1万打企画
- ナノ -


▼ 君の好きなものを知りたい

※話の中でAVのタイトルとして淫語が出てきます


「あ、この映画、私、好きなんです」

きっかけは彼女のそんな他愛無い一言だった。近所のレンタルビデオ屋で開かれていた、DVDを四本同時に借りると少し安くなるフェア。観たかった三部作のついでに適当に手に取った洋画のバーコードを読み取りながら、店員のその子はぱあっと顔を明るくした。

「これ、周りの友達に勧めてもあんまり観てくれる人いなくって。もし気に入ったら、続編も借りてくれたら嬉しいです」
「え、あ、う、……は、はい」
「千円ちょうどいただきます。来週の火曜日までにご返却お願いしますね、ありがとうございました」

ファーストコンタクトは初めて女の子に笑顔で話しかけられた喜びと戸惑いのせいか、童貞丸出しで、まともな受け答えも出来なかった。
だけど、今の俺は違う。すでにもう彼女と何度か世間話も交わしたし、先々週にはおすすめの映画を尋ねる関係にまで進展した。
え、ただの店員と客のやり取りじゃないかって? お前は童貞を分かってないな。コンビニバイトの女の子にお釣りを渡される際に手が触れただけで胸キュン、片手を添えて渡されたりでもしたら、その瞬間から「もしかしてあの子、俺のこと好きなんじゃないか……?」と意識してしまう、それが悲しき童貞の男だ。ちなみに勘違いしないでほしいんだけど、これは断じて俺の体験談などではない。ただ童貞としてはありがちなエピソードを例として挙げただけであって、けして、けして俺の話じゃない。本当だ。流石にそんな勘違いするほど馬鹿じゃない。それだけは主張しておきたい。
閑話休題。とにかく俺とあの店員さん――苗字さんという名前であることはレシートで確認した――は、着々と仲を深めていた。

今日もずらりと並べられたDVDの整理をしている苗字さんに、さり気なさを装って、ゆっくり近づく。いかにも、映画を選んでいたら偶然進行方向に店員がいましたという風を装って、一歩一歩ゆっくり棚の間を歩いた。
俺に気づいて「あ」と小さく声をあげ、会釈する苗字さん。笑顔が最高にかわいい。

「こんにちは、いらっしゃいませ」
「ど、どうも、こんにちは。あの、先日おすすめしてもらったあの映画、面白かったです」
「本当ですか!良かったぁ、お客さんにあれを勧めたって言ったら、店長に随分趣味に走ったねって言われちゃって心配してたんです」
「趣味に走っただなんて、そんな。すごく面白かったですよ!」

ごめんなさい、嘘です。正直難しくてよく分かりませんでした。彼女が一週間前に勧めてくれたインド映画の内容を思い出しながら、心の中でつぶやく。

「今日もまた何か借りようと思うんですけど、他におすすめとかってありますか?」
「そうですねえ、以前借りていかれたものと同じ監督なんですけど、この作品とかどうでしょう」
「恋愛映画ですか?」
「はい。二人がだんだん意識していく過程がとても素敵で……。これに出てくる相手の男の子の役が、すごくかっこいいんですよ! あ、でも男の人だと少し退屈かもしれないですね……。ごめんなさい、他の、」
「いえ! 借ります!」

楽しそうに語る表情から一変、彼女はしょんぼりとした顔を見せる。それを見て思わず大きな声が出て、自分でも驚いた。

「僕、苗字さんに勧めてもらったの全部好きですから! だから、あの、これからも、良かったら好きなの、教えてほしいっていうか、その」

思わず勢いで話していたけれど、段々恥ずかしくなってきて、尻すぼみに声が小さくなっていく。君の好きなものをもっと知りたい、もっと君のことが知りたい。

「……良かった。私も、あなたと好きなものを共有できて嬉しいです」

彼女は初めてレジで笑ったときと同じ顔で笑った。その可愛い顔に、胸が締め付けられるように痛くなる。可愛い、めちゃくちゃかわいい。
いつか彼女とおしゃれなカフェで、こう、映画の感想なんかを語りあったりできたら、それはきっととても素敵なんじゃないだろうか。誘う勇気はないけれど、まだ見ぬそんな未来に思いを馳せる。そうこうしているうちに、彼女が店長に呼ばれた。それじゃあとぺこりと軽くお辞儀をしてレジへ向かう彼女の後姿を見送る。ぱたぱたと小走りで歩く姿まで可愛い。もう少し話していたかったけれど、彼女はバイト中なのだから仕方ない。

それからしばらくCDの新譜をチェックしたあと、会計カウンターへ向かう。いつものように、会員カードを読み取って、それからDVDのバーコードをスキャンする。そして今日の逢瀬はおしまい。そのはずだった。
そのはずだったのだけれど。
俺の会員カードを読み取った苗字さんは、カウンターのパソコンを見つめ、ぴしりと固まった。

「苗字さん?」
「……あの、松野さん」
「はい?」
「……延滞しているDVDが、ありますね」
「え、」

延滞?先週借りた邦画はしっかり三度観て感想を聞かれたらきっちり五分は話せるくらいに観た上で返却日の一日前に返したはずだ。今日返却した分も、家を出る前にきちんと数を数えてきっちり四本返している。

