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再会・後悔・もう限界



「俺さ、学生のときお前のこと好きだったんだよね」

 小学校から中学卒業までの九年間、ずっとずっと想いを寄せていた相手との久々の再会で、面と向かってそんなことを言われた。嬉しい、はずだった。十分前の私に聞かせてあげたら、きっと飛び上がって喜んでいたとは思う。しかし残念ながら、今の私にとって、彼がニートであることを知ってしまった私にとって、その言葉は望ましくないものであった。

  ◇

 成人を迎えた若人を集め激励し祝福する行事、成人式。二十の誕生日を迎える私も当然それに参加していた。会場には、中学で同じクラスだった友人や、私立中学に進んだ小学校の同級生も見受けられる。もちろん、そこには、私が再会を期待していた初恋の相手も現れるはずだ。
松野おそ松くん、彼が私の初恋の相手だ。小学校からずっと憧れていたけれど。結局中学を卒業するときも告白することはできなかった。高校に進んでからも彼を忘れられなくて、二十歳を迎えた今でも、恋人の一人も出来ずに私はここまで来てしまったのだ。

 人気者だった彼がスーツを纏って姿を見せた瞬間、ざわりと場が湧いて、皆の視線が一斉に彼に集められる。それができる人なのだ、昔から。その場に立っているだけで人の視線を引き付ける、魅力あふれる彼に、ずっとあこがれていた。彼には瓜二つ(この場合瓜六つというべきなのだろうか)の弟が五人いたけれど、それでも彼のことは一瞬で分かった。だって初恋の人なのだ。人生で一人しか存在しない、生まれて初めて恋心を抱いた人。私にとってはその存在が、彼だった。
 最近見かけないけれど、どこの大学に通っているんだろうか。もしかしたら、このあとの同窓会で少しおしゃべりできるかな。学ランも格好良かったけれど、スーツ姿も似合っているなあ。五年ぶりの再会、彼は少し大人っぽくなっていて、それでも、あのとき好きだった笑顔は変わらないままだった。彼に抱いていた淡い熱がふつふつと再燃する予感を感じながら、他の男子たちが我先にと彼に話しかけるのを、友人と会話しながら聞き耳を立てる。

「松野さ、噂とか全然聞かないけど、今なにしてんの?」
「ああ、今ね、ニートしてる」
「……へ、へえ。そうなんだ」
「うん、六人全員そろってニート。笑っちゃうだろー? でも案外楽しいよ、毎日遊んでられるし」

 え、ニート。
 ニートってつまり、学生でもないし働いてもいないってこと? フリーターでもないの? 何してるの? あ、何もしてないのか。そっか、ふうん。そうなんだ。あー、そっかそっか。

 それを聞いた途端百年の恋も冷める、とまでは言えないけれど、少なくとも憧れという感情が主だった私の初恋は結構冷めた。ドン引きだった。ないわ、と思った。憧れの彼は、職にも就かず大学へ通うわけでもなく毎日遊んで暮らしてるんだ。私の頭の中で若干美化しつつあった綺麗な思い出が、本人によってぐしゃぐしゃになっていく気がした。勝手に憧れを抱いて勝手に失望するのは失礼かもしれないけれど、それでも。淡い片思いをして十四年、彼を忘れられずにいた私は、きっと彼に夢を見過ぎていたのだろう。
 それが思わず顔に出てしまったのか。「名前?」と旧友が私の顔を心配そうに伺う。その声に気が付いて、彼が、おそ松くんが私の方にひょこひょこと歩みよってきた。

「苗字! 久しぶり!」
「お、おそ松くん。……久しぶり、だね」
「ほんと、何年ぶり? 超可愛くなっててびびった」
「は、はは……」

 彼に突然親し気に話しかけられ戸惑う。え、なんで。なんで私に話しかけに来たの。私と彼は、小学中学と九年間をともに過ごしたものの、そこまで仲が良かったわけではない。こんなにも昔の友人たちが一堂に会している場で、私に話しかける意味が分からない。ただでさえ初恋の相手がニートになっている現実に泣きそうになっているんだ、そっとしておいてほしいと身勝手にもそう思った。

