い | ナノ



由ない



由ない

由ない。
そう、これは由ない小言でしかないのだと自覚している。
けれど私は、そんな謂れのないであろう小言を用意しないと君に会いに行けない。
何故ならば、私は忍術学園の生徒でも卒業生でもないからだ。
自分で言うのは些か抵抗があるが…売れっ子だの何だのと生徒に親しまれ、寛容に迎え入れられようとも「山田伝蔵の息子」という、忍術学園の生徒ならば師と仰ぐ者の血縁者でしかないのは変わらない事実。

「利吉さん、こんにちは。おいでになられていたのですね。」ガラリ、と無遠慮に保健室の扉を開くと、布団に身を起こしていた名字名前と視線が合った。

「こんにちは…じゃないだろう。」
穏やかに挨拶をしてくる名前と相反して、私の声には怒気とも取れる色が含まれていた。きゅっと眉間に皺を寄せてそのままズカズカと傍まで歩み寄ると、じっと名前を見下ろす。
「…お座りになられては如何ですか?」
私の様子に怯む事なく名前は脇にあった座布団を差し出した。ドカッと礼も述べずに腰を下ろす。
「怪我は酷いのか。」
邪険とも言える態度で聞こうとも、名前はその温顔を崩す事無く「大した事ではありません。」と答えた。

「嘘を吐くな。…無事で、良かった。」
思わず安堵の息が漏れる。
至る所に包帯が巻かれ、その小柄とも言える身体からは薬草の匂いが立ち込めていた。
それは、それだけの傷があり、それ程の深さなのだという事を暗に示している。
けれど、その命が絶たれる事がなかった事実に、私は心の底から安堵した。

「ご心配をお掛けしてしまったようで…申し訳ありませんでした。」
布団の上からずれて居住いを正した名前は、深々と頭を下げた。
名前の気丈とも言える態度を目の当たりにしたら、どちらが年上なのか…と思わず自分に苦笑が零れる。
「…名前がここまで無茶をしたという事は、相当の事だったのだろうな。君の大怪我を父上から聞かされた時は、生きた心地がしなかった。」

報告を受けた時の肝の冷えていくあの感覚。
世界が色褪せ、体中の体温を奪って行った。
その悪夢のような感覚が再び蘇り、私は思わず顔を顰めた。

「傷痕は人物を特定する目印になり、血の匂いは追跡の目印になる。体臭も然り。忍たる者は広い意味で怪我にも臭いにも注意をしなくてはいけない。散々言って来た事だから今更だとは思うが。」
五年は組に在籍中にも関わらず、プロと並んで忍務を遂行する名前とは数度組まされた事がある。その為、他の生徒より親近感があり、故に愛着も沸いた。
私は弟が出来たようで、つい学園に来る用事があれば構い、小言を洩らしてしまう事もままあった。

だけど、 他人 だ。

“弟が出来たよう”などとは、私が勝手に思っているだけで、実際は名前の身内でも、師でも、あまつさえ仲間と呼べる間柄でもない。そんな私からの小言は由ない説教だと言うのに、名前は毎回律儀に耳を傾ける。
その様子に、私は何処か甘えていた。

どうしてか、名前の顔が見たいと、会いたいと思ってしまう自分が居る。

そんな事をぼんやりと考えていた私は、無意識のうちに名前の頬へと腕を伸ばしていた。
私をじっと見上げていた名前は、ぱちぱちと瞳を瞬かせる。

するり、と名前の頬を撫でる。
ふわり、と消毒の匂いに包まれた。

「もう、こんな無茶はしないでくれ。君を心配する人間が居るという事を忘れるな。」
頬に添えた手をそのまま後頭部へとまわす。
ぐっと少し力を入れれば、そのまま名前が胸中へと誘われた。

「肝に銘じておきます。ですが利吉さん、」
そこで一旦言葉を区切ると、大人しく胸中に納まったはずの名前が、ゆるりと私の腕の下に己の腕を差し込み、そのまま背にまわす。
「不遜な態度である事を承知の上で申し上げる非礼をお許し下さい。」
そう前置きをすると、肩甲骨辺りを指の腹でクッと少しの力を込めて押してきた。
「―っ。」
思わず息を呑んだ。
するとすぐに力は抜かれ、今度は優しくひと撫でされる。
「先程のお言葉、そのまま利吉さんにお返し致します。」
訝しんで名前の顔を覗けば、にこりと微笑む瞳とぶつかった。
「気付いていたのか?」
決まり悪そうにそう尋ねると「曲がりなりにも保健委員ですから。腕を動かす時、微かに庇っていらっしゃるようにお見受け致しましたので。」と、さらりと言って退けられた。

「…侮れないな。」
そうぼやくように呟いたものの、気付かれた喜びが微かにあるのも事実だった。

己の意思で引き受けた忍務、自身の過失による怪我、だから痛いなどと誰かに弱音を吐く気など毛頭ないが、どうしても名前には…名前だけには寄る辺を求めてしまうようだ。
(まだまだ甘いな、私も。)
だけどそれを認めたくない自分も居て、私は由ない小言を用意しないと君に会いに行く事が出来ないでいる。
我ながら子供染みているとは思うものの、上手くいかないものだ。

「私も、肝に銘じておこう。」
観念したように笑うと、名前も目元を綻ばせ、こくん、と一つ頷いてくれた。
「…だから、もう少しだけこのままでいさせてくれないか?」
そう言って再び名前を抱き寄せる。

その真綿に包まれたような笑みを向けられたら、縋るに似た気持ちを覚えてしまうというものだろう?
不思議と、名前と居ると救われるような気持ちになるのはどうしてだろう。

この感情は何の類のものなのか、私自身解り兼ねてはいるのだが、きっと次回もどうでもいい理由をつけて名前に会いに来てしまうのだろうと、己の心情に呆れて苦笑を呑み込む。



由ない

(―――用事のついでだなんて、嘘だ。本当は君に会いに来るという事以外、理由なんて無いに等しい。)





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初めまして「玉響」の紬です。
今回は素敵企画に参加させて頂き、誠にありがとうございました!!
少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。


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