「え、あの、なんて作品ですか」
「……え、ええっと、それは、」
「……苗字さん? あの、すみません僕記憶になくて、言ってもらえれば分かると思うんですけど」

しくじった。彼女の前では良い客であろうと今まで努めてきたのに、大失敗だ。急いで帰って延滞してたものを返さないと。覚えがないけれど、借りたんだったら家にあるのは間違いないんだから。
彼女はなぜか口をぱくぱくと開いては閉じてを繰り返し、それでも意を決したかのように顔をきっと引き締めると、口を開いた。

「……きょ、『巨乳マネージャーを肉便器にして性的に応援してもらう3時間』と『出会って五分でがった、』」
「ストップ!苗字さんストップ!!」

顔を真っ赤にして震えた声で読み上げていく苗字さんを、必死で止めた。待って、待ってなにそれ。俺は知らない。本当に身に覚えがない。この店でそんなもの借りるはずがない。そういうのは違う店で借りてる。
横のカウンターで接客をしていた他の店員がこちらを食い入るように見つめているし、後ろに並んでいた客も何事かとざわついていた。
目の前の苗字さんは体を小さくして羞恥で震えているし、周りの視線が痛い。まるで、女性店員にセクハラしたみたいな。いや事実そうなんだけど、それは僕がしたくてしたんじゃないっていうか、そもそもそんなDVD覚えがないし本当に何かの間違いじゃないのか。見かねたのかカウンターの奥から中年の店長が現れる。明らかに迷惑な客を対応する体勢だ。

「えっと、僕そんなの借りた覚えないんですけど、いやほんとに」
「ですが、たしかにお客様の会員カードで借りた履歴が残っておりますね」
「ええ……? ひ、日付は!それ、いつ借りたことになってるんですか!」
「先月の30日ですね」

先月末。それを聞いて、少なくとも、俺が誤って借りたわけじゃないことは確信できた。その日俺は朝からにゃーちゃんのライブに行っていたし夜はオタク友達とオフ会をしていた。この店には絶対来ていない。
でも、じゃあ一体なぜ俺のカードでそんなものが借りられているんだ。ここの店はしっかりしているし、登録には顔写真のついた身分証が必要なほどだ。会員カードを忘れた場合は名前と生年月日に住所、それから顧客リストでの顔写真確認を行っている。別人を騙って借りることは不可能だった。
そう、不可能なんだ。しかし、残念ながらその不可能を可能にすることが出来る人物はこの世に存在した。俺と、その兄弟たちだった。

  ◇

「はあ!?お前店員の女の子にAVのタイトル声に出して言わせたの!?ひっでえ!クズじゃん!」
「うっわ、ひどいねチョロ松兄さん、童貞こじらせすぎでしょ」
「おそ松兄さんのせいだろ!!俺の会員カードであんなの借りやがって!」
「はああ?あんなのってなんだよ!お前だってAV観んだろ!なに純情ぶってんだよ、このチェリー松が!」
「チェリー松って言うな!」
「べつにいいじゃん、延滞料金をおそ松兄さんが払えばいい話でしょー? なにそんな怒ってんの。あ、もしかしてチョロ松兄さん、店員のその子に惚れてたりして」
「ぐっ……!」
「え、まじで?」
「いいから店までついて来いよおそ松兄さん……!」
「えー、めんどくさい」
「いいから!」

結論から言えば、誤解は解けた。愚兄を店まで引っ張って、延滞していたR-18のそれを金と一緒に渡して、カードの不正使用について無理やり土下座させた。その剣幕に店長も、事務所のドアの向こうでこちらを覗いていた苗字さんも引いていたけれど、身に覚えのないことで誤解されることだけは避けられた。
そして安心していたのもつかの間、クソ愚兄はまたしでかした。

「……おそ松兄さん、その袋、あの店のだよな。カード、自分の持ってんの」
「だーいじょーぶ! ちゃんとチョロ松の好きな純愛イチャイチャセックス系もお兄ちゃん借りてきたよお。お前の観るものをお前の名義で借りてきてやっただけだから問題ないって」
「そういう問題じゃない!」
「こないだはごめんねって、ちゃんと店員の子にお前のふりして謝ってあげたしさあ、げふっ!!」

クソ長男を殴り飛ばしたあと、自慢の足であの店へ走る。何してんだあいつ本当に何してくれんだ余計なことしかしねえ!!くたばれ!!
店には五分ほどで着いた。彼女は店の奥で棚の整理をしていた。迷いなく彼女のもとへ近づく。俺に気が付いて「あ」と小さい声を上げた彼女の顔は赤い。彼女と接触するのは、あの日、恥ずかしいDVDのタイトルを読み上げさせて以来だ。勢い余って思わず彼女の両肩をつかんでしまう。苗字さんは大きな瞳を丸くして俺を見上げる。

「わ、」
「違う、違うから! 俺の趣味じゃないから! 信じて!」
「あ、あの、松野さん」
「ごめん、本当ごめん! でも違うから! 素人ものも女子高生ものも俺の趣味じゃないから!」
「だ、大丈夫ですから。私、あなたがああいうのが好きでも、大丈夫ですから」
「大丈夫ってなにが!? 全然良くないって、」
「っ、わたし、どっちがあなたの趣味でも、平気です。がんばります、から」

そう言って、彼女は茹蛸のように真っ赤な顔を俯かせて僕の腕からすり抜け、スタッフオンリーと書かれた扉の中へ走っていった。
……どうしよう。たった今の言葉の意味をどう考えても、自分の都合のいいようにしか受け取れない。顔の赤面とにやけが収まらなくて、両手で顔を覆うことしかできなかった。