「あ、あのさ。俺、ずっと、苗字に言えなかったの後悔してたんだ」
「うん?」
「だから、今日会えたら絶対言おうと思ってたんだけど」

 なぜか恥ずかしそうにしながら、彼は鼻の下を指でこする。懐かしい彼の癖だ。やっぱり変わっていないなあ、この歯を見せて笑う顔好きだったなあという懐古の気持ちと、でもこの人ニートなんだなあという悲しみが一緒に襲い掛かってくる。初恋の人がニートに成長しているなんて、ちょっと、わりと、すごく悲しい。私が懐かしい初恋に思いを馳せているうちに、彼は意を決したように口をきっと結んで、私にこう言った。

「俺、学生のときお前のこと好きだったんだよね」
「……は?」
「もし今、彼氏いないんだったら、」
「待って」
「え?」
「何それ」
「何それって……、え、えっと」
「え、待って? 」

 思わず彼の話を遮る。おそ松くんも、私のことが好きだった? なにそれ、ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って。学生時代、両想いだったってこと? えっでも私さっきのニート発言で結構冷めちゃったよ。だけど、それでも九年間思い続けてそれ以降も忘れられなかった彼に突然そう言われて、あらそうと冷たく返せるほど私は大人ではなかった。正直、ニートであることを考えても、嬉しくなってしまった。内心浮かれてしまっていた。それと同時に謎の怒りがふつふつとこみ上げてくる。多分、一言で言うなら、私は彼への想いを拗らせていたのだ。だから、混乱して、まるで怒鳴るみたいにこう返してしまった。
 
「え、あの、苗字?」
「何それ……そんなん言うなら私だって、私だってずっとおそ松くんのこと好きだったよ!」
「えっ!」
「なんで今そんなこと言うの!? 今更言われたって困るよ!!」
「えっ!?」

 おそ松くんは嬉しそうになったり困惑したりと忙しない。嬉しそうにぱあっと輝いた顔が子供みたいで可愛いなと一瞬思ってしまった思考が憎い。今はそんなことよりも、話の方が重要だ。

「え、今もしかして彼氏とかいるの……? そういうこと?」
「いないよ、ずっとおそ松くんが忘れられなくて彼氏なんて作る暇なかったよ!」
「ん? うん……? 待ってすげえ嬉しいこと言われてるはずなのに話がよく分かんない、何にそんな怒ってんの?」
「おそ松くん今ニートなんでしょ!?」
「えっ、あ、うん。そうだけど」
「ニートって何!? 初恋の人がニートになってた私の気持ちわかる!? 憧れの人が! ニート!」
「に、ニートで、ごめん……?」

 違う、違うんだ、謝ってほしいわけじゃない。もう自分でも何に対して憤っているのか分からない。おそ松くんが悪いわけではない。強いて言えば、一番悪いのはタイミングだろうか。
憧れの人が就学も就労もせず毎日を遊び呆けているような人になっていた悲しみ。それを知って一方的に失望してしまった自分に対する嫌悪。突然の告白に対する喜びと困惑。もしあのとき告白していればという後悔。色んな感情が一緒くたに襲い掛かってきて、私はパニックになっていた。

「お、俺が働けば付き合ってくれるってこと?」
「そういう簡単な話じゃないの! ニートなのも悲しいけど、両想いだったのに告白もしないで青春を棒に振ったのが悲しいの! 私は青春を松野くんと過ごしたかったんだよ! そりゃあ私も告白しなかったから松野くんのせいだけじゃないけど! 今さら両思いだったなんて知っても後悔しか生まれないじゃん! 告白しとけば良かったってなるじゃん! なんで今更言ったの!?」
「え、だって、ずっと言わなかったの後悔してたし、久々に会って綺麗になってたから……」
「やめて!」
「えっ」
「そういうこと言うのやめて!ときめいちゃうから本当やめて!」
「えっ、いいじゃんときめいてよ……。今も好きだよ」
「やめて私ニートと付き合う気ないの! 友達に恥ずかしくて紹介できない! さっきニートって知って失望したばっかりなのに、おそ松くんに惚れ直したくないの!」

