敵 ひんやりと冷たい空気が漂う部屋で、唯一の避難場所であるこたつの中に二人して座り込む。入ったばかりの時はかじかむ指をこすり合わせていたけれど、いまじゃあ体もすっかり温まった。机にはみかんの皮がたくさんあって、赤いマニキュアを塗っていた爪のすきまにみかんの皮が入り込んでいた。わたしの横にすわってテレビを見ながらみかんを食べているハチに目をむける。じゅっ、と溢れたみかんの汁がハチの白く長い指をつたって、手の甲へと流れる。 「あ、」 黄色い汁が白いカッターシャツを汚す前に、わたしはテレビに夢中で気づいていないハチの腕をとって、手の甲へと舌を這わせる。べろり、テレビから響く大げさなほどの笑い声とは不釣合いな音。 「なっ、」 焦ったような声に視線をあげると、ハチが真っ赤な顔をしながらこちらを見下ろしていた。ハチへと身を乗り出していたせいでめくれあがった制服のスカートからは、冬だからか焼けていない真っ白なももが覗いている。彼の喉仏がごくりと動くのを、確かに見た。 「っ、」 シャツとスーツの袖をいっしょくたに肘まで捲り上げられた腕が、ぴくりと動く。視線はわたしの足、隠れているスカートの奥へとむけられている。未だ掴んでいた手をそこへ導こうとする前に、彼はわたしの手を振り払って懐にしまわれていた煙草を取り出し、ライターで火をつけた。 「あれ、ハチって煙草吸ってたっけ?」 確か彼は服に染み付く煙草のにおいが嫌だとかで、煙草は吸わなかったはずなのに。わたしも煙草や香水なんかは好きじゃない。習慣として無意識のうちに染みこんでしまっているのだろうか、体になにかにおいがついていると落ち着かないのだ。たとえそれが、一般の人では感じることのできない僅かなにおいであったとしても。まぁ、ハチはただたんに接客業を扱う仕事についているからという理由だった気がする。わたしのような理由では、もちろんないのだ。 「…あー、おう。会社のやつに進められたんだよ。大人なら嗜み程度に、ってさ」 「ふーん」 ほんとうにはじめたばかりなのか、見当たらない灰皿のかわりに携帯用灰皿の中に煙草の灰をいれていたハチをぼーっと見つめる。煙草を吸うたびに先っぽが真っ赤になって、焼けた煙草の先が灰になってぽろぽろと落ちる。 ――熱い熱い熱い、 頭に響いてくる声は、未だに鳴り止まない。 「わたしの父さんと母さんさぁ、」 「ん?」 「火事で死んだんだよね」 ひゅっ、と、息を呑む音が聞こえる。 いつの間にかバラエティ番組は終わっていて、今度は陽気な歌が聞こえてくる。 世界にはたくさんの幸せが溢れている。 さぁ思い出そう、あの日々を。 笑いあったあの頃を、きっと明日に繋がると信じた僕ら。 安っぽい歌詞が流れ、それに感動したフリをして安い涙を流すタレントたち。 まったく、反吐が出そうだ。 「なーんて、ね!」 「は?」 「こっちが心配するくらい元気だよ、お父さんもお母さんも」 ぽかん、とアホ面晒すハチに、口元には笑みが浮かぶ。まるで狐に摘まれたような顔をしていたハチは、強張っていた体の力を抜いてこたつの机へとうな垂れた。 「びびらすなってー、マジ焦っただろーがよー…」 「あはは、ごめんごめん」 知ってるくせに。 不自然なほどつりあがった頬を上から塗り隠すように、ハチへの謝罪の言葉を述べる。 手を床へと放りだして、こたつの机に頭をあずけるハチ。いまだぶつぶつと言っている彼のたくましい片腕をもちあげ、わたしのまだ成長途中な胸のふくらみへともっていく。手のひらを押し当てることで、ぐにゃりと形をかえるそれ。バッと上体を起こした彼の焦った表情なんて見ないフリをして、なにも知らない子どものように微笑みかける。 「…っ、名前…ッ!!」 一度申し訳なさそうに目を伏せた彼は、しかし次に顔をあげた瞬間には雄の表情にかわっていた。目を情欲に濡らし、胸にもってきていたほうとは反対の手でわたしを押し倒す。 「名前、名前名前…!今度は離さない、絶対幸せにするから…っ!!」 情けない顔をしながらわたしの体を弄るハチに、柔らかく微笑みかけた。 ――熱い、熱い熱い熱いッ、 ――っ、名前、ごめんな…っ ――父さん、母さん…っ!!どうして、どうしてぇ!! ――仕方なかったんだ、任務だからっ、仕方なかったんだよ…ッ ――あああああああああああああああああああ!!!!!!!! ――……あぁ、大丈夫だ、名前。来世で逢おう?敵なんて、戦なんてない世界で愛し合うんだ、今度こそ愛してやるから、幸せにするから、 「嘘つき」 覚えてる時点で幸せなんてねーんだよ、 小さな呟きは彼の口の中、厭らしい水音へと消えていった。 |