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ひどいくらいにやさしい人



 この度は弊社の求人にご応募いただきまして以下略、慎重に選考を重ね以下略、誠に残念ながら貴意に添うことが出来ない結果となりました。以下略。

「…………はあ」

 今回は結構、手ごたえあったんだけどな。盛大にため息をつきながら、スマートフォンの電源ボタンを押した。帰り道にメール確認なんかするんじゃなかった。家まであと数百メートルあるのに、憂鬱で足が重くなる。

 三月に解禁された就職活動を始めて、もうすぐ半年が経つ。内定はいまだゼロ。大学を卒業した後の私の進路は、いまだ決まっていない。
 自己分析もしているし、履歴書だって色んな人に見てもらってこれなら大丈夫だって太鼓判を押してもらった。企業研究はもちろん、今回の企業はOB訪問だってした。それも全部、たった今徒労に終わってしまったけれど。

 もう持ち駒も少なくなりつつあるから、選考と並行して他の企業も見なくちゃいけない。家に帰ったら就活サイトを見て、プレエントリーからまたやり直しだ。どんどん気分が落ち込んでいく。自分史だったらきっと、22歳の今が人生最悪のどん底だ。

 それでもなんとか重たい足を動かして、いつもよりも長い時間をかけて自宅のマンションまでたどり着く。鍵を開けて扉を開くと、居間の電気が点いていた。家を出る前はきちんと消したはずだ。足元を見ると、見慣れた赤いスニーカーが乱雑に脱ぎ捨ててあった。

「おそ松? 来てるの?」
「おっ、名前おかえり〜」
「ただいま」

 咄嗟に暗い顔を隠して、何でもないように装った。おそ松には、弱ってる姿は見せたくない。

「……来るなら前もって言ってよ。いつも言ってるでしょ」
「えー、いいじゃん別に。今日もどうせ来るって分かってただろ」
「そういう問題じゃないの」

 手に持ったままのスマートフォンを机に置いて、床に寝転がっているおそ松を尻目にそのまま台所へと向かう。疲れているからといって少しでも座ってしまったら、きっと立ち上がる気力を失ってしまうのは今までの経験から分かっているのだ。

「おそ松、どうせ今日もうちでご飯食べていくんでしょ。ご飯どれくらい食べる?」
「んー、いっぱい」
「分かった」

 米を三合用意して笊で研ぐ。きっと彼なら残さず食べるだろう。例え残ったところで、明日の自分の朝ごはんと昼ごはんに回せばいい。

「ねー、名前の携帯でゲームしていいー?」
「はいはい、お好きにどうぞ」

 考えてみれば、おそ松が家にいてくれていて良かったかもしれない。家に一人だと、きっとうじうじと嫌なことしか考えられなくなっていただろう。それにこうして他のことをしていれば、気が紛れる。
 炊飯器に窯をセットして蓋を閉める。このまま三十分水に浸すとして、おかずはどうしようか。玉子と鶏肉があったから親子丼でいいかな。玉ねぎはこの間使い切ってしまったから、買いにいかないといけないな。ああ、暇な人がすぐそばにいるじゃないか。

「ねえ、おそ松――」

 身体をくるりと後ろに向けて、おそ松に声をかける。どうせ床でだらだらごろごろとしているものかと思っていたのに、彼は、私のスマートフォンの液晶をじっと見つめていた。ゲームはどうしたんだろう。……あれ、私さっき、メールアプリちゃんと終了させたっけ。
 慌てて台所から駆け寄り、彼の手からスマートフォンをひったくる。あわてて確認すれば、案の定あのメールの画面のままだった。

「か、勝手に、人のメール読まないでよ!」
「うん、ごめん」

 選考に落ちたことを彼に知られてしまった気恥ずかしさや情けなさ、メールをまじまじと読まれた怒り。色んな感情が溢れて、思わず険がある声を出してしまう。おそ松は存外、素直に謝罪した。
 謝らないでほしかった。そんな素直に謝られたら、責めづらくなるじゃないか。自分にだって非があるのに、こうしておそ松を責める自分の嫌なところを自覚してしまうじゃないか。

「……っ。今日、親子丼でいいでしょ」
「うん、俺お前の作る飯、なんでも好きだよ」


 気まずい空気のまま、結局玉ねぎなしの親子丼を二人で食べた。さっき大声を出してしまった決まり悪さのせいで、自分の家だと言うのに居心地が悪い。対するおそ松はなんら気にしていないようで、もくもくと親子丼を食べていた。

