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『所有痕が残せない』


 あ、あ、あ、
 とろける様な温度の声を上げて、名字は腕の中で震えた。それにつられるように私も最果てを見る。吐き出した息がやけに熱かった。ずるりと引き抜かれた本能はすっかり萎えていて、あれほどの熱がどうして解放されるのか不思議に思った。男と云うものは安直だと自嘲する。
 ふう、とけだるさに任せてため息を吐く。名字はゆうるり、と髪を掻き上げた。酷く厭らしい仕草に熱を持ってしまいそうになるから、眼を逸らした。彼女は聖なる何かのように白く笑うと、私にすり寄ってきてそれはそれは嬉しそうに首筋にキスをした。きゅ、と抱きしめあう。しかしその密度のある時間は、天井から降ってきた一枚の紙によって遮断された。
 名字は内容を確認するが早いか、私から素早く離れた。当たり前だ、私たちは恋人でも何でもない。今日は、色の実習だったのだ。合格通知をもらった今、くっついている意味はない。

「んん、七松。おつかれ。」
「おー。気持ちよかった!」
「それはどうも。七松巧くなったねー。」
「名字もな。これだったら城主から何でも聞き出せるぞ?」
「あはは、ありがとうね。じゃ、先湯あみ行くね。」
「じゃあなー。」

 手早く服を着てにこり、と手を振って、彼女は出ていく。今日の後処理は忍たま側なので、私は手早く後処理を済ませた。どんどん手慣れていく。後処理も、女を抱くのも。嫌ではないが、なぜか中身が何にもない心地がする。一通り終え、ぐぐっと背伸びをし、部屋の外へ出た。早朝の冷気が火照った頬を刺す。熱を醒ますためにすこしだけで歩くことにした。早朝、いや、深夜と云っても差し支えない暗さだ。どうせ誰も起きて入るまい。顔だけでも洗おうと、素足で井戸に向かった。土を踏む感触が心地よい。

「あれ、七松?」
「お?」

 霞の中から先ほど別れた彼女の姿が見えた。彼女はもうすでに汲んだのであろう、水が半分くらい入った桶を持っている。処理終わったの?早いねえ。なんて、軽やかに笑う彼女には、先ほどの色気の片鱗も感じられない。清廉潔白な笑み。すでに顔を洗ったのだろう、髪には水滴がついており艶やかな黒髪を滑って、土に染みていく。

「水、余ってるならそれ使わせてくれよ。」
「いいけど、もう私が使った後だよ?」
「ん、構わん。」
「そう。はい。」

 抱え込んでいた桶を静かに渡し、そのまま立ち去ろうとする。なんだか行ってほしくなくて、彼女の手を掴んだ。桶は井戸のふちに乗せ、彼女のほうへ躰を向ける。ふいのことで力を抜いていたのだろう#苗字#は、簡単に体勢を崩し腕の中に収まった。戸惑いながら咎める声音の声が私を制止する。

「七松、もう実習は、」
「知ってる。だけど躰が動いたんだ。」
「………。」

 どうすればいいのか分からない、といった様子の名字。逃がすものか、と抱きしめる。まだ湯あみをしていないから、薄い性のにおいがした。それに酷く興奮した。

「どういうつもり?」
「……分からない。でも、行くな。」
「七松。子供じゃあないのだから。」

 咎める彼女は理性的だ。それにくらべ、私はけもののように、彼女の肩をべろりと嘗めた。痕をつけるつもりだった。そうしたら名字が自分を視てくれるような気がした。
 自分は彼女が好きなのだろうか?
 …分からない。答えが出ない。でも行ってほしくない。ぐるぐると思考が回り、正しい判断が出来ない。もう六年生なのに。

「駄目よ、七松。駄目。」
「………名字、」
「口付けてもいい、抱きしめてもいいわ。なんなら抱いてくれたってかまわない。でも、痕は駄目。」
「名字、」
「ごめんね。でも、もう六年生なんだもの。今さら遅いわ。」
「名字!」
「…じゃあ、行くね。」

 一瞬にして私から離れ、どこかへ消えていく彼女の背。くら
りと眼が回った。視界が暗転する。そういえば彼女の躰には薄い傷はあれど痕は一つもなかった。三回ほどあたったことが在るけれど、いつも痕などなかったし、つけさせなかった。
 私は彼女の中に何の痕も残せない存在なのか。
 妙に覚醒した脳の一部がそうささやく。気付くのが遅すぎたと云う。次の春を迎えれば、私たちはもういなくなるわけだ。私が生きた場所で誰かが生きるのだ。私の痕跡は、此処から消えるわけだ。

 彼女の記憶に、この学園に、この世界に私の生きた証は残せるのだろうか。
(わたしはしらない、かのひとがないていたことに。)
 私は痕を残したかった。彼女の記憶に、彼女の中に。それがどういう感情なのか、知らないわけではなかった。私は、私の一部を名字に持っていてほしかったんだ。それほどに、惹かれていた。
(わたしはしらない、すべてにきづかないふりだ。)

 脳がスパークする。名字の気配を探ると彼女はまだ森に居た。すぐにその背を追い本能的に走った。森を掛け木々を伝い、そしてたどり着く。名字は気付いていたろうに、動きもしなかった。足音を立てずに着地して、その背を後ろから抱きしめた。ぎゅうぎゅうと彼女の細い躰を折るほどに強く。名字は何も反応しない。ただ凛と立っている。

「ごめん、名字、好きだ。」

 随分と情けない声が出た。名字は何も云わない。背を抱きしめているので顔が見えない。彼女はもしかしたら泣いているのかもしれない。譫言のように謝罪と恋の言葉を紡ぐ。名字は何も云わない。
 名字は、何も云わない。

「ごめん、ごめんな。好き、好き好きだ。…おまえのことが好きだったんだ。」

 頬を伝うそれは、あまりにも哀しい、

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