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逢魔が時の放課後



※スクール松ではない学パロ


「松野くん、日誌書いてよ」
「やだよ〜、俺授業の内容覚えてないもん。苗字さん書いて」
「授業中ずっと寝てるからでしょ。いいよ、分かった、私が日誌書いておくから、松野くんは黒板消しておいて」
「は〜い」

日誌を開いて、今日の日付をシャープペンで記入する。一限目は数学、三角関数。二限は英語、動名詞。三限と四限は体育、バレーボール。

「ねえ松野くん、男子は体育なんだった?」

日誌から目を離さず問えば、「器械体操」と声が返ってきた。器械体操、いいなあ。体育は好きだけど、球技は苦手だった。女子もバレーボールじゃなくて器械体操だったら良かったのに。
昼休み後の五限は日本史、室町時代の文化。六限はLHRだ。右手で日誌に書き入れながら、机の中に左手を差しいれると、ついさっき配られた紙が手に触れて、かさりと音を立てる。憂鬱な感触だった。

「……ねえ、松野くんはさ、どうするの。進路」

進路調査票。ロングホームルームで配られたその紙は、私の将来を決めるためのものだった。

「んー、俺?わかんない。大学には行かないかなー。勉強嫌いだし」
「専門は?」
「特にやりたいことないし」
「じゃあ、就職するんだ」

社会に出て若くから働く、それは立派なことだろう。すでにそれが決められている松野くんを少し見直した。
私は、まだ何も決められていない。未来なんて、まだ分からない。何がしたいかだなんて、まだ分からないよ。小さいころは、魔法使いになりたい、アイドルになりたいと夢を持っていたけれど、そんなことを夢見ていられるほど私はもう子供ではなくて、だけれど、未来を決められるほど大人になれているわけでもなかった。

「就職かー。……しなきゃだめかな」
「えっ」

しなきゃだめかなって。しなきゃだめじゃないかな。

「働きたくなくない?」
「えっ、で、でも。進学しないなら、就職じゃないの?」
「いや、何もしないって選択肢もあるじゃん?」

黒板を消し終わったのか、おもむろに私の机まで彼が歩いてくる。かかとを踏んでいる彼の上履きが、床とぶつかってぺたぺたと音を立てた。

「別にさぁ、決まってるわけじゃないんだよ。進学か就職か、なんて二択じゃないの。ボランティアしたり、何なら世界一周旅行したっていいんだよ」
「で、でも、そんなこと、ご両親も先生も、きっと許してくれないよ」
「えー、そんなんどうだって良くない? だって、俺の人生だよ? それに文句言うやつが居たって、どうでもいいじゃん。そいつが俺の人生に責任取ってくれるわけじゃないし」

彼はあっけらかんと言いながら、私の前の佐藤さんの椅子に座った。机の中に入った紙に、もう一度手を伸ばす。A4の薄っぺらい藁半紙は、やけに冷たくて、無機質な感じがした。

「日誌あとどんくらい? ああ、記事? そんなん適当でいいじゃん、適当でさあ」
「あっ」

松野くんが私のシャープペンシルを取って、日誌に文字を書き入れていく。

「今日は、苗字さんと、進路の話をしました……、っと。はい、これで終わり。担任に出して早く帰ろうぜ」

パタン、と音を立てて日誌が閉じられた。有無を言わさないその行動に、思わず頷く。二人で教室を出て、職員室までの道のりを並んで歩く。二人で行く必要はあったのかなと思ったけれど、気が付いたときにはすでに道のりの半分を過ぎていた。
職員室まで日誌を届けて、担任から労いと気を付けて帰るようにとの言葉をかけられた。松野くんは数学の課題が未提出なようで、少し叱られていたけれど、本人はどこ吹く風で右から左へと聞き流していた。

職員室から教室に戻って、またさっきと同じように、二人並んで廊下を歩く。今度は、お互い帰り支度を済ませて。

「松野くん、あんなこと言ってたけど、結局本当は、どうする気なの?」
「んー? ああ、進路の話?」
「そう」
「苗字さんもさあ、変人だよねえ。進路の話なんて好きなやついないでしょ。なんでわざわざ、したくない話するかなあ」
「……ごめん、やだった?」

たしかに、さっきまでの会話を振り返ってみれば私は彼に問いかけてばかりだし、自分の話はしていなかった。進路なんて誰しも憂鬱になる話題、世間話には向いていなかっただろう。不快にさせても仕方ないかもしれない。

「いやべつに、いやとかじゃないけどさあ」
「……そっか」
「うん、そう」

静かな廊下に、沈黙が響いていた。松野くんの上履きがぺたりぺたりと立てる音が、廊下の壁に反響する。

「……あのね」
「うん?」
「わたし、進路、決まってなくて」
「……うん」
「私、やりたいことが何もなくて。親は、大学に行けって言ってて、それで、やりたいことも見つからないなら、きっとそれが一番いいってことも、分かってるの。けれど、本当にそんな簡単に決めていいのかなって、悩んでる時間なんか、ないのに、私は、迷っていて」
「……うん、それで?」
「どうすれば、どうしたら、いいんだろう」
「そんなの、他人の俺が決めることじゃないじゃん」
「……うん」

彼の言うことはもっともだ。同い年の、同じく人生の岐路に立っている彼に問いかけたところで、困らせるだけ。それなのに私は、彼の言葉を聞いて、心のどこかで彼に突き放されたように感じてしまった。彼なら、私のこのもやもやとした気持ちを晴らすことが出来るのではないかと、勝手に期待を押し付けてしまったのだ。
下駄箱の直前まで来て、私の足は止まってしまった。

「あー……。あのさあ、なんか勘違いしてるみたいだけどさ。他人の俺が決めることじゃないってそういう意味じゃないからね」
「え?」
「苗字さんのことなんだから、苗字さん以外に決められる話じゃないんだよ。もし親が受験しろって言ったところで、苗字さんが受験の日にさぼっちゃえば大学なんか行かなくてすむわけ。苗字さんの人生は、苗字さんだけのものだよ。他の誰のもんでもないの」

彼は、あっけらかんとそう言いながら、下駄箱の中からスニーカーを取り出し、それを昇降口の硬い床に投げるように降ろした。

「やりたいこと見つかるまで、好きに迷ったらいいじゃん。俺たちまだ十八なんだからさあ、好きなだけ迷って好きなだけ失敗したって、それでもいいんだよ」

昇降口のガラス窓から、夕陽が差し込んでいた。彼の顔は逆光でよく見えなかった。けれど、なぜだか笑っているような、そんな気がした。

「ほら、帰ろうぜ。苗字さん、俺の自転車に鞄のせていいよ」

私の目の前に立っている彼は、いつも教室の中心で笑っている松野くんなのだろうか。さっきまで、日直を面倒くさいと疎んでいた松野くんなのだろうか。まるで違う人みたいだ。
なんだか狐につままれたような気持ちになりながら、私は頷いた。



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