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名字名前と竹谷八左ヱ門。
保育園からの幼なじみで、ご近所では有名な仲良しコンビである私たちは、高校生になってからも、相変わらずの毎日を送っている。
いたずら、ケンカ、二人でバカやったりして不破に説教されるのはもう毎日の恒例で、色気のない男女の友情を私たちは育んでいた。

とは言えさすがに十年以上も一緒にいて、気心の知れた八左ヱ門を意識しないわけもなかったのだが、そんな気持ちはたまに胸にポッと灯っては、すぐに奥底に沈んでいく。友情に恋情を挟む間もなくその気持ちはなくなるから、不変の関係を築けているわけだから構わないんだけどね。
多分、八左ヱ門に恋人ができても、ショックは受けるだろうけど私が嘆くことはないと思う。
祝福してやるくらいの気持ちでいる。

そんな日々の中、ある日のこと。



八左ヱ門が、交通事故で死んだ。



かのように思われるほどに事故現場の道路は損傷が酷かったが、八左ヱ門は驚くほど無傷だった。
ただちょっと頭を打っただけ。

ただちょっと、私のことを記憶障害という理由で思い出せなくなっただけ。

いやにラフな格好をした医者曰く、もう記憶は戻らない、のだとか。白衣やら聴診器やら、医者らしいところが何一つない医者だったな、そういえば。
割とこういう展開の記憶喪失って、一時的って設定がテンプレだと思ってたけど、違うんだなあ。

八左ヱ門はもう、私が昔チョコレートを半分ずっこしてあげたことを思い出せない。
デパートの時計売場の時計を全部、時間をずらすイタズラしたことを思い出せない。
視力検査で、全部をあてずっぽうに言ってどっちのがAに近かったか。とか。
バレンタインにケロルチョコあげたとか。お祭りで入手した金魚を二人で世話したこと。
体育祭で優勝して、触っちゃいけない優勝旗に人目を忍んで二人で触ったり。

もう全部、八左ヱ門はしらないんだ。
共有の出来事じゃなくなってしまったんだ。私一人だけしか、知らないんだ。

思い出せるだけ思い出す、私と八左ヱ門との記憶を。
楽しくてバカして、あったかくて、八左ヱ門はいつでも明るくて優しかった。

その時胸に、想いが灯った。
灯っては沈み、灯っては沈む、あの。
どうせまたすぐ沈むんだろうなと、病院に八左ヱ門のお見舞いに来ているときに思った。

沈まなかった。

どうして、こんな悲しいときにだけ?
どうして、私だけが一方的に八左ヱ門を覚えているこのタイミングなんだろう。
認めない。こんな悲しいこと、悲しい想いは認めない。
これは、恋じゃない。この、灯って沈まない想いは、恋じゃない。
認めるもんか、そんなの、絶対。

「八左ヱ門、私またお見舞いに来たよ。私が行くときって何でいつも寝てんのよ。」

寝てるから、返事はない。当然だ。

「忘れちゃうなんて……アンタ薄情なんだから」

返事はない。まあ起きていても、私を知らない八左ヱ門とは、今までみたいな砕けた会話は出来ないんだ。

悲しいよ、寂しい。寂しい。

起きてよ、せめて。
私のこと、忘れたんならまた覚えてよ。

ばか。ばか。……ば、か。



「……何、泣いてんだよ」

「え」

「名前、泣くなよ。イタズラがばれて雷蔵に怒られたのか?」

「え」

思考が、追いつかない。
私、いつの間に、泣いていたのか。
それよりも、アンタ私のこと、覚えてるの?
記憶喪失、どうしたの、これは都合のいい夢?
夢かな。夢だな。
なら、夢でなら……認めてもいい。
これは恋だ。八左ヱ門に記憶がある夢の中でなら、灯って沈まないこの想いは、恋だと、認めよう。

「好きだよ」

「名前?」

「八左ヱ門が好き、だよ」

「名前」

「せっかくだからね、夢だから。記憶がある八左ヱ門には言いたかったから良かったよ」

夢だとしても、ね。

「俺も。
事故ってから、お前への気持ちが灯ったまんまなんだ。いつもすぐ沈むのにな。
俺も好きだよ、お前のこと、やっとわかった」

「同時に気持ちが灯ったわけね」

「らしいな」

「夢の中でね」

「夢なんかじゃねえよ」

夢だよ、ばか。
沈んだ想いは失くなったんだとばっかり思っていたけど、違う。沈んだ先は心の奥底で、少しずつたまっていってたんだ。
今、八左ヱ門に向けて灯ってる気持ちの大きさでわかる。今までの気持ち全部が、想いとして今、灯ってる。

こんなに、好きになってた。
こんなに、大好きなのに、これは夢で、現実では私の一方通行。
だから現実では認めない、この気持ちが恋だとは。


「あー……二人の世界作っちゃってる中悪いけど」

「え」

私と八左ヱ門の声が揃った。
三郎だ、この声。

「ハチ、調子どうよ」

「退院してえ」

「検査入院だもんな、もう近々出られんだろ」

「そうか」

「え、待ってよ、記憶喪失ってことは脳になんかあるってことなんじゃないの。まだ入院してなきゃダメでしょ」

「記憶喪失?
何の話だよ、俺なんか忘れてんの?」

……なに、言ってんだ。
医者が、言ってたよ、記憶喪失って、一生戻らないって。

「わるい、名字。あの医者って私の変装。ちょっと驚かしてやろうかと思ってただけなんだけどな。てか見抜かれてると思ってたんだけど」

は、え、なに?
つまり、記憶喪失って三郎の嘘?

なに、じゃ今これって夢じゃないってこと、なの?

あー……三郎だったからあの時の医者、全然医者っぽくなかったんだ……



「……八左ヱ門、私が、わかる?」

「おう」

「私のこと、……覚えてる?」

「忘れるわけ、ないだろ」

「……、……ばか、やろ……事故なんかに巻き込まれやがって、私がどれだけ心配したかアンタにはわかんないでしょうね」

「うん」

「記憶喪失って聞いたときは、私苦しくて息ができなかった」

「……うん。
あとで三郎のこと、葬っとくからな」

「うん、頼んだ……」

その時、三郎がそそくさと逃げて行ったのが視界の端にうつった。
フン、あとで制裁を受けるがいいわ。

「でさ、名前」

「なに」

「夢じゃない、夢じゃないよ」

「……さっきの、こと?」

「俺たち、好き同士みたいだな」

だね。
だけど、悔しいから、

「恋じゃない」

そう言い張る。
三郎に騙されたのがきっかけなんてやだ。いつかもっと、違うキッカケで想いが灯らない限り、これが恋だとは認めない。

絶対、認めないから。

「それでも、俺は名前が好きだぜ」

「……」

陥落の日は、近いみたいだ。



 

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