1万打企画
- ナノ -


▼ 年末の話

「大掃除を、します」
「はあ、……がんばれ?」

12月31日。大晦日。今日と明日だけ仕事がお休みだという名前ちゃんが、掃除機を持って仁王立ちしていた。ご丁寧にトレーナーを腕まくりして頭に三角巾までつけちゃって、ずいぶんやる気なことで。

「頑張れじゃなくって!松野さんもするんですよ!」
「いや、別にうち普段から綺麗じゃん。普段から名前ちゃん掃除してるし、やる必要なくない?」
「何言ってるんですか。換気扇の掃除とか風呂場のカビ取りとか、窓磨きだとか、やることはいくらでもあるんですよ!」
「えー、めんどくさ……。もう大晦日だよ?今日くらいゆっくりしようよ。名前ちゃん働きすぎ」
「2日間しか休みが取れなかったんだから仕方ないでしょう。元日にやるよりましですよ」
「やらないっていう選択肢は」
「ありません」

名前ちゃんはぴしゃりと言いながら、俺が入っていたこたつの電源を切って机を立てる。ああ、俺の楽園が。心地よい暖気に甘やかされていた身体がぶるりと震えた。エアコンが効いていると言ったって、こたつの温かさには何物も敵いはしないのだ。

松野さんは窓掃除をお願いしますねと告げられ、背中を押されるがままベランダに追い出された。このくそ寒い師走の暮れに酷いことするよな。普段エアコンが効いた部屋でぐうたらしてる俺を屋外に追い出して窓掃除押し付けるとか、名前ちゃん鬼かよ……。
用意された掃除用具をちらりと見る。新聞紙に、雑巾、洗剤。あとなんか、水切るやつ。これの名前なんだったっけ、ワイパーだかスクイージーだか、そんな感じのあれ。ていうか窓掃除って何から始めるんだっけ。水拭きかな、それとも洗剤ぶっかけていいのかな。

「あー、さっみー……。無理、無理すぎ。窓とか別に良くない……?」

12月の冷たい空気が俺の身体を容赦なしに冷やしていく。思わず吐いた息は一瞬白くなって消える。俺に課せられた窓掃除という使命を前に、早くも心がくじけそうになっていた。
大体窓とかそもそも掃除する必要ある? なくない?
名前ちゃんが帰って来る頃にはもう夜遅いからカーテンは閉めてるし、俺は窓が汚れてたってそんな気にしないし。窓が綺麗だから何だって言うんだ。夜景でも見るっていうのか。窓から外を覗いたって、見えるのはただの住宅街じゃん。何のために窓掃除する必要があるの。

「進んでますかー?」
「あー、うん。今やるとこ今やるとこ」

台所の方から聞こえてきた名前ちゃんの声に、生返事で返す。
宿題を母親に急かされる小学生の気分だ。流石に「今やろうと思ってたのに言われたらやる気なくなった」とか言うほどガキじゃないから、重い腰を上げて作業を始めることにした。
結局のところ、彼女の命には応えざるをえないのだ。だって俺名前ちゃんに養ってもらってる身だしね。松野家の絶対君主が俺たち六つ子の母親であるように、この家の頂点はなんだかんだ言って名前ちゃんだった。

新聞紙を丸めて濡らして、窓と向かい合う。
こいつを片付ければ、年越しだ。温かいこたつと蕎麦とお節と雑煮、その他もろもろが、俺を待っている。あと多分頼めば膝枕くらいしてもらえる、はず。名前ちゃんが押しに弱いのは、今までの生活の中で熟知している。



「すっかり綺麗になりましたね」
「んー、おつかれ」

夕飯の蕎麦を完食して、こたつに横になる。食べてすぐ横になったら牛になりますよ、なんて忠告は聞こえないふりだ。ちゃんとご馳走さまは言ったから許して。年末恒例のバラエティを流すテレビを90度回転した視界で観る。タイキックは今年も痛そうだった。
これは余談だけど、基本的にこの家でのチャンネル権は俺にある。名前ちゃんはいつだってテレビ番組に執着しないし、適当な番組を観ていても、途中で俺がこたつに入った途端に、はいどうぞなんて言ってリモコンを渡してくるからだ。
こんな、ふとしたときに、俺はあの家を出たんだなと思ったりする。松野家では毎年末には紅白やら格闘やらで主張が分かれて喧嘩を始めていたし、それでなくとも日常的にチャンネル争いをしていた。観たい番組を労せず観ることが出来るというのは気楽でいいものだ。

「はあー、1年も終わりかー。来年も遊んで暮らしたいなー」
「私も、来年はもうちょっとお休みもらえたらいいなあ」
「名前ちゃんにも遊びたいって願望とかあったんだ」
「私のこと、なんだと思ってるんですか?」

仕事人間だと思ってるけど。毎日12時間近く会社にいるなんて、ニートの俺からはちょっと異常すぎて想像がつかない。ニート最高だよ、人の金で生きるの楽しい。まあ俺が今ぐうたら過ごしていられるのも、名前ちゃんがこうして働いてくれてるからだけどさ。名前ちゃんさまさまだ。

「まあどうせ来年も忙しくなるんですけどね。2月からのプロジェクトもあるし、春からは後輩の教育もしなくちゃいけないし、憂鬱だなあ」
「名前ちゃんって、仕事大好きなんだと思ってた」
「仕事は好きですよ。それなりに楽しいし達成感もあるし、周りから認められるのは嬉しいし。特にうちは、働けばその分お給料ももらえますし」
「いつも思うけど、そんなにお金貰ってどうすんの?」

俺がそう聞くと、名前ちゃんはいぶかし気な顔をこちらに向ける。
ああ別に、お金とかそんな必要ないじゃんみたいな意味で言ったわけじゃなくて。名前ちゃんはそんなに浪費家でもないし、お金を使う趣味を持ってるわけでもないのに、何に使う予定なんだろうと疑問に思ってのことだ。お金は大事だし大量にあるに越したことないよ。俺お金大好き。

「お金がないと、松野さんを養えないじゃないですか」

そう言う名前ちゃんの横顔をちらっと見つめると、まるで何でもないことを言ったみたいに真顔だった。
……俺養うために働いてるとかもうあれじゃん、俺ヒモじゃん。いやまあ、最初からずっとヒモみたいなあれだったけどさ、自覚はあったけどさ。これ、喜べばいいのか自分を情けなく思えばいいのか、微妙に悩むところだな。
黙っている俺を不思議に思ったのか、彼女が不思議そうに見つめる。

「私、何か変なこと言いました?」
「……いや、べつに。まあ働くのはいいけどさ、身体壊さないでね」
「大丈夫ですよ、疲れたら松野さんが労ってくれますから」

俺が食べ終わった蕎麦の丼を、何も言わずに自分のそれと重ねて台所へ運ぶ後ろ姿を眺める。
名前ちゃんは男を駄目にする女の子だなあなんて、奇妙な感想を抱く。クズなニートを拾って甘やかして、さらに駄目にする。人を駄目にする天才だ。そんで俺はその立派な女の子に寄生して、養ってもらってるクズ。
俺はいつまで、この子と一緒にいるんだろう。いつまで、この子に甘やかしてもらうんだろう。きっと、この共同生活は、彼女の人生の汚点になるに違いないのに。それでも。

「松野さん。来年も、よろしくお願いしますね」
「こちらこそー」

そうやって彼女が「来年も」だなんて言うから、俺はまた甘えてしまうんだ。