 大声で会話しているうちに、いつの間にか周りからの視線が集めてしまっていた。辺りを見回せば、同級生はもちろん、会場が同じだけの他校出身の人たちからも面白そうに見物されている。

「おそ松兄さんまだ苗字さんのこと好きだったんだ」
「ふっ、言うなれば彼女はおそ松のディスティニー……。惹かれあう魂は共鳴しやがて、」
「トド松なに、動画撮ってんの?」
「うん、あとで話のネタにしようと思って」

 おそ松くんの五人の弟たちも例外ではなく、楽しそうににやにやとこちらを眺めていた。末っ子のトド松くんに至っては人のやり取りを話題にする気満々だ。あれ絶対同窓会で女の子と見せてきゃいきゃいする気だ。ていうか私たちはべつに見世物じゃない。

「とりあえずさあ、おそ松兄さんも苗字さんも落ち着きなよ。もう会場閉まるから、続きは同窓会でやって」


 旧友たちとの再会を喜び近況を話しあったりするはずの場である同窓会でも、私たちは怒鳴りあっていた。周りからは「積もる話もあるでしょ」とにやにやしながら居酒屋の個室の隅の方に押しやられ、気が付けばおそ松くんとテーブルに二人きりにされていた。

「大好きだったのに! 大好きだったのになんで今ニートなの!? わけわかんない! たしかに中学生のときから不真面目だったし勉強は出来てなかったけど! でも初恋の人がニートって辛いものがあるよ!」
「俺だって告白してこんな風に切れられるとか思ってなかった!」

 ああもう、どうでもいい。どうせ飲み放題だし、こうなったら自棄酒だ。失恋の痛みは酒で忘れてやる。この状態が失恋と呼べるかどうかは甚だ疑問ではあるけれど、少なくとも傷心ではある。隅で管を巻いている私たち二人に目を向けるものは一人もいない。どうせ「さっきの続きまだやってるの」みたいな目で見られているんだ。話の内容が内容だから、完全に痴話喧嘩だと思われている。

「あーあ、あのとき大好きだった松野くん、どんな人になってるかな、大人っぽくなってるかなって無駄にどきどきした昨日までの私が可哀想! 全然成長してないじゃん! 小学生みたいだった中学のときから成長してない! あんまり変わられてもそれはそれで嫌だけど!」
「俺だってさあ! 俺だって、こんな、初恋の子に自分を全否定されるとか思ってなかったっつうの! 告白したら怒鳴られるとか想像できねえよ! もっと童貞に優しくして!」

 おそ松くん童貞なんだ、ふーん。あんなに中学で人気だったんだし、高校で彼女の一人や二人、三人四人、いくらでも作っているものかと思っていた。
 あーあ。こんなことなら高校で遊んでおけばよかったんだろうか。若いうちにやっておきたいことたくさんあったのになあ。青春だから許されること、できることは、今となってはもう逆立ちしたって叶わないのだ。

「あー! おそ松くんと付き合っていたかったー! 自転車二人乗りしたかったし学校帰りに制服デートしたかったし第二ボタンもらいたかったー!!」
「俺だって苗字に弁当とか作ってほしかったし文化祭とか呼んでクラスメイトに自慢したかったし第二ボタン渡したかったし! 両想いだったのに告白したら切れられるとか誰が予想するかよざっけんなよ俺の初恋なんなんだよ!!」