「名前、今日は授業だったの?」
「今日、は……、授業はなかったけど、大学の就職課に、相談行ってた」

 相談に行ったところで、就職課の職員が内定をくれるわけじゃないけれど。でも、他に相談出来る人もいないんだから仕方ない。
 周りはどんどん内定をもらっていって、焦燥感だけが増していく。無邪気に「名前も内定もらったら、みんなで卒業旅行行こうね!」なんて言葉を送る友人たちに、きっと他意はないのだ。私だけが、それを卑屈に受け取って、勝手に苦しんでいるだけ。まだ内定がないのだと答えるたびに、すでに未来の決まった友人たちが「焦ることないよ」と励ますのすら、今はもう苦痛だった。

「そっかあ。はー、名前は大変だね」
「……うん」
「まあでも大丈夫だろー、なんとかなるって」
「…………」
「名前もさあ、俺みたいに楽にすればいいんだよ、深く考えすぎんなよ」

 大変だね、なんて。大丈夫だよ、なんて。おそ松にとっては他人事だもんね。そうだよね。ああだめ、だめだ。おそ松が私を励まそうとしてそう言っているのは分かっているのに、思考がどんどん、どんどん嫌なほうに向かってしまう。いやだ、だめなのに。

「……よね」
「ん? ごめん、聞き取れなかった。なに?」
「おそ松はいいよね。ずっと仕事もしないでふらふらふらふら遊んでばっかりでも許されて。六人揃って成人しても無職で、親に頼って」

 こんな風におそ松に当たりたいわけじゃないのに、開いた口は塞がらない。感情が自分で抑えきれなくて、こんなこと、言いたいわけじゃない。言いたくないのに、止まらない。

「…………」
「私だって、おそ松みたいに無責任になりたかったよ。勉強も仕事もしないで、そうやって何も考えずにしたいことだけして生きていけたら、どんなに良かったか!」
「……うん」
「でも、でもそんなことできるわけないじゃない!大学を出たら働かなくちゃいけないし、やりたくないこともやらなくちゃいけないんだよ!」
「うん」
「これ以上どう頑張ったらいいのか分かんない、どうしたらいいの、何になりたいかも、何が向いてるのかも、もうわかんない。何にもわかんない……!」

 選考後に企業から祈られるたび、まるで自分は誰にも必要とされていないような気がした。自分に価値なんかなくて、もしかしたらこのまま、どこにも雇ってもらえないのかもしれないと不安でいっぱいで泣きそうになる夜のことを、きっと目の前の男は知らないのだろう。
 おそ松は反論をすることもなく、怒ることもなく、ただ無表情で私の言葉を聞いていた。

「私は、私が、どんなに悩んでるかなんて分からないくせに、知らないくせに、無責任に大丈夫だなんて言わないでよ……!」

 私がヒステリックな叫びを終えると途端に静まり返る部屋に、荒く息を吐く音だけが響く。自分の口に出した言葉に我に返って、ぼろりと涙が溢れた。熱い水が、頬をぼたぼたと伝う。やだ、いやだ。こんなにみっともなく喚いて、泣いて、恥ずかしい。こんなひどい姿、おそ松には、他の誰でもないおそ松にだけは見せたくなかった。嫌われてしまったかもしれない。幻滅されたかもしれない。

「ごめん、ごめんなさい」
「ううん、俺こそごめんな」

 おそ松が私を抱きしめる。36度の温もりが私を包んだ。

「ごめんなさい、私、わたし、たくさんひどいこと言った。違うの、違う、本当はそんなこと思ってない、ごめん」
「分かってるって。気にすんなよ、ちょっといっぱいいっぱいになっちゃっただけなんだよな。大丈夫だってば。そんくらいお兄ちゃんがちゃあんと受け止めてあげるから」

 おそ松がリズミカルにぽんぽんと私の背中を叩く。まるで赤ん坊があやされてるみたいだった。こんなに泣き喚いて、たしかに今の私は赤ん坊の癇癪のようだったと思い返して恥ずかしくなった。

「たしかに俺は、名前が今どんなに大変かとか、そういうのちゃんと分かんないけどさ。でも、お前が頑張ってるのは、誰よりも俺が知ってるから。疲れたら俺がちゃんと甘やかしてやるから、無理すんなよ」

 だから、おそ松にだけは弱ってる姿を見せたくなかったんだ。怒ればいいのに、呆れたらいいのに。そうやって彼がひたすらに私をだめにしてしまうから、ひどいくらいのやさしさをくれるから、私はずっと、彼に甘えてしまうのだ。

 彼の胸に顔をうずめる。彼のパーカーが、私の涙を吸い取って濡れた。苦しさすらも、私の中から吸い取られるように消えていった気がした。



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