心ない 「愛してるよ、」 僕の髪を緩やかに梳いていく指先は白く細く、けれど傷がたくさんあって。大好きな手。大好きな人の手。時折耳を掠めていくその心地よさに目を細めると、先輩が笑う気配がした。 「君は本当に猫のようだね」 くすくすと響くのは耳に馴染む優しい声。可愛い、とつぶやくそれにふざけてにゃあ、と鳴いてみる。無駄に似ている鳴き真似は先輩のお気に召したらしく、彼は楽しげにくすくすと笑った。綺麗な声。 「にゃ、にゃあ、にゃーん…」 「ああもう、本当に可愛いんだから」 猫らしく擦り寄ってみせれば、腰が抱き寄せられ唇が重なる。上下の唇を割って入ってくる舌が絡み合う、水音の合間に囁かれる愛。ああなんて、空虚。 「いさく、せんぱい」 僕は知っている。先輩にはとても綺麗な許嫁がいることも、その人を愛していることも、それが少しだけ狂気じみた愛なことも。それから、…僕が彼女にそっくり似ていることも。僕は身代わりだ。先輩が学園に居る間、彼女と会えない空白を埋める為の、身代わり。視線を先輩と重ねても、先輩は僕をみてはいない。憎くて、羨ましい、先輩の許嫁。もしも僕が女だったのなら彼女にとって変われたのだろうか。幾度としれず繰り返した虚しい絵空事。 「名前、」 「お慕い申し上げております」 けれどそれでも良いと思うほどに僕は先輩が好きで好きでたまらない。先輩の言葉が嘘だって、僕を通して彼女を愛しているだけだって、それでもいいから今は傍にいたいのだ。馬鹿な僕。こぼれる自嘲と張り裂けそうに痛い胸は無視をして。 「僕も愛してるよ」 にこりと浮かんだ笑顔に黙って再び唇を合わせた。僕の大好きな人はとても残酷でうそつきだから、好きだ愛してると嘯くそれを今だけでも僕が奪ってしまいたかった。どうせ心は彼女のもの。先輩の心が僕に向くことは、ない。 |