことを主張できる。それが“私”と主語をすることだった。

「主語だったら女だって男だって使える…ほら、滝夜叉丸とか小平太とか“私”っていうやろ?けど普通はその言葉は女を指すもの―――だから誰にも気兼ねすることなく気分だけでも女っていうように思えるんや」

ただそれだけの短い間、周りからすればそれだけのこと、だけど私にとってはすごく大切なことだった。だってここでしか許されないから。



「…もういいですよ、名前さん」
静かに雷蔵が言った。どういう意味だろうか、私がそれを考える前に何かが私の体を包む感触がした。
「え…?」
「もう貴方を嫌う人はいませんから、ここには、居ませんから…」

だから、どうか泣いてください。そう言った。
「でも、」
「泣いてください…だってこんなに泣きそうじゃないですか。」
右頬に手を添えられた。暖かい感触、何年振りだろう誰かが私の肌に触れるのは。実際には私よりも雷蔵の方が泣きそうだった。
「はは…雷蔵、アンタの方が泣きそうや、で?」
「ふふ、お互い様ですよ」

頬を触っていた手がふと離れ、次は私の頭をなでた。その動作はまるで親が子にするような優しさがあった。雷蔵もういいから…そう言おうと思って顔を上げた瞬間、ふと気がついた。これは雷蔵じゃない。
「…もしかして、お前」
「雷蔵です。」
「いや、嘘…」
「雷蔵です。―――そう信じてください。」

見上げていた頭をもうひと撫でしてから下へと向かされた。視界は床板の色一色になった。その時、静かだったその空間にたった一言だけ言葉が響いた。





「女であろうと男であろうと、名前さんのことがみんな大好きですよ。」


誰の言葉だったのか、何人の人が言ったのか。定かじゃなかったけど、その言葉に私はひどく安心したのだ。









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