 彼がそう叫んで、日本酒を煽る。それを「中身は小学生なのに仕草はちょくちょく親父くさいね」と非難した。そこまでは覚えている。それから先の記憶は、ぽっかりと抜け落ちている。

  ◇

 目が覚めたら見知らぬ天井でなぜか素っ裸でベッドに寝ていて隣には同じく素っ裸のおそ松くんが寝ていた。この状況から導き出される答えは、一つだった。
 酔っぱらった勢いでワンナイトラブとか、笑えない。

「まって、え、だって、だって私、」

 頭を抱えて必死で昨晩の出来事を思い出そうと、うんうん呻っていると、その声で気が付いたのかおそ松くんが目を覚ます。彼もどうやら記憶がないようで、「ええ、なにこれ!!」と素っ頓狂な声を上げてベッドから飛び起きた。

「わ、私、今までしたことなかったのに……」
「俺だって初めてだったよ……」
「男の人のそれと一緒にしないで」

 絶望とともに呟いた言葉におそ松くんが反応したけれど、険のある声で一蹴する。男の人の初めてと女の初めては、気持ちも価値も、絶対似て非なるものだ。初めてなのに酔った勢いで、しかも記憶もないなんて最悪だ。

「あ、あのさ」
「……なあに」
「苗字、覚えてる?」

 言葉が抜けているけれど、つまり昨晩の出来事について問われているのだろう。どうして二人でこの場所にいるのか。どうして二人で、一糸まとわぬ姿でダブルベッドで寝ていたのか。要するに、私たちは本当にセックスをしたのか。そういう「覚えてる?」だ。

「……あんまり、覚えてない、けど。でも、……その、起きたときからずっと、下腹部がじんじんする」
「俺も、全然覚えてないけど、すっげえ気持ちよかったのは覚えてる」

 なにそれ、最低すぎない? 最終的におそ松くんがゴミ箱をおそるおそる覗いて使用済のコンドームが二つあったことを確認したことにより、私たちが致したことは嫌な予感から確信へと変わった。いやもう最初からほぼ分かってたけど。信じたくなかっただけなんだけど。
 お互い酔った勢いで、身体を重ねてしまった。相手が初恋の人であったことが、不幸中の幸いと言えるかどうかは分からない。初体験の相手が初恋の人と言えば聞こえはいいけれど、長年の想いがようやく通じて、みたいにロマンチックな話じゃないんだから。

「やだもう……もう無理、最悪」
「……もうやっちゃったことは仕方なくない?」
「仕方なくないよ、どうしてそう割り切れるの」
「や、そりゃ俺だって酔った勢いで知らない人とこうなってたらちょっとあれだけどさあ。相手が苗字だから、まあ、いいかなーって言うか、どっちかっていうと嬉しいっていうか」

 そんな、そんな言い方されたって、絆されたりしない。ときめいたりしない。そう必死に言い聞かせるけど、私の単純な頭ではちょっと嬉しさの方に針が振れてしまう。馬鹿! 私の馬鹿!
 そりゃあ私だって嬉しさが一ミリもないと言ったらウソになる。ずっとずっと思い続けてきて、彼とキスをする想像は毎日したし、それ以上のことだって夢に見なかったわけじゃない。ううんごめん嘘、本当は割と何度も想像してドキドキしたりしてました!!

「苗字がしたかったって言う、青春の思い出とかは今更どうにもできないけどさ、これから、その、俺たちさあ、……だめですか」

 彼は真っ赤になってこちらを見ず、呻くような声でそう言った。また言葉が抜けた問いかけだったけれど、言いたいことは伝わった。
 覚悟を決めるしか、ないのかなあ。

「……女の子の初めて奪ったんだから、責任とってよね」
「……うん。最後まで、責任とるよ」

 お互い俯いて、目も合わせない。それでも、お互いの気持ちは相手に伝わった。
 シーツの上に置いていた手に、そっと彼の手が重なる。これからを予感させるように、心臓が波打った。



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