小説
- ナノ -




地下牢教室でまた明日



「立ち止まれ、ミス.苗字」

夕食後、大広間から出た途端に、背後から低い声で呼び止められる。

「ごきげんよう、スネイプ先生。お夕飯はもうよろしいんですか?」
「これは一部の五年生の間で出回っていた魔法薬だ。君の仕業か?」

彼は可愛い教え子の挨拶も無視して、目の前に薄水色の液体が入った小瓶をずいと突き出した。
先生もいやらしいことをする。どうせ私が作ったものだなんて承知の上で、わざと質問をしているのだろう。

「ええ、仰る通り私が作ったものです。ハナハッカの萼を乾燥して煎じたものをニガヨモギの葉で燻したあと、」
「吾輩は作り方を聞いたわけではない、賢しらに語るな」

彼が二本の指で持っている小瓶は、私が独自で調合した魔法薬だ。眠気の解消のほか、集中力・注意力が短時間のみ極めて上昇するという効用を持つ。
まあ彼ほどの教授であれば、生徒が考えた魔法薬の材料や調合法くらい、想像はついていることだろう。

「端的に言おう。これを服用してO.W.Lに臨もうとした者がいる」
「あら、そうですか。それが何か?」

私の返答に、やれやれと演技がかったようにかぶりを振り、先生はため息をついた。

「残念ながら君は自分がしたことが分かっていないようだ」
「私はたしかにその薬を調合して、他の生徒に提供しました。ただ、それを利用して試験に挑むことは、そんなにいけないことでしょうか? マグルが徹夜明けに栄養剤を飲んで試験や仕事に臨むことと、そう変わりないと思いますが」
「そんなことを聞いているのではない。吾輩が問題にしているのはこの効用と依存性だ」

眼前に突き出された魔法薬の効用は、思考能力の向上──、といえば聞こえはいいが、要するに脳を無理やり活性化させるものだ。飲んだ直後はその爽快感と全能感があるだろうが、効果が切れたあとの落差は語るまでもない。

「これを没収してから酷く暴れる生徒がいたものでな。全身金縛り術で今は安静にしているが」
「まあ。あまりの甘美な味に、理性を失うほど虜になってしまっただけでは?」
「白々しい。貴様は想定していたな?」
「私はただ、自分で調達した材料を使って、自分の趣味として魔法薬を調合しただけです。それを上級生がどうしても欲しいと言うので、善意で譲りました。もちろん、用法用量を守るよう、注意はしましたよ」

強い依存性を持つことも、服用は一日に一匙まで、それ以上は飲んだとしても持続性も効果も変わらないという注意も伝えている。おそらくはそれを守らずに服用したのだろう。レイブンクロー生でありながら馬鹿なことを。そんなことだから、O.W.Lで下級生の作った魔法薬を頼ることになるのだ。

「放っておかれては? 多少暴れると言えど、永続的な効果はないでしょう」
「自分で撒いた種だ、自分で解決しろ。心配するな、吾輩が付き添ってやろう」
「これからですか?健康に悪いわ」
「誰に言われずとも小賢しく魔法薬学者の真似事をする君のことだ。自分で栄養剤でも作ることだな」

 ◇

不機嫌なスネイプ先生──いつものことだ──に連れられた地下の魔法薬学教室では、月明かりもなく、現在の時刻は分からない。日中は生徒の声や金属音、爆発音で賑やかな教室も、この時間に一人で使用していると、大鍋の液体がちゃぷちゃぷと揺れる音が地下牢にやけに響く。
スネイプ先生は、教壇で羊皮紙の山に目を通している。おおかた、一年生のレポートでも採点しているのだろう。例年通りなら、この時期はおできを治す薬の課題だろうか。
幸いにも、今回ばかりは必要な材料は教室のものを利用しても良いとの許可が出ているようで、遠慮なく棚から材料を拝借していく。流石に学校も、O.W.L直前の五年生複数名を意識不明にはしておきたくないのだろう。

一時間ほど煮詰めかき混ぜているうちに、大鍋の中身が深緑色から爽やかな無色透明に変わる。粗熱をとって、ガラス瓶に詰めた。小さな泡沫が瓶の底から絶えず立ちのぼっている。

「どうぞ、スネイプ先生」

ことりと音を立てて机に瓶を置くと、彼は片眉を上げて、訝しげな目でこちらを見上げる。

「これは?」
「解毒薬──、と呼ぶのはおかしいですね。あの薬の依存抑制薬です」

せいぜい三日も服用すれば、元どおりになるだろう。元より、元気爆発薬のアレンジとして試しに作ってみたもので、作り方も比較的単純なものだから難しくはない。

「服用しすぎた上級生には、先生の方から魔法薬の扱い方についてくれぐれもご指導くださいね。下級生の提言は聞き入れてくれないようですから」
「……この短時間で完成させたと?」
「あの薬を調合した時点で、ある程度は構想していました。上級生たちがまさか私の注意を無視するとは思えなかったので調合まではしなかっただけですよ」
「問題児が」
「あらいやだ、優等生と言ってくださいますか?」

魔法薬学に関しては学年随一の成績を誇っていると自負しているし、そこらの並の上級生にだって、負けない自信がある。

「今後の改善点としては、服用の際の味と喉越しを重視した結果、シェパードパイ味の炭酸水になってしまったところでしょうか」
「なぜそこを重視したのだ」
「魔法薬はもっと飲みやすく在るべきだと思って」

良薬口に苦しだなんて、過去の言葉だ。今や企業が魔法薬を販売する時代、同じ効用なら服用しやすい方を選ぶに決まっている。

スネイプ先生は瓶詰めした液体をちゃぷりと揺らして、じっと見つめた。効果の真偽を訊かないのは、あとで先生自ら確認するためか、はたまた私の魔法薬学へ対してのみ発揮される真摯さ故だろうか。後者であれば嬉しいけれど、そこまで自惚れても良いだろうか。

彼が、私の魔法薬学への知識と技術、そしてセンスを買ってくれていることは知っている。そうでなければ、とっくに減点尽くしで寮生から非難轟々となっていたに違いない。厳しい教授に贔屓されている、というのは、そう悪い気分ではない。他生徒に対しての優越感、そして、彼が自分の能力を正当に評価してくれるという満足感は、何にも変えがたい。

「今日はもう良い。明日、もう一度来なさい」
「あら、逢引のお誘いですか?」
「レイブンクローから五点減点」

本日一番とも言えるほど低い声で彼が告げる。魔法薬学に関わらないことであれば、彼は慇懃無礼で生意気な生徒への当たりは当然厳しい。

「患者が全員治るまで毎晩居残りだ」
「分かりました。それではまた明日、スネイプ先生。おやすみなさい」

にこやかに微笑んで、地下牢を後にした。
明日からは夕飯の際に夜食を取り分けておこう。教授とのマンツーマンで、教室を放課後に使って自分の薬が作れるなんて、なんて僥倖。
軽い足取りで、暗い地下牢からレイブンクロー寮への長い道のりを歩き出した。



prev
next